オールマイティにコメンテート(gooblog版)

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「きみにしか聞こえない」自分らしさを取り戻した運命の人とのファンタジーストーリー(gooブログ版)

2008-01-27 13:45:57 | 映画記事
なおこの元記事は

オールマイティにコメンテート「きみにしか聞こえない」自分らしさを取り戻してくれた運命の人との心のファンタジーストーリー - livedoor Blog(ブログ)

となります。

16日公開の映画「きみにしか聞こえない」を鑑賞した。

この映画は乙一原作「きみにしか聞こえない」を

映画化した作品で携帯電話を持たない

女子高生がある日拾ったおもちゃの携帯が

突然繋がりそれ以降心の携帯として

見ず知らずの相手と話し合ううちに

惹かれていく心のファンタジーラブストーリーである。

数多くの時空ファンタジーを描かれているが、

このファンタジー作品は心の大切さ、

そして自分の存在を見つめるストーリーとして

自分らしさを見つけていくことになる。

数多くのファンタジー作品があるけれど、

今回の作品については昨年の今頃公開された

「タイヨウのうた」に匹敵するほど

心と気持ちを大切に描かれ、生きる事、

自分の存在を教えてくれる作品だ。

他にも大作が多かったもののもし1つしか

観る事ができないならこの作品を絶対薦めたい。

とくに自分らしさを見つけられないでいる人は

是非観てほしいと思う。

携帯電話が当たり前になった今、

携帯なしで生活できますか?

と問われたらあなたはどう答えるだろうか?

私の場合は元々電話が苦手で実際携帯電話は

必要ないものと感じていたので、

今でこそ持っているけれど、

個人的にはなくても生活できる。

ただパソコンはないと生活できないなあ・・・

ストーリーを振り返りながら自分らしさとは?

そしてその運命とは?

についてレビューしていきたいと思う。

キャスト

小さい頃はピアノを弾いていたが、

ある事がキッカケでピアノを辞めてしまい、

友達とも上手く話せなくなって友達もいない。

ある日心の携帯から見知らぬ声が聞こえて

次第に自分らしさを取り戻していく

相原リョウ演じる成海璃子

5歳の時に耳が聞こえなくなり声と音を失った。

今は高校を卒業してリサイクルショップで

働き色々な物を修理している。

ある日突然繋がった心の携帯でリョウと

会話するうちにリョウに会いに行く事になる

野崎シンヤ演じる小出恵介

もう1人リョウと繋がる相手でリョウに

色々なアドバイスと相談に乗る。

その相手は・・・原田演じる片瀬那奈

シンヤの祖母で両親と兄弟を亡くした

シンヤを引き取り2人長野で

暮らしていた野崎サチ演じる八千草薫

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

わたしは相原リョウ、両親と妹と横浜の高台に住んでいる。

内気で友だちのいないわたしはケイタイも持っていない。

でもある日、公園でおもちゃのケイタイを拾う。

翌日、保健室で休んでいると着信音が鳴って、

若い男の人の声が聞こえてきた!

こうして、わたしとシンヤさんは、つながった。

長野でおばあさまと暮らしているシンヤさんは、

この春に高校を卒業して、

今はリサイクルショップで働いている。

すぐにわたしたちは、

ケイタイがなくても〈電話〉できるようになる。

シンヤさんにかけたはずの〈電話〉に女の人が出る。

わたしより10歳年上の原田さんというその人は、

「久しぶりなの、頭のケイタイ。ちょっと驚いた」

と言いながらも、話し相手になってくれる。

わたしは国語の朗読が苦手だ。

「わたし、何か話そうとすると、緊張して、こもって、

声がかすれて、裏返って、それで結局、笑われる。

きっと、誰とも話したくない、関わりたくないと思って、

ずっと声を出さないでいるうちに、

退化しちゃったんだと思う」とシンヤさんに言うと、

シンヤさんは

「そんなことない。君の声はちゃんと出るよ」と言う。

でもそれは慰めにしか思えなくて、

「シンヤさんにはわからない。わたしなんて、

いなくなっちゃえばいい!」と、泣いてしまう。

そのとき、シンヤさんが週末のデートに誘ってくれた。

シンヤさんが中2まで住んでいた鎌倉を、

〈電話〉で道案内してくれる。

わたしはシンヤさんとお喋りしながら、

ひとりで鎌倉を歩く。

そのとき、小学校2年生のピアノの発表会で

友だちの陰口に傷ついたことを話す。

シンヤさんは、

「リョウはいつだって真剣に人の言葉と

向き合っているんだ。僕はすごく好きだけどな、

リョウの声も、リョウの言葉も」

と言ってくれる。

シンヤさんに言われるまま、

戸田のおじさんから荷物を受け取る。

戸田さんは、

「小さい頃からほんとに変わった奴でさ。

ガラクタを拾ってきては何日もかけて直して、

で、ほしい奴がいると、

さっさとタダであげちゃうんだ。

直したものは、

直してくれた人のことずっと覚えているんだとさ。

だから修理するのが好き、別れも辛くない、

みたいなこと言ってたな。

俺はアレ、よくわからないからさ」

と、教えてくれた。それから、

シンヤさんが大好きな場所、海岸に行く。

荷物には、シンヤさんが修理した古い

ミニラジカセと手紙が入っていて、

「このテープに君の声を録音して、送ってほしいんだ」

と書いてある。

わたしは海に向かって、ありったけの大声を出す。

「シンヤさーん、聞こえますかー。夏になったら、

あなたに会いたいでーす!」

こうしてわたしはシンヤさんに励まされて、

少しずつ変わっていく。

先生に朗読を褒められたし、

長いこと近寄らなかったピアノも弾いてみる。

そして、シンヤさんが、次の週末に東京に来ることに!

