Qちゃんな日々

日々のできごとをよしなに書き綴っていきます。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

親鸞聖人750回大遠忌法要 と 宗教と政治について

2011-10-11 14:30:26 | 旅日記

きのう親鸞さんの750回目の法事に参加してきた。

いや、こんな俗人的な表現で申し訳ない。

正しくは

昨日は、親鸞聖人750回大遠忌法要にお参りにいってまいりました。

本当の目的は、この大遠忌法要の記念で普段は公開されていない飛雲閣と白書院が公開されるので、それらを観に行くことでした。

 

私にとって西本願寺とは、京都の市バスでさらっと前を通るところであって、「こんな大きなお寺なのだからいつかお参りするかもしれないが、でもうちは浄土宗で、浄土真宗の門徒ではないから、近いからいつでも行けると思いながら一生いかない所かも」とバスの吊革を握りながらぼんやりと眺めて通り過ぎるのが常だった。

 

しかし、ツイッターのタイムラインとはほんと便利なもので、10月8日から14日までこの750回大遠忌法要を記念して普段は非公開の飛雲閣と白書院が公開されるとのことを誰かの呟きで知った私は、すぐさま拝観を決めた。

飛雲閣は以前、内田樹先生がブログで釈先生のご案内で飛雲閣の内部まで拝観された記事を読んだことがある。それで知ったのだ。一番上は摘星楼(てきせいろう)というそうで、星が摘めそうな眺めである展望室なので、そのように名付けられたらしい。

写真家のアラーキーも飛雲閣の写真集を出しているそうだが、とにかくそのことがずっと頭に残っていて、そうか本願寺関係者や選ばれた人しかいけないところなのだと諦めていた。

それが拝観できる機会がこんな風に巡ってくるなんて。

しかも短い期間のあいだだけ。

三連休の最後はこれに決定!

御影堂門から入る。

中に入ると御影堂の中に入るためのゲートが中央と南側と北側と1~4まで出入り口があり、大勢の門徒さん達が法要に参加されるためにこしらえられた仮設増設体制の御影堂は外から見るとまるで何かのパビリオンみたいだった。

敷地内全体が750大遠忌法要の記念祝祭ムードがいっぱいで、まるで寺のなかがテーマパーク的でさえあった。

 

大型観光バスの出入りも拝観シールや共通のリボンやバッグを持ったツアー客も、きっと普段の数倍だったに違いない。仮設増設トイレもまた高速道路のSAよろしく半端ない数だった。

門徒でもツアー観光客でもない私たち夫婦がマイカーで着いたのは4時前で、5時半閉館に対して時間的にはちょうど人がすく時間帯でよかった。

長蛇の列に入場を待たされることなく、飛雲閣も白書院もほとんどスムーズな流れのなかで観ることができた。

ふだん非公開なので設定された入場料もなく、芳名帳に署名をしたら「志」を小さなお賽銭箱のような所に入れるようになっている。

飛雲閣も白書院も残念ながら撮影禁止。

そして飛雲閣は外から見るだけ。

なんと外観さえも非公開だったのか、とびっくり。

(私はてっきり公開=飛雲閣の中に入れて頂ける と思っていたのだ。

あつかましい?)

 

飛雲閣は豊臣秀吉の聚楽第(じゅらくだい)の遺構とも、本願寺の御亭の発達したものともいわれているそう。

二階の辺りの木戸には絵が描かれており、あのような日本の歴史的建築物で外側に絵が描かれたもの、しかも遠目にそれが分かるものなど初めて見たので、それだけでも十分感動ものでした。

飛雲閣の全体像は私が個人的に思うに、金閣寺が銀閣寺のようにいぶされた感じ、にも見えなくはないなと思いました。

でも金閣寺とも銀閣寺ともまったく違う。

あの三階の展望室は本当に星を観るためだけのものなのか、

そういう芸術的な目的だけだっただろうか、

いや、やはり政治的展望室だったのでは?(敵がどこからやってくるのかとか)

そう思うとやはり豊臣秀吉の聚楽第の遺構説は正しいのかも?

