エッフェル塔(1889年完成),東京タワー(1958年完成),スカイツリー(2012年完成)、
この三塔は有名であり、後の2者は日本人にとって身近な存在でもある。
完成年をみると、おおよそ60-70年というかつての人生60年時代の区切りに近い間隔をもって建設されていることがわかる。
当方はこの3塔の展望台に上ってそれぞれの景観を見て感慨を持った記憶がある。
感じることは、塔が高くなってくるにもかかわらず、スカイツリーの方が都市の民衆の生活というミクロが見えるように思えることである。
これは当然で、
エッフェル塔はフランス革命で倒れた君主・貴族の王国の首都の旧市街のセーヌ川沿いのベストの公園の地に建っており、観光資源として当時の景観や街路はよく保存されているからであろう。現代のパリの一般民衆の住居地域は視界の遠いところに見えるように思える。
東京タワーも、民衆の日常生活の場とは少し離れた官公庁や企業や公共のビルが立ち並ぶ中の緑の濃い公園の中にある。強いていえば高度成長時代の日本を牽引したパワーを感じる地域に立っている。東海道新幹線上りで多摩川を越したあたりから車窓に広がる圧倒的な下町の密集家屋群の広がりは東京タワーからは遠い景色である。
スカイツリーは、まさに東京の下町の民衆の日常生活の場所にスッと垂直に立っている感じである。展望台からは、圧倒的な東京の下町の密集家屋群が広大にかつ微細に迫力をもって眼下に広がっている情景をみることができる。景観から東京は生きている民衆の巨大な都市と感じられる。
展望台からの眺めにはそれぞれミクロな部分の見え方にくっきりとした差が感じられる。
そして首都圏を襲う大震災の恐ろしい光景が景観に重なってくる。
つまり、言いたいことは、東京都知事たるものは天候さえよければ、毎週末にスカイツリーの展望台に「自費」で上がって、しっかりと都民の「かまど」の状態を自分の眼で見て、景観から推し量るべきである。
また1923年の関東大震災から百年近く首都圏は激震を経験していないという奇跡を意識すべきである。関東大震災の震源域を通過する湯河原の別荘までを毎週末、公用車で往復など論外も甚だしい。
1923年大正関東地震(赤塗りの領域)と1703年元禄関東地震(赤点線内の領域)の想定震源域(地震調査委員会, 2004より)
江戸幕府260年間に数回は江戸の街を激震が襲ったという記録がある。
それに比べれば今の東京は、大正大震災以降の奇跡的な幸運・長時間軸の中で発展・膨張してきたのである。従って次の震災の反動の蓄積は巨大で激しいだろうし、被害は底知れぬものになるであろうことは明らかである。
60歳近い東京タワーも激震を経験していない。
リオの五輪も政治とジカ熱・感染症危機のなか、おそるおそる開催されるが、
新東京五輪は、大震災時に東京で1番危険とされる脆弱な埋め立て地盤の湾岸ベイエリアを中心に開催されるのである。まさにヒヤヒヤの綱渡り五輪開催といえるだろう。
J_SHIS_表層地盤増幅率Map(TokyoBayArea)から
都知事はスカイツリーや東京タワーの展望台に毎週末自腹で上って、自分の眼で見て、ミクロの視点で、考えられるあらゆる技術を総動員して、都民の安全確保、東京五輪の開催セキュリティの確保を考える責務があると思う。これができないようなら身を引くべきだろう。
この三塔は有名であり、後の2者は日本人にとって身近な存在でもある。
完成年をみると、おおよそ60-70年というかつての人生60年時代の区切りに近い間隔をもって建設されていることがわかる。
当方はこの3塔の展望台に上ってそれぞれの景観を見て感慨を持った記憶がある。
感じることは、塔が高くなってくるにもかかわらず、スカイツリーの方が都市の民衆の生活というミクロが見えるように思えることである。
これは当然で、
エッフェル塔はフランス革命で倒れた君主・貴族の王国の首都の旧市街のセーヌ川沿いのベストの公園の地に建っており、観光資源として当時の景観や街路はよく保存されているからであろう。現代のパリの一般民衆の住居地域は視界の遠いところに見えるように思える。
東京タワーも、民衆の日常生活の場とは少し離れた官公庁や企業や公共のビルが立ち並ぶ中の緑の濃い公園の中にある。強いていえば高度成長時代の日本を牽引したパワーを感じる地域に立っている。東海道新幹線上りで多摩川を越したあたりから車窓に広がる圧倒的な下町の密集家屋群の広がりは東京タワーからは遠い景色である。
スカイツリーは、まさに東京の下町の民衆の日常生活の場所にスッと垂直に立っている感じである。展望台からは、圧倒的な東京の下町の密集家屋群が広大にかつ微細に迫力をもって眼下に広がっている情景をみることができる。景観から東京は生きている民衆の巨大な都市と感じられる。
展望台からの眺めにはそれぞれミクロな部分の見え方にくっきりとした差が感じられる。
そして首都圏を襲う大震災の恐ろしい光景が景観に重なってくる。
つまり、言いたいことは、東京都知事たるものは天候さえよければ、毎週末にスカイツリーの展望台に「自費」で上がって、しっかりと都民の「かまど」の状態を自分の眼で見て、景観から推し量るべきである。
また1923年の関東大震災から百年近く首都圏は激震を経験していないという奇跡を意識すべきである。関東大震災の震源域を通過する湯河原の別荘までを毎週末、公用車で往復など論外も甚だしい。
1923年大正関東地震(赤塗りの領域)と1703年元禄関東地震(赤点線内の領域)の想定震源域(地震調査委員会, 2004より)
江戸幕府260年間に数回は江戸の街を激震が襲ったという記録がある。
それに比べれば今の東京は、大正大震災以降の奇跡的な幸運・長時間軸の中で発展・膨張してきたのである。従って次の震災の反動の蓄積は巨大で激しいだろうし、被害は底知れぬものになるであろうことは明らかである。
60歳近い東京タワーも激震を経験していない。
リオの五輪も政治とジカ熱・感染症危機のなか、おそるおそる開催されるが、
新東京五輪は、大震災時に東京で1番危険とされる脆弱な埋め立て地盤の湾岸ベイエリアを中心に開催されるのである。まさにヒヤヒヤの綱渡り五輪開催といえるだろう。
J_SHIS_表層地盤増幅率Map(TokyoBayArea)から
都知事はスカイツリーや東京タワーの展望台に毎週末自腹で上って、自分の眼で見て、ミクロの視点で、考えられるあらゆる技術を総動員して、都民の安全確保、東京五輪の開催セキュリティの確保を考える責務があると思う。これができないようなら身を引くべきだろう。