待ち合わせは、3時に駅の改札。バス停に向かっていると、

久しぶりに原田さんから〈電話〉がかかってくる。

シンヤさんに会うことを伝えると、

「ねえ、リョウさん、これだけは覚えていて。

あなたなら、乗り越えられる。

これからどんなことがあっても……」と、

原田さんは奇妙なことを言う。

バスが渋滞にはまる。

シンヤさんが停留所で待っていてくれることになった。

わたしはゆっくりバスから降りて、

道を渡る。そのとき……。

以上公式HPストーリーより

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとして運命と向き合う、

自分らしさを見つけていくリョウを確り描かれていた。

今の時代携帯さえあれば誰とでも

繋がり話せる時代となった今、

本当に繋がる大切さを描いた事は

本当に大切な人は誰ですか?

そして本当に繋がる心とは何ですか?

と問いかけてくれている。

冒頭でも書いたけれど、

私自身携帯がなくても正直仕事以外では困らないし、

正直なくても良いと思う事が多い。

その理由はこのストーリーに出てくる

主人公相原リョウのように友達がいないからでもあるし、

話す相手が少ないからでもある。

だからって誰も話す相手がいないという訳ではなく、

本当に話したい相手であれば会って話したいと思う。

その方が離れて話すより通じ合えるし、解り合える。

「Dear Friends-ディアフレンズ-」で

友達不要論を唱えた私として本当に必要な人とは?

と疑問定義し、投げかけたが、

このストーリーも本当に話せる相手が

リョウにもシンヤには身近にいなかった。

でもある日突然繋がった頭の携帯というべき

心の携帯で繋がった事で今まで自身を持てなかった事でも

自信を持てるようになっていく事になる。

正直友達なんていい加減な事しか言わないけれど、

友達以上の存在はそうじゃない。

確り耳を傾けて真剣にその人の言いたい意味を、

そしてその人の気持ちを受け止めようとしてくれる。

そういう人こそ本当に必要なんだという事を

ファンタジーでありながらも人との

心の通じ合いをこれほど上手く描かれた作品もないだろう。

そして2人は話していくうちに次第に

お互いのコンプレックスについて話すようになる。

リョウは自分らしさを失ってからは孤独の中にいた。

私もリョウみたいな経験をしているので、

リョウの気持ちって自分の過去に当てはめていたけれど、

自分を話せないと段々自分に自信を持てなくなって、

次第に周りは他愛もない事を言っても

それが悪い事に聞こえてしまい

自分の殻に閉じこもってしまう。

自分らしさとは人それぞれ違うので

一概には言えないものの、

自分はこうありたい!

自分はこうなんだ!

という自分の考えを確り言える事が必要なんだと思う。

最近は自分の考えで言葉を話している人って

どれ位いるだろうか?

誰かの意見に流されていないだろうか?

意見をアッサリ変える人は自分がない人であり、

意見を簡単には変えない人は

自分を持っている人なのだという事だ。

ただその自分らしさに気づかない人は多いし、

その自分らしさに導いてくれる人は

運命の人との出会いで自分らしさを見つける事ができる。

シンヤも耳が聞こえず言葉も話せない。

でもある日突然繋がったリョウとの

心の携帯で自分らしさを次第に見つけていく。

その交流の中にもう1人リョウに

話しかけて繋がる人がいた。

その人は原田さんという10歳年上の女性で

的確なアドバイスをリョウにしてくれる人だった。

決して何かを変えてあげようというわけでなく、

何かに導こうという訳じゃない。

しかしその言葉にはリョウにこれからの

生きる道を歩んだアドバイスというべき事でもあった。

この答えは劇場にあるので答えは劇場で観てほしい。

そしてついにリョウとシンヤの出会う日に

2人は出会う約束をする。

ただこの心の携帯はリョウとシンヤの間に

1時間の時差があった。

その時差を利用してリョウが先に回り、

シンヤが後から追いかける。

これはイルマーレの短縮版になるのだが、

この時差が思わぬ結末へと導いていく。

そしてついに出会ったその時・・・

これ以降は劇場で観てほしいけれど、

今回の総評として、

運命は変える事はできないものなのだという事を

確り描かれた事が非常に良かった。

仮に運命を知ったとしてもその運命には

逆らえないものだろうし、

その運命に悔いない事であればその運命に

向かっていく事の大切さを確り描いた。

多分その運命を知ったとしてもやはり向かうだろう。

それで何かを直せるのなら・・・

何かを助けられるなら・・・

そしてその心の携帯の行方が

「私を、ちゃんと言おう。」

「きみの運命に、会いに行く。」

へと繋がっていった。

1時間というキーワードが

そこでようやく繋がる訳だけれど、

これはいわゆる神様が与えた愛の1時間だったのだな・・・

と私自身は結論付ける。

自分らしさを取り戻すキッカケを導いてくれた

シンヤはリョウの中で10年経ても

強く残って自分らしい生き方をしていける事を

リョウは未来に知る事になっていく・・・

もしその事ができるなら私ならやはり

「自分らしく生きろ!」って言うだろう。

10年前の私を思い出しながら・・・

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