なおこの元記事は
オールマイティにコメンテート:単騎、千里を走った先にあった国と人種を越えた人情 - livedoor Blog(ブログ)
となります。
1月28日「単騎、千里を走る。」を鑑賞してきた。
この映画は高倉健4年ぶり主演の映画で日中共同制作、
末期がんの音信不通だった息子のやろうとしていた仕事を
息子に代わり中国各地を回るストーリーである。
正直私は映画館で高倉健主演の映画を観るのはこれが初めてでした。
それも私の世代ではなかなか高倉健さん主演映画となると
世代的に孫の世代となってしまうのでこれまで縁がありませんでした。
でも私も歳を重ねる事でこういう映画も確り観る事のできる
年齢になったのかもしれません。
映画館の客層は本当に還暦過ぎたお客さんも多く、
私のような世代は殆どいなかった。
テレビなどでは
「幸せの黄色いハンカチ」
「ミスター・ベースボール」
などを観た事があったけれど、
映画館ではこの10数年で4本しか出演されていなかったので
なかなかタイミングが合いませんでした。
さてこの話なんだけれど、
まず「単騎、千里を走る。」とはどういう事なのか?
これは三国志の事を知らないと意味がわからない。
とは言っても歴史の好きでない人には
「三国志」とは何?
というので少し解説すると、
三国志とは今から1800年前の中国が舞台の話しで、
日本で言えば邪馬台国
(これは日本史の教科書で出てくる卑弥呼の時代の話)時代で、
魏、蜀、呉の3国に分かれて覇権を争った時代の話しで、
その中の蜀を建国した劉備玄徳の武将だった
関羽雲長の乗馬だった赤兎馬が1日千里を走る馬だった事にあり、
その赤兎馬が「単騎、千里を走る。」の由来である。
劉備玄徳と言えば関羽雲長、張飛益徳と桃園の誓い(義兄弟の誓い)
をし以後漢王朝から三国時代で活躍していく。
劉備玄徳の配下になった武将としては
三国時代最強の軍師を言われた三顧の礼を
もって迎えた諸葛亮孔明が有名である。
彼が残した故事には政治家もよく使う
「泣いて馬謖を切る」などがある。
詳しくは三国志を読んだ方が色々書かれているので
ここでは映画の話に戻るとする。
話しは高田剛一を演じる高倉健が、
久し振りに東京に上京し、
息子の嫁高田理恵を演じる寺島しのぶに会い、
息子の健一に会いに行くところから始まる。
そこで嫁の理恵から健一の仕事が放送されたビデオテープを渡される。
そのビデオを観てあと理恵から電話が掛かって来て
健一が余命わずかだという事を告げられ、
それをキッカケに健一が遣り残した撮影をする為に中国へと飛ぶ。
しかしそこでは想定外の事態が待ち構えていた。
ツアー会社のガイドと地元のガイドの協力で撮影に向うが、
その中に撮影しようとした俳優がいなかった。
話しではその俳優は罪を犯してしまい
刑務所に服役中という事だった。
剛一はどうしてもその俳優に「単騎、千里を走る。」
を演じてもらう為に刑務所の許可を求めて
やっとの思いで許可を得るが、
そこで待っていたのは生まれてから
1度も会った事のない息子を思い出して
「単騎、千里を走る。」を舞えなかった俳優の姿だった。
それを観た剛一はその息子と再開させる事を考え、
中国奥地へと向う事にした。
そしてその奥地では俳優の息子と出会うのだが、
その後の出来事で余命わずかの息子健一の事の思いや、
その気持ちを考える事になっていく。
これ以降は映画館で観てほしいけれど、
まず人と人との思いはなかなか伝わらない事は少なくない。
でもそれがわかった時初めて息子の考えていた事、
両親の考えていた事が解り合える時なのだと思った。
難題承知の行動についても、
人情を思ったからこその行動であり、
その行動そのものは国を越えたとしても伝わる事を示そうとしていた。
正直日本と中国では国家の主義が違う為、
日本での感覚で中国に行く事は非常に危険だ。
しかも中国の地方によっては日本人に対して反感感情の強い地域もある。
これは第2次世界大戦時の日本が中国を侵略して
大量虐殺をした事に端を発している。
民主主義と社会主義ではそれ以上の温度差もあるし、
今回の映画のように親身に接してくれるとは限らない。
それでもこの映画からは国を越え、
人種を超えた人情を伝えたかったのだと思う。
国を、人種を越えた人情がこの映画から感じ取る事ができた。
オールマイティにコメンテート:単騎、千里を走った先にあった国と人種を越えた人情 - livedoor Blog(ブログ)
となります。
1月28日「単騎、千里を走る。」を鑑賞してきた。
この映画は高倉健4年ぶり主演の映画で日中共同制作、
末期がんの音信不通だった息子のやろうとしていた仕事を
息子に代わり中国各地を回るストーリーである。
正直私は映画館で高倉健主演の映画を観るのはこれが初めてでした。
それも私の世代ではなかなか高倉健さん主演映画となると
世代的に孫の世代となってしまうのでこれまで縁がありませんでした。
でも私も歳を重ねる事でこういう映画も確り観る事のできる
年齢になったのかもしれません。
映画館の客層は本当に還暦過ぎたお客さんも多く、
私のような世代は殆どいなかった。
テレビなどでは
「幸せの黄色いハンカチ」
「ミスター・ベースボール」
などを観た事があったけれど、
映画館ではこの10数年で4本しか出演されていなかったので
なかなかタイミングが合いませんでした。
さてこの話なんだけれど、
まず「単騎、千里を走る。」とはどういう事なのか?
