Qちゃんな日々

日々のできごとをよしなに書き綴っていきます。

明け方の夢

2011-09-29 15:59:36 | 旅日記

夢をみてもたいてい憶えていない。

夢をみたことだけ憶えていて、内容が思い出せない。

けれど明け方(目覚める前の1時間くらいの間)に見た夢は、

たいていなんとか憶えていられる。

よほど印象深いものなら。

今朝の明け方に見た夢も鮮烈な印象を放っていた。

 

夫と私が山登りをしている。

独特の山で何か霊的な存在。

 

なぜなら道の途中で何度か岩場が顕れる。

その岩は今までに見たことのないような色をしている。

茶褐色、

限りなく赤に近い茶褐色。

こんな紅い岩を自分は見たことがない。

 

その色がこれから先に出会う「何か」を示唆していることは間違いなかった。

その赤はあまりにも禍々しいので先を進むには、とてつもない危険をはらんでいることも予測できた。

 

山のある程度の高さまでくると、いよいよ山の緑はなくなり異様な色をした岩場だけになった。

この先は岩だけで出来ている山頂への入り口  のような処に到達していた。

この岩がまた恐ろしくさらに鮮烈な「どす黒い赤と黒」のコントラストで出来ていた。

こんな光景は今まで生きてきて見たことがない。

なぜ岩がこのようなグロテスクな色しているのか。

あきらかに此所が「異界への入り口」であることだけは確かだった。

 

さっきから小雨が降っている。

その雨の色がやはり岩と同様におかしい。

ありえない色をしている。

錆びた色というよりも限りなく赤に近い褐色をしている。

岩と同じように。

 

私は白いヤッケを着ている。

雨の跡が白のヤッケの上に付く。

まるで血を薄めた色の雨の跡。

 

岩場と同じように雨の色も標高が高くなるにつれいよいよ血の色に近づいてきた。

 

怖い。

こわいけれど、それ以上に私はワクワクしていた。

こわいというのは今の自分の段階の常識であって

ほんとうはもっとこの先に自分が想像もしなかった世界が

それも祝福すべき世界が待っているのを感じだからだ。

 

こわいけれど先に進みたい、という気持ちの方が強かった。

 

いよいよ異界に入ろうとしたときに夫は言った。

 

仕事があるよ。

(なぜか私たち夫婦のポジションは山裾にある大きな有名料理屋の跡継ぎ夫婦だった)

 

今日は政界グループのお偉方さんや○○○の方々もお見えになる。

すごく忙しい日だから。

もう山を下りなくちゃ、と。

 

そんなことは知っていて山登りをしていたはずなのに

せっかく(たぶん)異界の入り口まできたというのに

夫は帰ろうという。

 

夫の常識と良識がうらめしかった。

そして夫に言われてすぐ従順にそれに従ってしまう自分もまたうらめしかった。

 

私たちは現場に戻らないといけない。

そうしないとお店の人やお客さんに多大な迷惑をかける。

普通の常識。

 

けれどこんど此所に来れるのは次にいつになるか、分からない。

もう二度とこの機会が巡ってこないのかもしれない。

 

なのにこの山を下りている自分がさびしかった。

 

あの先に行きたかったのに。

 

4時頃に目が覚めて、夫に怖い夢をみた、と言うと

背中をさすってくれた。

 

朝ご飯がおわってぼうっとしてると

夫が「きょうはしんどいのか?」と尋ねてくれるので

 

あなたと山登りして

赤と黒の怖い岩場まで来たときに

あなたがもう帰ろうと言ったから

その先に行けなかったと説明すると

「よかったね」と言った。

 

そうか

 

よかったのか?

