星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

よくわからない長さ、2ヶ月ぶりという空白。

2023-02-12 23:17:54 | 日記

2月9日

 久しぶりに何か書いてみたくなる。最後に更新したのが約2ヶ月前というご無沙汰ぶりである。なんかもっと日が空いているような気がしたけれど、2ヶ月という言葉で表してみると、実はそこまででもないように感じる。でも約60日の間、ブログどころかパソコンすらまともに開いていなかったということを考えれば、やっぱり随分とご無沙汰なのかもしれない。それを指し示すかのように、タイピングの速度も朧げな具合で、頭の中で反射的に思いついた刹那的な言葉が、ウダウダとキーボードを叩いているうちにスッと消えてしまうようで、まるで自由がきかない。これだとノートに向かって手書きで文章を書いている方が早いかもしれない。いやそれは流石にない。流石にないのだが、この2ヶ月余りの期間、全く持ってブログを書くことをやめていた中で、文章を書くこと自体すらもやめていたわけではない。むしろ文章を書くこと自体はブログを書いていた時よりも積極的に行っており、そういう点では手書きの方がタイピングよりも滞りなく齟齬もなく文章を収められるような気がしているのだ。そしてその文章を書く行為は12月からのルーティンとして今も続けている。

 

 そのルーティンは、まるで偶然のように見つけたとあるYouTubeの配信者が薦めていたことで知ることになった。その名をモーニングページという。うろ覚えではあるが、この作業は自分の悩みや不安から解消されたり、自分のやりたいことなどを見つけるためにはうってつけの作業とされている。ルールは簡単で、毎朝起きたらA4ノートに3ページほどの文章を書き込むというもの。内容はなんでもOK。最近あったこととか、自分が感じる不快な気持ち、楽しいこと、やりたいこと、人には言えないこと、なんでもいい。誰かに見せるものでもないので、自由に書くのが望まれる。そしてそれを毎朝繰り返す。たったこれだけのシンプルなものだが、このA4ノートというものがまた曲者で、そう簡単に3ページも埋められない。学生の頃にお世話になったA5ノートに比べても一回り大きいこの馴染みのないA4ノートは、書いても書いてもなかなか埋まらないものだ。しかも頭の働いていない朝の時間ということもあって、文章を書き慣れていない人なら数日で挫折してしまうだろう。自分も毎日3ページ書き切るのを続けるのは流石に困難で、12月上旬から始めているこのルーティンも、今では1日1ページくらいに留めている。厳密にいうと3ページというルールもまた曖昧なものらしい。元は海外発祥の自己啓発的な類のものであり、英語で表すとA4ノート3ページがふさわしいというだけで、日本語に考えるとまた長さは変わってくるだろうし、長ければいいものでもなさそうだ。このルーティンを続けて思ったのだが毎日すればいいものでもなさそうで、一旦2、3日ほど休みを挟んで、そのあと取り組んだ方がすんなりと自分の気持ちを吐き出せたりしたりもするので、この辺は個人で自由に決めても良さそうである。

 

 それで実際やってみて、効果を実感することはあるのかという点に関してだが・・・。最初の頃は目覚ましい効果があったような気がする。自分のモヤモヤが解消されたような気がするし、与論島にいた時に感じていた不安感や気怠さは無くなったようでもある。しかしそれは与論の気候との相性がそもそも良くなかっただけかもしれないし、今ではまた環境が変わったわけだから、その時との比較はあまり参考にならないのかもしれない。でもこれを続けていて、気づけなかった自分の感情をうまく言語化できているとも思えるし、何より終わったあとは頭が聡明なものに変わっていたりもする。そして文章でびっしりと埋め尽くした、自分にしか見せられないタブーなマイナス要素の数々を見て、やりがいと共に思わず苦笑いしてしまいそうにもなる。

 

 自分は愚痴を吐いたり、無駄口を叩いたりするのが苦手で、なんなら嫌いでもある。そんな自分がカッコ悪いように思えるし、その相手になってくれる人にもなんだか頭が上がらないような気がして、ついプライドが優ってしまうわけだ。なので愚痴を吐かないように生活している。でもだからと言って、悩みごとや面倒ごとやマイナス要素から逸脱した生き方をしているわけではない。いつも何かを思っているし、それが答えになったりならなかったりして頭の中で蠢いている。自分にとってのモーニングページは、それらのモヤモヤしたものを吐き出している作業になるのだろう。壁に向かって落書きするようなものにも等しい。内容次第ではすごく嫌なことを言っているような気にもなるが、いつでもどんな時でも綺麗な自分ではいられないのが現実だったりするし、ムカついたりイライラしたり悲しんだりした時の自分をこっそりと解放してあげるような作業なのだと思うことにしている。実際そうだろうし。でも特定の誰かを乏したりすることはないようにだけ気をつけてはいるが。12月から始めて、A4ノート1冊分はすでに文字で埋め尽くしたのだが、どれだけ親しい人にも見せられるものではない気がする。だからこそ続けていく意味がありそうではあるのだけれど・・・。



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