これは三国志の事を知らないと意味がわからない。
とは言っても歴史の好きでない人には
「三国志」とは何?
というので少し解説すると、
三国志とは今から1800年前の中国が舞台の話しで、
日本で言えば邪馬台国
(これは日本史の教科書で出てくる卑弥呼の時代の話)時代で、
魏、蜀、呉の3国に分かれて覇権を争った時代の話しで、
その中の蜀を建国した劉備玄徳の武将だった
関羽雲長の乗馬だった赤兎馬が1日千里を走る馬だった事にあり、
その赤兎馬が「単騎、千里を走る。」の由来である。
劉備玄徳と言えば関羽雲長、張飛益徳と桃園の誓い(義兄弟の誓い)
をし以後漢王朝から三国時代で活躍していく。
劉備玄徳の配下になった武将としては
三国時代最強の軍師を言われた三顧の礼を
もって迎えた諸葛亮孔明が有名である。
彼が残した故事には政治家もよく使う
「泣いて馬謖を切る」などがある。
詳しくは三国志を読んだ方が色々書かれているので
ここでは映画の話に戻るとする。
話しは高田剛一を演じる高倉健が、
久し振りに東京に上京し、
息子の嫁高田理恵を演じる寺島しのぶに会い、
息子の健一に会いに行くところから始まる。
そこで嫁の理恵から健一の仕事が放送されたビデオテープを渡される。
そのビデオを観てあと理恵から電話が掛かって来て
健一が余命わずかだという事を告げられ、
それをキッカケに健一が遣り残した撮影をする為に中国へと飛ぶ。
しかしそこでは想定外の事態が待ち構えていた。
ツアー会社のガイドと地元のガイドの協力で撮影に向うが、
その中に撮影しようとした俳優がいなかった。
話しではその俳優は罪を犯してしまい
刑務所に服役中という事だった。
剛一はどうしてもその俳優に「単騎、千里を走る。」
を演じてもらう為に刑務所の許可を求めて
やっとの思いで許可を得るが、
そこで待っていたのは生まれてから
1度も会った事のない息子を思い出して
「単騎、千里を走る。」を舞えなかった俳優の姿だった。
それを観た剛一はその息子と再開させる事を考え、
中国奥地へと向う事にした。
そしてその奥地では俳優の息子と出会うのだが、
その後の出来事で余命わずかの息子健一の事の思いや、
その気持ちを考える事になっていく。
これ以降は映画館で観てほしいけれど、
まず人と人との思いはなかなか伝わらない事は少なくない。
でもそれがわかった時初めて息子の考えていた事、
両親の考えていた事が解り合える時なのだと思った。
難題承知の行動についても、
人情を思ったからこその行動であり、
その行動そのものは国を越えたとしても伝わる事を示そうとしていた。
正直日本と中国では国家の主義が違う為、
日本での感覚で中国に行く事は非常に危険だ。
しかも中国の地方によっては日本人に対して反感感情の強い地域もある。
これは第2次世界大戦時の日本が中国を侵略して
大量虐殺をした事に端を発している。
民主主義と社会主義ではそれ以上の温度差もあるし、
今回の映画のように親身に接してくれるとは限らない。
それでもこの映画からは国を越え、
人種を超えた人情を伝えたかったのだと思う。
国を、人種を越えた人情がこの映画から感じ取る事ができた。
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