 

私の説明不十分なのだろう

違和感が残った。

 

そのあとトイレの中でもう一度、

今朝がたみた夢と夫のコメントについて考えてみた。

 

そうか私はあのとき

 

「ちがう、危険を承知で、でも、その先になにがあるのか知りたかった、直感的に行きたかったのだ」

 

そう思ったし、

ただ先に進みたかっただけでない

「あなたとあの先に行きたかった」のだ

けれどあなたはその先に行く気がないみたいだから

わたしはそれにあわせた。

 

そのことを夫に伝え損ねているのだと気がついた。

だから夫の「行かなくてよかったね」(僕が止めてよかったね)の言葉に

納得承伏できないのだ。

 

 

いままで夢日記なんてつけたことないのに

なぜかきょうは書き出してみたくなった。

 

書き出すと

今まで見えてなかった

見ようとしてこなかった何かが見えそうな気がして。


眞名井神社

2011-09-21 15:00:02 | 旅日記

正直、眞名井(まない)神社のことを書かせて頂くのは大変敷居が高いです。

なんともいえない、あの場でしか体験できない、えもいわれぬ身体感覚は、言葉にしたとたん形骸化していくようにも思えます。

それに眞名井神社のことは、現代のこの便利なインターネットという情報の海では、ちょっとググれば、固い文章から、ご自身のパワスポ巡りを紹介したちょっぴりアヤシイ系の記事まで、実に多くの方が参り綴られたものがたくさんヒットします。

 

それらを読んでいると、わざわざあえて自分が書かなくてもいいような気さえしてきますが、やはり自分自身の体験や感想を書きたいと思います。

まずは眞名井神社の公式HP(元伊勢籠神社のHPの一部)

http://www.motoise.jp/main/saishin/manai/index.html

 

では境内で撮らせて頂いた真名井神社の写真を慎んでアップさせて頂きます。

 

 

 

 

 

 

 

二礼二拍手一礼をして手を合わせているときに身体がきゅっとなった気がしました。

背中全体で威圧を感じたというか

何かがきゅっと入ったというかやはり磁場的な圧を感じました。

正直に自分の見聞と体験でいうと

知人の霊能者のことを思い出しました。

彼女は大日如来様が降りてきて依頼者にお告げをするとき

いつも身を一瞬きゅっと縮めます。

背後でそれを見ていて

あ、今、降りてこられたんだな、と分かります。

あの感じに(味わったこともないのに)

似ている「きゅっ(ぐっ)」でした。

 

↓の写真は、本殿の裏にある2500年前からそのままの形で祀られているという古代の祀事場、磐座(いわくら)で、豊受大神、天照大神を始めとする神々が祀られています。

 

 

↓他の参拝者の方達は「石」や本殿のほうはよくしみじみと見られているのですが、このご神木にはあまり注目されていなかったような気がします。

写真に撮ると非常に存在感のあるご神木なのに、境内にある他のものがあまりにも存在感が強いせいでしょう。

これは三柱鳥居に似ている気がしますが....五柱?

何なのでしょう?(ガイドさんがほしいです。贅沢いうならここの海部宮司に案内をして頂きたいほど....)

真上からみたら六芒星を表しているようなカタチだった....?

きっと台風の影響かなにかで一柱が倒れたままになっているのだと思われます。

 

これがなんの石であるのか説明はまったくありません。

けれど独特の存在感があります。

その場では気づかず、今、これをアップしているときにふと気づいたのですが

何かの形状に似ていると思いますね。

あえては書きませんけど(苦笑)。

 

それについて説明すると俗的な道祖神信仰と繋がっていくような気もしますが、もっと格上な存在だと思います。

要するにエネルギーの源ですね。

何かが生み出される(出され続けている)....場.....

 

そうすると奧の宮の眞名井神社の下に位置する元伊勢籠神社にある「霊産石(むすひいわ)」や

この奧の宮の境内にある「産盥(うぶたらい)」などとこの石の辻褄があってゆくような気がします。

 

 

他にも不思議な石はいくつかあります。

磐座主座(上宮)である大きな石の前にはたくさんの方がお参りしたことが分かる自然な土のくぼみがありました。

とても美しく芸術的に窪んでおりました。

たぶん今まで生きてきて、あのような作為的でない人の祈りという営みの積み重ねよって自然に出来た美しい土の窪みは生まれて初めて見ました。(結界内だったのであえて写真には撮りませんでした)

 