 

そして西本願寺の大書院。

虎の間の玄関から入場させて頂きました。

もうこれは圧巻でした。

 

神社仏閣巡りは大好きで(といってもそんなにたくさんは行ったことはない)

でもあれほど凄い書院を観たのは初めてでした。

 

私が住む近江の里にもあちこち歴史的な古社寺はたくさんあるし、

福井の永平寺の天上画とか

香川の金比羅さんの書院とか、凄いところを知ってるつもりでした。

 

あぁだけどやはり寺は京都やなぁと思いました。

京都はやはり凄い。

凄いところが沢山在りすぎる。

 

よく神戸大阪の方が「地の京都の人って、大阪や神戸とは違いますっていう態度する」と言いますが、やはりこういう地域、こういう歴史を背負った地域に生まれ育つとそういうふうになるんやなと、やはり京都出身の我が母親をみていても思います。

京都の女は扱いづらいとか性格がわるいとかプライドが高いとかよう聞きましたが...。

(若い頃は特に関東の人から京おんなのわるくち聞かされたものです。)

まぁああいう地で、しかも特に伝統家業で育った家の人は仕方ないんでしょう。

 

 

話を書院に戻して。

本願寺の書院は白書院と黒書院と対面所があり黒書院は非公開。

けれど白書院と対面所を拝観できただけでじゅうぶん幸せです。

日本のどんなお城にもこんな荘厳な書院はなかっただろうと思います。

203畳の大広間からなる鴻の間と呼ばれる大きく広い対面所はいったい、誰と誰らが、どのような方達が対面する場を想定して作られたのだろうと、遠い歴史に想いを馳せるほど、すばらしく密度の高い空間でした。

撮影禁止なので本願寺公式HPで書院のご覧下さい。

http://www.hongwanji.or.jp/about/kenzo/05.html

 

おおよそ人間が作るものの、どこまで緻密で高貴な場所であろうかと。

対面所上段正面床の張良引四コウ図は「逆遠近法」で描かれてある。

それはそこに座る人を際だたせるためだったという。

はぁ~すごい...。

 

金比羅宮に比べて金箔はかなり年月にさらされていぶされてはいますが、そして中にはライトもなにもないので暗いままでの拝観ですが、その襖絵の重厚さはかえって増し、空間の濃度をさらに濃くしていました。

 

本当に「緻密」「密度」「重」「厚」「貴」そういう漢字がぴたりとくる空間でした。

 

あの空気感は文字表現ではとうてい追いつきません。

やはり身体をあの建築物の中に投げ込まない限り、伝えられっこないのです。

 

とにかく襖絵や天井画だけでなく、建具に取り付けられている房の大きさや(帳台構というの?)、欄間の彫刻も、その大きさも何もかもが濃厚な書院を観て、廊下に出てくると「庭の能舞台って東西南北に四つあったわねぇ」とどこかのミセスの声が聞こえてきて「え?」と耳を疑った。

 

私が見た限り、外の能舞台は二つだったが。。。。。

 

ぞろぞろ行列の中をそぞろ歩いて中の作りや外の景色をきょろきょろながめているうちに錯覚を起こすのだろうか。

夫までが「能舞台は三つか四つはあった。二つってことはない。」と断言するので「えぇ~!?」となった。

 

あとで購入した本願寺グラフで確認するとやはり北能舞台と南能舞台の二つだった。

あちらの方向、こちらの方向と巡回して観ていると同じものなのか違うものなのかさえ分からなくなってくる、ここの建築はそのように、そういう錯覚を起こすことをも計算されて造られているように私には思えた。

 

とにかく飛雲閣と書院は神社仏閣や日本の伝統建築や日本画が好きな方には必見ものです。14日までの公開なので、ゼヒともこの機会をお勧めします!

 

こちらは唐門。国宝です。極彩色の門と彫刻がまた素晴らしいです。

 

 

こういう色彩を観ていると、やはり仏教はインドで発祥したのだなと素直に思います。

日本には中国を経て来ているから、やはり日本の仏教美術は独特の日本の美を醸し出していると思いますが、こういう色に触れると、インドのヨガの聖地といわれるリシケシで観たヒンズー寺院独特の極彩色を彷彿させられます。

 

もちろん私は日本の仏教美術の方がずっと格式と格調と品位が高く、そのお高くとまりすぎている“ほど”が、好きです。

 

