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元山ガールの放浪記

感動した映画とかテレビとか本とか・・・いろんな作品について、ちょっとだけマニアックな視点から、気まぐれに書いてます。

岩と雪

2012年10月24日 | 日記
今日ふとしたきっかけで思いだしたこの名前。
昔山を始めた頃、こういう名前の雑誌がちょうど廃刊になってしまった。
その後「ロクスノ」というちょっとおしゃれな体裁になって復活したけど、
個人的にはやっぱり「岩と雪」って最高の響きだと思う。
白い神々しい自分を世界が呼んでくれている!
・・・そんな感じ(錯覚?)がして胸が高なるのだ。

ここ何年も、そういう呼び声から遠く離れてしまっていた。
出産、体調不良、仕事、家事、色々重なって
昔は聞こえてた「岩と雪」の呼ぶ声がしなくなっていた。

でも、ここ最近はちょっと様子が違う。
再び、あの呼び声が遠くに聞こえてきたのだ。
自分の中でのかすかな変化、今はまだそれだけだけど、何だかとてもわくわくする。
あの、愛しい世界に戻りたい。

まずは日々の仕事をがんばって、近いうちにきっと行こう。
岩と雪の世界に遊びに行こう。
心に生まれた新しい兆を大切に、毎日をしっかり暮らそう。

どうか、この願いがかないますように。






圧巻の超人レース

2012年10月10日 | 日記
「トランスジャパンアルプスレース」のNHKスペシャルを見た。
すごい!もうすごすぎる。

このレースの存在は何となく知っていたし、何年か前には女性の方が優勝していて
「すごい人がいるものだなぁ」と思っていたのだけれど、
ここまで過酷で、ここまで超人的だとは。
本当に釘付けだった。

1日で槍が岳まで到着してしまう脚力や、
一体何をけずればそうなるの?というほど少ない装備、
どれをとっても驚くことばかりだけど、
何より出場している方々がみなとても素敵だった。

過酷なレースの最中だから、言葉は少ないのだけど、
極限の疲労状態でも笑顔を見せてくれた元ガン患者の選手や、
レース序盤で、悔しいに違いないのにいさぎよくリタイアを決めた選手、
そして驚異的なタイムで優勝した選手、
レースが終わっても走り抜く選手、
みんながみんな、とても潔くてかっこいいのだ。

特に、トップ独走の望月選手の故郷が南アルプスと知り、
「これから南なんで」と嬉しそうな顔で語るのを見たときは、
心の中で思わず「南下コースでよかったね。がんばれ~!」と
妙なエールを送ってしまった。

あまりにすごいレースで、見終わったあとぼ~っとしてしまったけど、
その後レースが始まった経緯を知りたくて、ネットを見ていたら、
あることを発見。
主催者の方を調べたところ「岩瀬幹生」さんというお名前。
すぐには分からなかったのだが、さらに調べると、実はこの方、
90年代後半、南アルプスを一日で踏破していた、と知りピンときた。

当時、南アルプスの「光岳」の小屋のノートに記された
「北岳 0:00発 光岳23:●● 着」という走り書きが
周囲で話題になっていた。
一体、どういう意味なのか?まさか一日で行ったの?という
憶測が飛び交っていたが、その数カ月後、ヤマケイのクロニクルに
まさに一日でこのルートを踏破した記録がのったのだ。
「このことだったのか」という思いと、
凡人には想像もつかないタイムに、「一体何が彼を駆り立てているんだろう」という
思いを抱いたことを思い出した。

その後PEAKSの記事を発見し「勤め人だから時間がなくて考え出した方法」
であると知り、さらに圧倒された。
今みたいに「トレイルラン」などという言葉が一般化していない時代に、
ともすればヤマ屋からも奇異の目で見られるようなことを続け、
こんな大会にまで育てあげるなんて・・・番組とあわせて二重に圧巻でした。






バラエティと登山

2012年10月10日 | 日記
前回のイモトのマッターホルン登頂に関する記事に、
思いもよらずたくさんの反響をいただいた。

一点、何人かの方が指摘して下さったように、
私はヘリでの下山理由の部分を見逃していた。
その点が分かっていたら、確かに番組全体の印象は大きく変わっていたと思う。
番組を作った方々には申し訳ないし、
指摘して下さった方々、ありがとうございました。

ただ、それでも意見が割れる要素は色々あった番組だと思う。
後で気づいたのだが、いつの間にか私自身の番組に対する期待が、
一般のバラエティ番組を見る時とは質が変わっていたため
今まで通りの伝え方だと違和感を感じてしまった点は
きっと変わらなかったのではないか、とも思う。

前回も書いているように、私はイモトと番組のファンだし、
おまけに山ファンでもある。
その全てをよい形で見せてくれることをすごく期待している。
特に、伝統的な山の世界は「初心者」「若者」「女性」にはかなり厳しい。
ある意味バリバリの男社会でもある。
イモトが、バラエティを盾にそんな世界を軽々突破してくれたら、それは痛快だ。

一方で、山の持つ神々しさや、未知なるものへの憧れと恐れ、
リスクを乗り越えていく勇気と繊細さ、
そういう伝統的に描かれてきた部分をちゃんと見せてほしい、という期待もやはりある。
それは男だろうが女だろうが、若かろうが年よりだろうが、
わけ隔てなく要求されてくることで、
いくら時代が変わっても、変わらないと思うし、
いつまでも存在してほしいと感じる部分でもあるからだ。

