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父、9月に入院①

2014-01-04 23:21:10 | スポーツ 子育て あれこれ

 昨年10月31日午後10時すぎ、父が膵臓がんのため亡くなりました。

 
 
 享年79歳、22日が誕生日。最期は自宅で過ごしたいとの本人と私たちの希望の通り退院して4日目。

 自分の気持ちもなかなか整理できず、また忙しさでゆっくりPCに向かう暇もなくこの2か月間が過ぎました。12月18日に七七日(49日)、23日に納骨と年内に終わらせることができて、やっと振り返る余裕が出来ました。


 9月18日(水)は朝からあまり食欲もなく調子が悪そうで、一日寝ていた状態でした。でも前日は畑仕事をしていたし、明日は病院に行く予定になっていたので心配ではあったけど私も仕事に行きました。しかし夕食には食卓に座ったものの貧血の様な顔色。多分相当だるかったと思うのに本人は「大丈夫だ~。」といつもの返答。実はその時点で黄疸がでていたらしい。薬を飲むのに口に水を含んでそのまま寝てしまい気づいたら口から水がこぼれて慌てていたほどだった。

 それでも本人はまた大丈夫だと言い、明日病院だからお風呂に入るときかなくて自分で入浴しました。あとから本人が言っていたのだけれど熱も38.6度もあったと…。

 翌19日(木)に坂病院へ。もちろん母が付き添いました。病院ではあっという間に調子が悪くなりそのまま入院することに。


 私がその時書いたメモより

⇒9/19入院。抗がん剤治療をしようと来たら再び胆道閉鎖になっていて、黄疸症状も有り。胆管炎になって敗血症になりかけていた。(血小板減少) 血小板が減少するといろいろな所で出血する可能性ありあ(脳などでも)。がん自体で抵抗力がないのだから急変する可能性大。抗がん剤を使うどころではなく、血小板を輸血する。ところが血管が固くなっていてなかなか入らない。母が言うには午後にはろれつが回らなくなっていたとのこと。私5時過ぎ~9時半まで付き添い。(NCUに入院)
 血小板とT‐3の点滴をしたところ、8時前に意味不明な事を言い始めた。まっすぐな足をまっすぐにしろ、絶食と言ったのにおかゆを食べさせろ、お腹すいた、とかだんだん大声に。看護師さんに低血糖じゃないかと何度も言って血糖値を計測してもらったら、20㎜以下だった。ブドウ糖入れ38に。ブドウ糖入れてすぐ父にここはどこかと聞いたら「坂病院。」とすぐ答えたので思わず「戻ってきた~!」と私。ほんとに驚いた。このまま意識が混濁して死んでしまうんじゃないかと本気で思った。20時48分に2回目。→44に。21時18分3回目入れた後安定した様子なので何かあったらすぐ連絡を頼んで私は帰宅。
 あとから父と話してわかったことだが、父が血糖値に関係なくその朝53しかないのにインシュリンを打った事、先生が言うには食べたものが胃に残っていたため消化せず食事もとらないので点滴してもどんどん低血糖になってしまったということが原因だった。敗血症と低血糖、同時に治療をした1日目だった。
 心配なので朝5時過ぎ姉に様子を見に行ってもらう。血糖値は80台に上がっていたらしい。

⇒9/20 母を8時すぎ病院へ送る。日中は大便をしにトイレへ立ったらしい。夕方4時すぎ私が帰るのを待って北山先生から病状の説明。応急処置で仮のステントは何とか入った。(運がよく)回復したら来週金属の物に取り換える。しかし血小板が減少し、どこかで血管が破れれば急変するとの事。今後の延命についても話す。本人は1日でも長く生きたい希望を持っているが、脳を見てもかなり萎縮している。脳死に至り人工呼吸にしても口から血を吐くなど厳しい状況に。
 やはり肉体も限界に近付いて、それが寿命であると思うしかない。母も同じ考え。急変したらその時は自然に任せることにする。今日本人が意識を回復したら延命処置について改めて聞きますかと先生に尋ねると、本人は既に脳の委縮により正しい判断はできないので、直接は聞かないと言っていた。
 母を頑張らせて7時半まで付き添ってもらう。私は一度戻り子供たちを歯医者に連れて行く。二人にはじいちゃんが危ないかもしれないと話したら、二女は風邪かなんかで入院したと思っていたと。これから何が起こるかわからないから、各々しっかりやるように話す。
 病院
に戻ると父は結構すやすや寝ていた。9時に血糖値を測ると200位、熱は37度に下がっていた。安定しているので看護師さんと相談し今夜は12時まで付き添って帰宅することにする。もし何かあったら(夜勤は二人しかいないとの事なので)呼び出してもらうことに。先生からの指示で、もし(せん妄により)暴れたら薬を使ってよいと指示が出ていると言っていた。

 知り合いの看護師さんから、「内視鏡手術に直接は関われなかったけれど、すぐ終わりました。熱があるのでぐったりしていたが、短時間で終了できて良かったですね。」と手術の様子を教えていただいた。
 以前先生が、膵臓ガンだと痛みがあるはずなのに無いのは、糖尿病によって痛みの神経が麻痺している可能性があると言っていたが、痛くないのは本当に不幸中の幸いである。


⇒9/21 今朝は6時過ぎ病院へ来る。父は起きていた。今朝の回診で先生が、水を飲むテストをしてOKだったら水分をとっていいし重湯から始めましょうとのこと。
 朝からとても良い天気。9時過ぎパパに送られ母が来て交代する。今日も血小板を輸血。熱も下がったのに寝てばかりいて心配。6時半には大便出たと。パットにすることも大分抵抗なくなった様子。
 昼から重湯ではなくおかゆが出て食べた。夕食時にも食欲はあった。でも食べるとすぐ寝てしまう。時々夢と現実とわからなくなってしまう様子も見られた。寝ながら手を上に伸ばして「切ってけろは。」とか点滴はすでに終わったのにまだしていないとか。
 私は9時消灯までいて帰る。