正直、眞名井(まない)神社のことを書かせて頂くのは大変敷居が高いです。
なんともいえない、あの場でしか体験できない、えもいわれぬ身体感覚は、言葉にしたとたん形骸化していくようにも思えます。
それに眞名井神社のことは、現代のこの便利なインターネットという情報の海では、ちょっとググれば、固い文章から、ご自身のパワスポ巡りを紹介したちょっぴりアヤシイ系の記事まで、実に多くの方が参り綴られたものがたくさんヒットします。
それらを読んでいると、わざわざあえて自分が書かなくてもいいような気さえしてきますが、やはり自分自身の体験や感想を書きたいと思います。
まずは眞名井神社の公式HP(元伊勢籠神社のHPの一部)
http://www.motoise.jp/main/saishin/manai/index.html
では境内で撮らせて頂いた真名井神社の写真を慎んでアップさせて頂きます。
二礼二拍手一礼をして手を合わせているときに身体がきゅっとなった気がしました。
背中全体で威圧を感じたというか
何かがきゅっと入ったというかやはり磁場的な圧を感じました。
正直に自分の見聞と体験でいうと
知人の霊能者のことを思い出しました。
彼女は大日如来様が降りてきて依頼者にお告げをするとき
いつも身を一瞬きゅっと縮めます。
背後でそれを見ていて
あ、今、降りてこられたんだな、と分かります。
あの感じに(味わったこともないのに)
似ている「きゅっ(ぐっ)」でした。
↓の写真は、本殿の裏にある2500年前からそのままの形で祀られているという古代の祀事場、磐座(いわくら)で、豊受大神、天照大神を始めとする神々が祀られています。
↓他の参拝者の方達は「石」や本殿のほうはよくしみじみと見られているのですが、このご神木にはあまり注目されていなかったような気がします。
写真に撮ると非常に存在感のあるご神木なのに、境内にある他のものがあまりにも存在感が強いせいでしょう。
これは三柱鳥居に似ている気がしますが....五柱?
何なのでしょう?(ガイドさんがほしいです。贅沢いうならここの海部宮司に案内をして頂きたいほど....)
真上からみたら六芒星を表しているようなカタチだった....?
きっと台風の影響かなにかで一柱が倒れたままになっているのだと思われます。
これがなんの石であるのか説明はまったくありません。
けれど独特の存在感があります。
その場では気づかず、今、これをアップしているときにふと気づいたのですが
何かの形状に似ていると思いますね。
あえては書きませんけど(苦笑)。
それについて説明すると俗的な道祖神信仰と繋がっていくような気もしますが、もっと格上な存在だと思います。
要するにエネルギーの源ですね。
何かが生み出される(出され続けている)....場.....
そうすると奧の宮の眞名井神社の下に位置する元伊勢籠神社にある「霊産石(むすひいわ)」や
この奧の宮の境内にある「産盥(うぶたらい)」などとこの石の辻褄があってゆくような気がします。
他にも不思議な石はいくつかあります。
磐座主座(上宮)である大きな石の前にはたくさんの方がお参りしたことが分かる自然な土のくぼみがありました。
とても美しく芸術的に窪んでおりました。
たぶん今まで生きてきて、あのような作為的でない人の祈りという営みの積み重ねよって自然に出来た美しい土の窪みは生まれて初めて見ました。(結界内だったのであえて写真には撮りませんでした)
奧の宮の二つ目の鳥居の傍には狛犬ならぬ狛竜がおわします。
しかしもっと目を惹きつけられたのは、その斜め後ろにある石でした。
あれは、あれも...写真に撮らせて頂けばよかったです。
下に記したよその方のHPに掲載されていますので、興味のある方はそちらをご覧下さい。
その石は
奈良の飛鳥で見た「猿石」「亀石」級にすごく惹きつけられるものです。
そしてあれよりも人造的でない、もっと原初的(この神社のように)なのがすごいです。
気がつく人だけ気づく(気づけば?)、というくらい放置状態で在られました。
持って帰ろうとすれば物理的にできなくもない感じでもありましたが
仮に持って帰ったらとんでもない神罰がくだりそうなオーラが出てました。
だから気づく人はそっと気づく、気づかない人はそのまま上の本殿めがけてさっさと歩いて上がるという感じで...。
http://kammuri.com/s1/motoise2/manai/index.htm
このHPにはその狛龍の背後にある石が掲載されています。
あと以前は六芒星が象られていた説明の石碑が鳥居の前にあるのですが
今は神紋が三つ巴に変えられていることに関する推察と比較写真も興味深いです。
眞名井神社は元伊勢籠神社から500Mほど山に向かって上がったところにあります。