彼女が挑んでいるのが、もはや正真正銘の「登山」であることを否定する人は
いないと思うし、だからこそ色んな見方をする人がいて当然だと思う。
否定的な意見を述べているように見える人たちも、実際には彼女の登頂には喜び、
感銘を受けた上で、期待と心配から意見を述べている人が多いのではないか。

「バラエティ」だから「彼女は芸人だから」、という理由で
その枠内に収まるだけでは、もはや満足しない人もたくさんいるのだ。
私もその一人であり、個人的には、その期待を背負い、
芸人としての表現と、純粋に登山に挑む気持ちとの狭間で悩んで
答えを見つけるイモトが見たいし、
彼女が変わっていくなら、それに番組もしっかりついていってほしいと感じている。








イモトのマッターホルン登頂

2012年09月30日 | 日記
今日やっていたイッテQのマッターホルン登頂企画。
ちょっと違和感を感じたのは私だけではないのでは。
最後のヘリのつり上げ、あれは一体何だったのだろう?

この5年以上、イッテQはすごく好きな番組で、よく見ている。
特にイモトは大好きだし、仕事で登山をして、それが視聴者に喜んでもらえるなんて
できることなら代わりたい、と本気で思う。
今日だって、小林カムイがまさかの敗退を喫した、
タイの祭りなんかは、イッテQならではの予測不能な面白さが全開だったと思う。
でもマッターホルンは何だか違った。
のっけから惰性というか、だらだらした感じがぬぐえなかった。

前回のアコンカグアは、画面から力不足と準備不足が見てとれた。
そこを強引に押し切ることなく、撤退。
妥当な判断だと思ったし、むしろ、ありのままを見せているところに、
フェアな清々しささえ感じた。
入念な準備で絶対登頂を目指すNHKのドキュメンタリーなどには
できない、リアルな面白さがあった。

でも今日のはどうだろう?
登るまでの過程も、何だか番組完成のための先を急ぐようで感情移入できない。
(グレートサミッツで同じ過程を見ちゃってるから余計かもしれないけど。)
登頂手前からのシーンは、イモトがよい顔をしていたので、
よかったなぁ、という気持ちになれるのだが、
最後の最後にヘリでつり上げという反則技では、見てきた方が裏切られたような気持ちになる。
なぜ、ふつうに下山しなかったのだろう?

最近では、登山人口も若い人にまで広がり、
登山の道具やスタイルも多様化していて、
かつての「ワンゲル的な常識」に必ずしも縛られる必要はなくなってきた。
でも、登頂の喜びには、必ず責任もつきまとう。
それは人が課したルールではないから、捉え方には幅もあるだろうし、
人によって目指す山も実力もまちまちだから、一概には言えない。
でも、どんな状況であっても山に真摯に向き合う気持ちを忘れてはいけないと思うし、
それがある人は輝いて見える。

個人的には最近(だいぶ前だけど)の山番組の中で、ダントツに輝いていた人といえば
NHKの「白夜の大岸壁」に出ていた山野井(長尾)妙子さんだと思う。
頂上についた時に、あれほど幸せな気分になれた山番組は、他に思いつかない。
今年の「エベレスト」もよかったけれど、輝きという意味では、
山だけに人生をかけてきた妙子さんには誰もかなわなかったと思う。
当然だけど。

そんなわけで、イモトのヒマラヤ行きはちょっとひっかかる。
彼女のファンには変わりないので、彼女らしい輝きを見せてくれるのを
期待はしているのだが・・・。
栗城史多のように、メディア的には斬新で面白いんだけど、登山家としては??な人には
頼むからなってほしくないと思う。

土門拳の李香蘭

2012年09月29日 | 日記


リサーチをしていたら、美しい写真に目が釘付けになった。
肖像写真で知られる土門拳さんが撮影した李香蘭(山口淑子さん)の写真だ。
有名な写真のようだが、私にとっては初めての写真。
吸い寄せられる、とはこのことだと思った。

北京に留学していた若き日の山口さんは、
いよいよ日本軍が攻めてくるという時、学生集会に参加したという。
そこで、攻め入る日本軍に対し、どう立ち向かうかという発言を求められた彼女。
自らの親友らが次々と、果敢に戦うという宣言をする中、
張り裂けそうな思いで口を開いた彼女は「私は北京の城壁に立ちます」
と答えたそうだ。

その言葉の真意は、歴史にうとい私にはさっぱり分からないのだが、
この写真を見ると、彼女が北京の城壁に立つ姿が
なぜかありありと目に浮かんでしまう。
というよりも、彼女はいつもそうやってある種の「境界線」上に
立ち続けてきた人なのだろう。

人の外見は、内面を映し出すというが、この写真は見事にそこに成功している。
というよりそこを追求し、道を開いてきた大写真家の作品だから、
そもそもそんなこと私が言うのもおこがましいのだが、
人間の内面というのは、思った以上に表面に表れているのかもしれない。
ならば、美しくもない自分は、余計に気を引き締めて生きていかなくてはいけないんだろうな。