唐門を観て、インドのこわぁいカーリー女神の色彩に似ているというのは、わたしだけやろか。

カーリー女神画像参照

http://chaichai.campur.com/indozatugaku/black.html

 

唐門(カラモン)とカーリー、どこか語呂が似ている気がしないでもなく。。。(笑)

【追記】

上記のHPより
「カーリーの語源はカーラからきている。カーラは黒、そして時間を意味する。そういえば、シヴァもまたマハーカーラという別名を持つ。マハーは「偉大なる」の意味だ。日本では大黒天の名前で知られる(「日本にもいるインドの神様」を参照)。いずれにしろ、カーラというのは最高の尊称であることは間違いない。」という記述を見つけました。

 

本願寺の唐門(カラモン)が、色彩からしてヒンズー教のカーリー女神に由来するのでは?という私の妄想的推測は案外、的がはずれていない気もしました。

 

 

御影堂は750回大遠忌法要の為に仮設増設されておりましたので、そのせいで外観は半分白いゲート口に覆われて、そのせいでテーマパークのパビリオンに見えなくもなかったのでした。

中はそれこそその法要の参拝客の為の大きなホールのようになっており、美しく整然と並べられた折りたたみ椅子やライトは、まるでコンサート会場さながら。いえ、しかしその場にある敬虔な空気は、ヨーロッパでみた古い伝統的な教会の礼拝堂さえ彷彿させました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都タワーが西本願寺の屋根越しに見えました。

「なるほどここから見ると、確かに京都タワーってロウソクに見えるね」と夫にいうと

「え?あれってロウソクだったの!?」と驚くので

「知らなかったの?」と逆に驚いたのでした。

(建てるときに景観とか問題になって蝋燭を模したとかどうとか)

子ども向け顔出し看板もありました。

ブトリ、ブトラってどういう意味なんだろう?

 

帰り道では東寺の五重塔が夕陽をバックにしていました。

 

うちに帰ってから、ふと宗教について考えてみた。

友人もちょうどmixiに宗教のことについて書いていた。

宗教に関するとても素直な心で書かれた内容で私も共感した。

反して私は「宗教」というものに対して精神的にも社会的にも存在意義を認めつつ、

もうひとつ宗教のもつ別の面も考えていた。

 

あの素晴らしい絢爛たる書院をみて、あの時代の庶民や農民達がどんな暮らしをしていたのかを思う時、あの時代にあれだけのものを造り、そこで生きた少数の選ばれし方々は、その時代の富をどれだけあそこに集中注入させたかということを。

 

人の思惑だけでできるものではない、

見えない力が働いたとはいえ、

現代のうすっぺらなスピリチュアルでは説明できない

やはりそこは一部の人々の思惑の力が多くの人を巻き込むように、

かなり強く働いたことには間違いない。

 

 

 

ふとヨーロッパの大教会を思い出した。

こちらはドイツのフライブルクの大教会。

 

 

 

こちらはフランスのストラスブールにある大教会。

 

どちらも素晴らしかった。

あの時も同じ事を考えた。

これらを建造するときに、どれだけの富と労働力をここに集中させたことか。

(多くの民からだれだけ搾取したか)

 

「政教分離」とはいうけれど

わざわざ「分離」と言挙げしなくてはならないほどに

政治と宗教は結託している。

 

宗教に政治的力(権力)がなければ

免税システムもお布施集めも信者集めもあったものではない。

 

権力(政治力)を持たずして神仏の名のもとにこれほど、その時代を代表する富と文化を結集、結晶化させることはできるはずがない。

 

おかげでその時代の技術と文化と精神性を反映させた

歴史の証拠として残る建築物が建てられるのだ

それもまた天地を想像した神や人を導く存在である仏のお計らいなのだと解釈や講釈することもできるだろうけれど....。

 

私も全面否定しない。

 

自分がその時代に生きて奴隷のように労働力として搾取されまくった人間なら、これらの富の結集に怒り出すかもしれないけれど

結局、私は今、この時代に生きて、歴史の遺産をこのように拝観させていただくことで言葉にできない感動や何かを享受しているのだから。。。。

 

 

宗教の果たす役割や機能って計り知れないな

神聖なる部分も、闇の部分も含めて....だ。

コメント   この記事についてブログを書く
« 明け方の夢 | トップ |   
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

旅日記」カテゴリの最新記事