奧の宮の二つ目の鳥居の傍には狛犬ならぬ狛竜がおわします。

しかしもっと目を惹きつけられたのは、その斜め後ろにある石でした。

あれは、あれも...写真に撮らせて頂けばよかったです。

下に記したよその方のHPに掲載されていますので、興味のある方はそちらをご覧下さい。

その石は

奈良の飛鳥で見た「猿石」「亀石」級にすごく惹きつけられるものです。

そしてあれよりも人造的でない、もっと原初的(この神社のように)なのがすごいです。

気がつく人だけ気づく(気づけば?)、というくらい放置状態で在られました。

持って帰ろうとすれば物理的にできなくもない感じでもありましたが

仮に持って帰ったらとんでもない神罰がくだりそうなオーラが出てました。

だから気づく人はそっと気づく、気づかない人はそのまま上の本殿めがけてさっさと歩いて上がるという感じで...。

http://kammuri.com/s1/motoise2/manai/index.htm

このHPにはその狛龍の背後にある石が掲載されています。

あと以前は六芒星が象られていた説明の石碑が鳥居の前にあるのですが

今は神紋が三つ巴に変えられていることに関する推察と比較写真も興味深いです。

 

眞名井神社は元伊勢籠神社から500Mほど山に向かって上がったところにあります。

優しい我が夫は私の両親だけ神社のふもとまで車で運んでくれました。

私と子ども達は例によって徒歩でゆっくりと参道を上がってゆきました。

その途中、真名井神社を参拝して降りてきたたくさんの外人(欧米系)に出会いました。

何か共通のツアーの名札をつけておられるので、スピリチュアル系か霊能者の霊場巡り(あちら風にいうとエネルギーズポットとかパワースポットとかの)海外ツアーかなんかだったのかな?とか勝手に想像したりして。

奈良や京都や伊勢の神社仏閣でもあれほどダマになったわらわらとたくさんの外人に出会ったことありませんでした。

特筆すべきは、真名井神社の参拝が終わって降りてくるその方達はみなフレンドリーで、すれ違うときにニホン語で「コニチワ!」と笑顔で挨拶してくださいました。

 

スピ系の方はオープンマインドで心がバリアフリーな方が多いので、これはもう間違いなく海外のスピ系の方の巡礼ツアーだと勝手に決めていた私でした。

年齢は30代~60前後くらいまでの老若男女たちでした。

(案外、宗教学者のツアーだったかもしれませんが)

とにかく神社そのものは小さな面積です。

けれど手垢のついた言葉で言ってしまうと

小さな場とはいえ、もの凄いエネルギースポットです。

パワースポットです。

手垢のついてない原初的な場所。

これが私の感想であり、今後もこのままであり続けて欲しいです。

できるだけ2500年前のままでおいておいて欲しい場です。

 

 

 

ほかにも眞名井神社に関する興味深いHP

http://powerspot.at.webry.info/201003/article_1.html

 

 

「か~ごめ、かごめ♪」は幼稚園の頃、とてもよく歌って遊びました。

今ではそういう風景は一切みられませんね。

うちの子どもの保育園幼稚園時代でも見たことありません。

 

かごめかごめの歌に関しては本当に幼児の頃から不思議でした。

歌詞の意味はわからないけど

きっと大人になったら意味がわかるのだろうと思ってましたが

大人になっても謎のままでした。

そして今回、元伊勢さんにお参りする前に

ここに来る前にふっとインスピレーションが湧きました。

かごめとは籠の目のことで

あの籠の目とは

それは六芒星を顕しているではないか?

 

ということは

「かごめかごめ

かごの中のとりは

いついつでやる」

のあの歌詞の中の「とり」とは

私はずっと「鳥」だと思ってたのだが

「鳥居」だったのではないか?と。

 

「か~ごめ かごめ

かぁごのなぁかのとぉりいは~」

と子どもの頃、歌った

あれは鳥ではなく「鳥居」で

六芒星の中に閉じ込められた鳥居

=元伊勢さんの籠神社のこと???

 

なんてふと思ったのでした。

 

するとふと思い出したのですが、確か三砂ちずる先生が「オニババ化する女性たち」のご著書の中でだったと思うのですが(出典元が違っていたらすみません)、神社の鳥居とは実は女性の象徴であると書かれていたことをふと思い出しました。

籠(六芒星)の中に閉じ込められた女性エネルギー?

