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Seffer / Cahen来日記念特集

初期MAGMAを支えZAOで活躍するヨシコ・セファーとファントン・カーンの2005年2月来日関連の情報を提供します

フランソワ・カーンのこと by Taiqui

2005-02-16 | 2005.2来日
かの巨漢。黙って座っていれば(や・巨漢ゆえに)イタリアンマフィアとも見まごうその外見とは裏腹にとってもセンシティヴなヤツ!(でないとあんな音出てこないよ)

巨匠なのに尊大でない〔巨匠すぎるゆえの余裕か?)むしろとてもひとなつこい面も。しかし「音に妥協はない」。

大阪セッションのあとでようやく少しだけ会話。彼前回も確かこれ言ってたが、今回もまたひとしきり「コルトレーンは死なずだ!」と。至極同感である。「そう・・・コルトレーンというのはもはや人格を越えたひとつの精神だからね」と私は返答しかけて、うまく話せずに固まってしまう・・・そう私は英語も仏語もからきしどうにもならないのですね。(涙)そこに畳みかけるように「非常に興味深いストーリーというのは」と彼。私がなにがしかそのハナシを理解したと判断しての続きか?「何かを残すこと。語り継がれるということだ」そういう意味〔多分―のことを独白のように語りかけてくる。そう・・・こころに染み渡るようにね。やはり老境を間近に控えての心境か?

彼は渋いだけの人ではない。海千山千のハッタリをかますパフォーマーでもない。その音へ向うひたむきで純粋な真摯さ。それが彼の人間性であり、すなわち彼の音そのものなのだ。そういったことを考えて昨夜はおそく帰宅後に初期マグマのひっそりとした小品「Claus conbalad」を、ヘッドフォンで聴いた。私はなんてことのないこの小品がとても好きだ。何故か60年代の終り頃の湿ったような時代感覚が色濃く残るチューン。そうして昨日のブリッジでは大阪の風景を異化しうるだけのエネルギーが込められていた。なにか論理では捉えきれない不思議な存在。そう非常に精神的な。その意味でカーンもまたひとつのスピリチュアルな存在たりえてるのではないか?そんなことをつらつら考えながら、ライブの疲れも相俟って昨夜は非常に浅い眠りについた。

一夜あけてしまうと今日はもう日常の渦の中。昨夜の大阪の夢もはかなく彼方に消えてかの巨漢もきっともう既にパリの雑踏のなかなのだろう。人生とは不思議なものだ。生きていてまさかの接点が点でつながった昨夜のステージ。その現場に居合わせたこと自体がドラマだった。

個人的セッション雑感については、こちらhttp://ainsoph.blogtribe.org/にも書いたので是非観て下さい。

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