優しい我が夫は私の両親だけ神社のふもとまで車で運んでくれました。
私と子ども達は例によって徒歩でゆっくりと参道を上がってゆきました。
その途中、真名井神社を参拝して降りてきたたくさんの外人(欧米系)に出会いました。
何か共通のツアーの名札をつけておられるので、スピリチュアル系か霊能者の霊場巡り(あちら風にいうとエネルギーズポットとかパワースポットとかの)海外ツアーかなんかだったのかな?とか勝手に想像したりして。
奈良や京都や伊勢の神社仏閣でもあれほどダマになったわらわらとたくさんの外人に出会ったことありませんでした。
特筆すべきは、真名井神社の参拝が終わって降りてくるその方達はみなフレンドリーで、すれ違うときにニホン語で「コニチワ!」と笑顔で挨拶してくださいました。
スピ系の方はオープンマインドで心がバリアフリーな方が多いので、これはもう間違いなく海外のスピ系の方の巡礼ツアーだと勝手に決めていた私でした。
年齢は30代~60前後くらいまでの老若男女たちでした。
(案外、宗教学者のツアーだったかもしれませんが)
とにかく神社そのものは小さな面積です。
けれど手垢のついた言葉で言ってしまうと
小さな場とはいえ、もの凄いエネルギースポットです。
パワースポットです。
手垢のついてない原初的な場所。
これが私の感想であり、今後もこのままであり続けて欲しいです。
できるだけ2500年前のままでおいておいて欲しい場です。
ほかにも眞名井神社に関する興味深いHP
http://powerspot.at.webry.info/201003/article_1.html
「か~ごめ、かごめ♪」は幼稚園の頃、とてもよく歌って遊びました。
今ではそういう風景は一切みられませんね。
うちの子どもの保育園幼稚園時代でも見たことありません。
かごめかごめの歌に関しては本当に幼児の頃から不思議でした。
歌詞の意味はわからないけど
きっと大人になったら意味がわかるのだろうと思ってましたが
大人になっても謎のままでした。
そして今回、元伊勢さんにお参りする前に
ここに来る前にふっとインスピレーションが湧きました。
かごめとは籠の目のことで
あの籠の目とは
それは六芒星を顕しているではないか?
ということは
「かごめかごめ
かごの中のとりは
いついつでやる」
のあの歌詞の中の「とり」とは
私はずっと「鳥」だと思ってたのだが
「鳥居」だったのではないか?と。
「か~ごめ かごめ
かぁごのなぁかのとぉりいは~」
と子どもの頃、歌った
あれは鳥ではなく「鳥居」で
六芒星の中に閉じ込められた鳥居
=元伊勢さんの籠神社のこと???
なんてふと思ったのでした。
するとふと思い出したのですが、確か三砂ちずる先生が「オニババ化する女性たち」のご著書の中でだったと思うのですが(出典元が違っていたらすみません)、神社の鳥居とは実は女性の象徴であると書かれていたことをふと思い出しました。
籠(六芒星)の中に閉じ込められた女性エネルギー?
エネルギーは封じ込めると一層強大になりますよね。
そういう意味でも籠神社(の特にたぶん本当の本殿にあたる眞名井神社)は命名からして強いエネルギーを持つことを表している。
実際、その場に行けば、毛穴からかっぴらいて心をオープンにしていると感じられる「此所にある何か」があります。
そんなわたしの妄想?と繋がるように
Wiki でも「かごめかごめ」の歌に関しては詳しく掲載されてます。
http://bit.ly/rsnj9E
かごめかごめにまつわる諸説の中でも個性的で気になったものには
かごめは籠目ではなく籠女だという説で
籠女の中にいるもの、つまり胎児のことを指す。
「かごめ」は籠女と書いてお腹に籠を抱いているような女=妊婦を示し、「かごの中の鳥」とはお腹の中にいる子供を示す。その妊婦の家は相続 争いで争っている最中で、1人でも相続人の候補が増えることに快く思わないものもいた。出産予定日もそろそろというある夜明けの晩、階段を降りようとした 妊婦は誰かに背中を押されて落ちて流産してしまった。自分を落とし子供を殺したのは誰だという母親の恨みの歌という説である。(Wiki より転載)
他に籠神社にまつわる「日ユ同祖論」説もあり....
検索して見つけたこちらの方のHP
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/other/jjjj.htm
ちょっとアヤシイ感じもしますけど、私は割とこういう想像(妄想?)を働かせている世界が好きなほうです。
楽しいしワクワクするし(うちの息子1はこういうのきらいますけど 苦笑)わたしは好き。
よく調べておられるし、これだけ写真やデータを集めてくるだけでも大変だったと思います。