エネルギーは封じ込めると一層強大になりますよね。

そういう意味でも籠神社(の特にたぶん本当の本殿にあたる眞名井神社)は命名からして強いエネルギーを持つことを表している。

実際、その場に行けば、毛穴からかっぴらいて心をオープンにしていると感じられる「此所にある何か」があります。

そんなわたしの妄想?と繋がるように

Wiki でも「かごめかごめ」の歌に関しては詳しく掲載されてます。

http://bit.ly/rsnj9E 

かごめかごめにまつわる諸説の中でも個性的で気になったものには

かごめは籠目ではなく籠女だという説で

  • 籠女の中にいるもの、つまり胎児のことを指す。
  • 「かごめ」は籠女と書いてお腹に籠を抱いているような女=妊婦を示し、「かごの中の鳥」とはお腹の中にいる子供を示す。その妊婦の家は相続 争いで争っている最中で、1人でも相続人の候補が増えることに快く思わないものもいた。出産予定日もそろそろというある夜明けの晩、階段を降りようとした 妊婦は誰かに背中を押されて落ちて流産してしまった。自分を落とし子供を殺したのは誰だという母親の恨みの歌という説である。(Wiki より転載)
  •  

    他に籠神社にまつわる「日ユ同祖論」説もあり....

    検索して見つけたこちらの方のHP

    http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/other/jjjj.htm

    ちょっとアヤシイ感じもしますけど、私は割とこういう想像(妄想?)を働かせている世界が好きなほうです。

    楽しいしワクワクするし(うちの息子1はこういうのきらいますけど 苦笑)わたしは好き。

    よく調べておられるし、これだけ写真やデータを集めてくるだけでも大変だったと思います。

     


    独特の磁場、または氣場というべきか。

    2011-09-19 18:09:45 | 旅日記

    天橋立の入り口にある船が通る度に90度旋回する珍しい橋であります。

    さて、天橋立は対岸側まで約3.6キロほどあり、入り口から徒歩15分ほどで天橋立神社までは両親も一緒に来たのだが、天橋立を徒歩で渡るには健常者で40分くらいはかかる。子どもと私の4人は天橋立を歩いて渡りたかったので、夫が両親を車に乗せて阿蘇海岸側を通って移動してくれた。夫に感謝。

    驚いたのは、対岸側に行くには徒歩よりも車の移動の方が時間がかかったことだ。

    ぐねぐねと湾曲した湾岸沿いを走るというのはそれほどに時間を要する、対岸側に行くには、天橋立という地形が、どれほどショートカット機能を持っているかよくわかった。

    子ども達は歩くのが速いので私よりも15分くらい早くに対岸側に到着した。

    私は写真を撮りながらのんびりと松林並木道を歩いた。

    天橋立は車両禁止で(かなりの速度でバイクで走り抜ける不謹慎な輩が一名あり(-_-#)レンタサイクルもあり、颯爽と漕いで行かれるのは気持ちよさげではあるが、

    ここに「パワースポット巡り」と称して来てらっしゃる方には

    ゼヒ、ここはしみじみと海風を感じながら松林の奇妙な枝ぶりにも気づきながら歩くことをお勧めしたいです。

     

     

    前々から感じ気づいていたことではあったが、今回、天橋立の松林並木を歩いて確信を持ったことがある。

    それは神々が祀られるところは、たいてい“独特の”磁場というか氣場が強く働いているということだ。

    神を祀るからその場所に独特の磁場氣場が働くのか

    人々が聖地を訪れるその敬虔な気持ちがそこに落ちてゆくと思えば、

    後天的にももちろんその作用が働くと思うのだが、

    でも違う、やはりその土地の人々は、

    いや、どこの土地の人々であっても

    必ず地形や風水的なものを動物的に直感的に感じ取って

    「ここは聖なる場所で、だから神様を祀るならここに祀るべき」

    としたように私には思えてならない。

    まず場所ありきだったのだと。

    そういう順番で聖地は聖地になっていっているのではないかと。

    そしてその独特の氣場磁場は、たいていそこに在る樹や湧き水やそこにある石によって顕れている。

     

    神社にはたいてい立派なご神木がある。

    そこがその神社の大黒柱であるように、

    そこがもっともクリアーなエネルギーを発している中心点的な役割を果たしている(と思う。)

    その場所に本殿や拝殿が人の手を介して建てられ「そこに神がおわします」と感じやすいように形式がとられた。その敷地内になんちゃらの大神とか日本神話由来のそれぞれの神様の名前がついた祠を建てられたりして祀られている。それが日本各地で大なり小なり散見される、というのが神社(現神道)のありように思う。(人を祀っている神社は別として)

     

    私が今回、一番行きたかったのはお伊勢さんの神々がもとはここにおられて、この地から移られたという伊勢神宮ふるさとである元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)である。(私が住む県内には、お伊勢さんの実家にあたる、イザナギ、イザナミがご神体である多賀大社があるのだが、どうもまたそれとは別次元の存在であるようです)

    ここ最近?江原啓之氏や船井幸雄氏がここは本物のパワースポットと言ったとか言わなかったとかで有名になったそうだが、私は15年くらい前から友人や知人になぜか霊能のある人がちらほらとおられ(私が望んで出会ったのではなく、自然な巡り合わせでご縁のあった方々)その方達が非常に個人的に強く信心し足繁く参拝されているのがこの元伊勢籠神社だったのだ。

     

    けれどネットで行く前に調べてみるとどうやら私が一番行きたい、行くべきはその奧の院じゃなかった奧の宮である「眞名井神社」であると気づいた。(たぶんかの霊能者達も本当はそちらがメインだったのでは?と想像する)

     

    地図で見ると面白いことに天橋立にある天橋立神社と元伊勢籠神社と眞名井神社はほとんど一直線上にある。

    天橋立は天にかけられた梯子、橋といわれている。

    またはイザナギ大神がイザナミ大神に会いに行くためにかけた橋という言われもあるそうだ。

    そうすると宮津から見て府中にあるこの元伊勢籠神社の奧の宮である眞名井神社こそが天であり、籠宮(このみや)はその正門、天橋立という奇跡の地形は眞名井に到達するための参道そのもののような役割を果たしているように私には感じられた。(人の目からみたら、人工的に立派に整備されているのは元伊勢籠神社なのであるが、その本体、ご神体は2500年からそこに祀られてある原初的な祀りの姿をとどめたままの貴重な眞名井神社と見るのが正しいと感じる)

     

    そういう理屈抜きに天橋立の松林は天に続く道、天に向かってかけられた橋、参道ゆえに、独特の磁場を発している場であると思う。(もちろんその頂点に立つ眞名井神社が一番独特の強烈な磁場を発しているのだが。)

    求めていない人を受け入れないほどに(?)

     

    話は戻ってだから天橋立はこのように変わった松の枝振りがあちこちに散見されるのではないか。

    なのにほとんど誰一人として私と同じように徒歩で渡っている方々が「天橋立の松林の枝振りが変わっている」と気づまずに歩いているように見えた。他の観光客はカップルやお連れの人たちとのお喋りに忙しく、私だけが一人きょろきょろしながら歩いていたせいもあるのだろうけど...。

     

    では私が気になった松の奇妙な枝ぶり写真をご披露しましょう。

    これは変わった枝ぶりというレベルでなく、松の樹がもう根元の最初から日本海側に向かって倒れながら伸びています。(樹の下をくぐり抜けて府中側から宮津側に向かって撮った写真)

    ここは仇討ちがあったと言われる場所ですが(写真左注目)、向かって右側の松の枝ぶりと左側の違いに注目してください。

    しかし、現地でもっとも目が引きつけられたのは、この写真中央の一番下にある真横に伸びた枝でした。

    現場でみないと臨場感が湧かないと思うのですが、かなり不思議な枝の伸び方でした。

    本当に真横直角に伸びている!という感じで。

    左側の松がおおまかに縦横方向に成長しているのに対して、右側の松の枝ぶりは、やたらくねくねくねくね育っていて対照的な感じがしました。

    そして仇討ちがあったとされるこの奇妙な枝ぶりの松の樹たちのすぐそばに天橋立神社はありました。

    天橋立神社にある「磯清水」。

    四方を海に囲まれた地形の上にあるにも関わらず、全く塩味を含まない不思議な湧き水を頂きました。

    ここからさらに30分ほど歩く中で目をひいた変わった天橋立の松林の枝振りたち。

     

     

    紐でくくられたようにくるっと急旋回している枝や幹の一部。

    ただの海風のせいとは思いにくい、なぜこのような不思議な無理な枝の巻き方、育ち方をしているのか、本当に不思議です。

    人が神々に到達する道はカオス、混沌そのものだからでしょうか。

     

    よく神社とかで撮影すると写るような光が、赤と青色の光りが写っています。

    もちろん太陽やただの光線の具合のせいかもしれません。

    ただまっすぐ一直線に走った青い光は不思議な走り方ですが。

     

    他にもいろいろ

     

     

    これも特筆すべき奇妙な枝ぶりのひとつ。

    ある場所では、松林の道を挟んで日本海側の松の木は日本海側だけに

    反対の阿蘇海側の松の木は阿蘇海側だけに松の葉がたくさん生い茂っていました。

    まるで天橋立を両側の風雨から守るように。

    そして後でこの先にある元伊勢籠神社で驚いたのは

    ここのこのご神木も同じように海側、社側の一方にだけ向かって葉が生い茂ってたことです。

    元伊勢籠神社内の写真

    立て札には「産霊岩(むすひいわ)」

    一名神生み岩

    天然記念物さざれ石と書かれていました。

    こちらが元伊勢籠神社です。

    http://www.motoise.jp/main/top/

    私の友人が15年前に私にこの神社のことを教えてくれたときは「籠宮(このみや)神社」とか「元伊勢さん」とか呼んでましたが。

    お会いした海部宮司や国宝とされているここの家系図のことなど、とても熱心に教えてくれたのを覚えています。

     

    初めて来ましたが、本殿を前にして思ったのは

    伊勢神宮よりも初めて出雲大社に参拝した時のことを思い出しました。

    ここの高欄には伊勢神宮と籠神社にしか許されない五色の座玉(すえたま)があるそうです。


    家族旅行で天橋立へ

    2011-09-19 13:05:00 | 旅日記

    「連休中は雨」という予報だったが、翌朝は晴れた。

    海のさざ波で目が覚めるというのはよいものだな。

     

    泊まったのは由良浜、この辺りに大きなホテルはなく、旅館や民宿が静かに佇んでいる。

    昨晩は料理の分量もちょうどよく(大きなホテルにありがちな「これでもか攻撃」ではない)両親もずいぶん喜んでくれていて誘ってよかった。

    昨日は思いがけず「父のよいところ」に気がついた。

    たぶん今までにも父の中に普通にある要素だったのだろうけど、

    私には見せなかった出されなかった要素である。

    それだけ私は結婚を機に父親との距離が精神的にも物理的にも離れていったのだろう、今やっと、いい具合にちょうどいい距離間になったのだと思う。

    結婚の効用なのだな、と。

    気持ちが澄んでくると今まで見えていなかったものが自然と見えてくる。

    いいことだと思う。

     

    さぁ、今日はいよいよ元伊勢籠神社にお参りにいくのだ。

    15年ほど前に友人からすごく霊験のあるところだと勧められていたのだが、この頃やっと行く気になった。

    天橋立というのは私にとってあまりよい印象のないところだった。

    それは天橋立に問題があるのではない。

    子どもの頃、やはり父と母と姉と私と弟と5人でここに家族旅行に連れてこられた。

    そのときの家族旅行の印象があまりよくなかったのだ。

    だから天橋立というとあのときのモヤモヤとした気分が思い出されて

    あえてそこを訪ねたいという気にはならなかった。

    けれど、ここにきて「元伊勢」とよばれ

    友人知人に随分前から勧められ

    今やっと行って見たいという気になったのだ。

    あのときと同じように家族旅行で、

    私が連れられたように

    こんどは私が

    自分の親を連れて。

    とにかく晴れてよかった。


    親孝行旅行

    2011-09-19 11:07:54 | 旅日記

    お盆に恒例の食事会で出会った時に、母が随分と痩せていたので驚いた。

    4年ほど前に心臓発作で倒れて救急車で運ばれて一命をとりとめ退院して以来、年齢的な老化には抗えないけれど、そろっと静かに回復して穏やかに日常生活を営んでくれていたのだが、今年の4月に母のひとつ年上の姉が亡くなって以来(私の伯母にあたる)、母はめっきり気落ちして食が細くなったようだ。

    食事もいちどにしっかり食べることはもう無理で、少しづつしか食べられないようだった。

    「親孝行したいときには親はなし」。母の誕生日と敬老の日が近いこともあって、たまには親孝行をしようと思い立った。

    この三連休のうち敬老の日は市内の姉夫婦も実家の両親を訪ねてくるだろうから、その前半で一泊二日の天橋立へ小旅行へ行く企画をたてた。

    我が3人の息子達も三男が中学生になってからは家族旅行にはついてこなくなって寂しいものだったのだが、「おじいちゃんおばあちゃんの敬老と誕生日のお祝いだから、みんな一緒に天橋立に行こう」と大義名分を振りかざすと家族旅行の参加にいとも簡単にみな首を縦にふってくれた。

    思春期の息子達、あれほど誘っても行きたがらなかった家族旅行、ジジババをダシにするとついてきてくれるのか、ラッキー。親孝行の功労というか。いや息子達もそれなりに気遣ってくれているのだな。

     

    さて、ふだんは5人乗りのTRAVIQだが、後ろの席を倒すと7人乗り仕様になる。

    とはいえ正直、昔と違って体の大きくなった息子たち3人と私たち夫婦&老夫婦、体格的に大人7人が乗る状況はかなり厳しかったが、すし詰め状態でいくのも、ひさびさの家族のコミュニケーションをとるには案外よかったかもしれない。

    朝は三男Jが10時まで中学校の草刈りで、高校生の次男Rは12時半まで土曜の授業がある。Rの学校は南禅寺のすぐそばにあるので、とりあえずJが帰宅して同じ市内に住む両親を迎えに行き、京都でいったん高速を降りて南禅寺を拝観しながらRの学校がおわるのを待った。

    お昼近くになるとRの学校の制服を来た中等部、高等部の生徒達がたくさん南禅寺の山門(三門ともいう)の前をショートカットして横切って下校している。

    なんだか壮観である。

    Rの学校は私立なので、うちの地元の公立校と違って足下は黒のローファーと決められている。カッターシャツは白が公式だが、薄いブルーやピンク色もあり、ネクタイも公式の日でなければ、してもしなくてもいい。夏はブルーの格子柄シャツ。バッグは生成の帆布っぽい生地に濃紺色の持ち手のざっくり入るショルダー。

    気のせいか、深読みかもしれないが、この京都の観光地の中をぞろぞろわらわらと男子校の生徒が歩いても暑苦しくならないよう、爽やかであるように、南禅寺界隈の景観に配慮して?制服や持ち物がデザインされている気がした。

    三男Jは小さい頃に一度来たきりなので、まったく南禅寺や水門の記憶がないらしく、この水門の上を北へ流れる琵琶湖疎水を長男Kと観に行った。

    私たち夫婦は足腰がきつい両親とともに下で待つことにした。

    さて南禅寺の見学を軽くしてから次男Rを校門前でひろって

    お昼はそのまま近くの権太呂でおそばの御膳をいただく。

    http://r.gnavi.co.jp/c052302/

    ぐるなびを見せるとデザート(抹茶のアイス)が全員にサービスされます♪

    でもそれよりも御膳のデザートについていた「抹茶わらびもち」が美味しく、御膳を頼まなかった息子達はおじいちゃんのわらびもちデザートを頂いてとりあいしてました。(こういう風景は小さな頃と全然変わらなくてなんだか嬉しい←いや案ずるべきか?)