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Seffer / Cahen来日記念特集

初期MAGMAを支えZAOで活躍するヨシコ・セファーとファントン・カーンの2005年2月来日関連の情報を提供します

連載: 日本への軌跡10

2005-02-18 | 日本への軌跡
2004年にZAOが来日して帰国する時に空港でFatonが「次はいつ日本に呼んでくれるんだ。」と尋ねた。「すぐにね。」とぼくは即座に答えた。Fatonは怪訝な顔をした。「リップサービスかよ」と思ったのだろう。でもぼくにはプランがあった。Neffesh Musicを生で聴いてみたいと思ったからだ。ZAO来日時にセファーに「ストリングスを用意するからNeffeshを演奏してもらえないか。新曲も作曲してくれるといいのだけど。」と打診したところ、ポジティブな答えが返ってきていたからだ。フランスに帰った後もやりとりを続けて、6ヶ月後にプランは実現した。 (続く)

連載: 日本への軌跡9

2005-02-10 | 日本への軌跡
多分、ZAO来日が実現したのはインターネットの普及が大きく影響していると思う。1997年当時は、セファーやカーンはemailを持っていなかったが、現在はカーンから頻繁にメールが来る。パリの自宅に拉致せんばかりに熱烈だった97年のカーンのラブコールが続かなかったのは、ファックスでのろのろやりとりしていたからだろう。メールによってコミュニケーションが容易になり、来日するミュージシャンが増加した、というのポセイドンに関しては明らかだ。

2004年に来日したZAOはのラインナップはこれ。

Yochk'o Seffer ヨシコ・セファー: saxophone (ex-Magma)
Francois Cahen フランソワ・カーン: keyboards (ex-Magma)
Francois Causse フランソワ・コース: drums (ex-Magma, ex-P.M.Gong)
Gerard Prevost ジェラルド・プレヴォー: bass (Zao)
Cynthia Saint Ville シンシア・サン・ビル: vocal 
東京公演ゲスト 壷井彰久(vln, from KBB)

当初ドラマーはアルバムで演奏しているジャン・ミ・トロンの予定だったが奥さんの出産がこの時期にあたり、ライブではよく叩いていたフランソワ・コーズになった。ヴォーカリストのシンシアは新人。ライブを見た方は、ヴォーカリストを含むラインナップの素晴らしさが理解出来たと思う。

2004年にはZAOは、Tritonに二回出演している。一度目は来日前の予行演習ライブとして、二度目はTritonフェスティバルの目玉として。この二回は、来日ツアー用にリハーサルしたから出来たものだ。しかし、それ以外の活動はない。

ぼくは世界中のライブを見て、いい演奏ができるバンドを呼んでいる。外タレだからチケットは高いけど、ミュージシャンのネームバリューじゃなくて、それに見合ういい演奏が大切だと考えているからだ。そのためには現役で活動していることは重要だ。だがZAOは、活動していなかった。70年代に活動を停止してから、1994年と1997年に再編ライブをやっているものの、継続的な活動はない。それでも招聘したのは、1997年にZAOを見て短期間のリハーサルで蘇らすことが可能だと確信していたからだ。2004年のZAOは日本ツアーをご覧になった方は、結果についてはご存じだろう。凡百の再編バンドとは比べものにならない現役バリバリの音だった。 (続く)

連載: 日本への軌跡8

2005-01-23 | 日本への軌跡
こちらの予算を正直に話して払える金額をオファーしたところ、一発OKだった。カーンにしてみると、ZAOとして演奏したいのはやまやまだけど、活動するのは日本を資金源にする他に道はなかった。フランスでライブをやっても、多分リハーサルスタジオ代が出る程度の収入しか見込めないのではないか。これでは他のメンバーにギャラを払って巻き込めない。来日費用で足りない分は、カーンが音楽関係の協会から援助を受けた。交渉の途中でMuseaは手を引いてしまった。「カーンがいろいろ要求してきてタマラン」と途方に暮れていた。なにしろフランスの狸オヤジ相手の交渉だから一筋縄ではいかない。だから、しばらくほっておいたのだ。

連載: 日本への軌跡7

2005-01-05 | 日本への軌跡
ZAO来日に関しては、パフォーマンスやマネジメントには不安材料がないので、ほっておいた。しばらくすると、カーンが我慢できなくなりMuseaを窓口に依頼して、来日交渉が始まった。何度も会って信頼は得ているし、97年当時とは違ってこちらにも実績がある。残るポイントは金だけだった。予想通り高額の予算を提示してきた。プロのミュージシャンが、リハーサルをして来日する全ての経費が事細かに計上されていた。現在活動していないバンドが来日するには、ホントにこれだけかかるのだが、入場料収入ではペイできそうもない膨大な予算案だった。(続く)

連載: 日本への軌跡6

2005-01-03 | 日本への軌跡
Tritonのフェスティバルに出演したEthnic TrioはセファーとカーンとZAOとして来日したフランソワ・コーズの三人組。ZAOとEthnic Duoの中間のような、ジャズロックを演奏していた。再開したカーンとセファーはいい具合に年を重ね、相変わらずなんともいないいい味を出していた。どちらからともなくZAOをやろう、という話になる。セファーはもう大学の講師を辞めていたから時間の問題はない。この連中なら、リハーサルさえすれば現役の音が出せるから、音楽的には不安はない。後は細部を詰めるだけだった。 (続く)

連載: 日本への軌跡5

2004-12-30 | 日本への軌跡
2003年の春に久しぶりにセファーとカーンに会った。パリのTritonで開催されたZeuhlとCanterburyをテーマにしたフェスティバルだった。このフェスティバル、古くからのフランス人の友人がアドバイザーだったので、なんといいうかやりたい放題の豪華メンバーだった。Zeuhlでは、Offering, Ethnic Trio, Ad Vitam, We Insist!, Guapo, One Shot, Nebelnest, Sotosが、Canterburyでは、Richard Sinclair, In Cahoots, Hugh Hopper, David Allen, John Greaves, Pip Pile's Bashが、それからMats Morganが出演した。会場は新宿ピットインくらいのサイズのライブハウスで20回の公演が行われた。オファリングは5回出演したけど、そのほかは各1回。友人によると、これはパリ初のプログレフェスだそうだ。 (続く)

連載: 日本への軌跡 番外編

2004-12-24 | 日本への軌跡
余談なので番外編なのだが、このときの旅は実り多く、セファーのライブ、ヤニック・トップのSTSのライブを見て、マグマ、ユニヴェル・ゼロ関係の人たち延べ15人くらいとミーティングした。そのときの成果の一つが、1988年のボンデージフルーツとプレザンのヨーロッパ・ジョイント・ツアー。ZAOのほか、ユニヴェル・ゼロ、プレザン、STS、ペルナール・パガノッティ、リシャール・ピナスなど多数のZeuhl系ミュージシャンの来日やCD制作プロジェクトを今でも進めている。(続く)

連載: 日本への軌跡4

2004-12-22 | 日本への軌跡
ZAOとして日本に行きたい、という話だった。シビバタのバックバンドで日本に一ヶ月行ったときは楽しかったなあ、などと言う。これはシルビー・バルタンのこと。メジャーじゃないか。うーん、ZAOはそんなに人気ないしとか、経費かかるし、とか渋るぼくに、じゃあライブ録音してリリースして経費を捻出しよう、などなどいろいろ提案してきて、それは熱烈なラブコールだった。しまいには、「どーしてオマエはそんなにペシミストなんだ」と言い出すカーンに、「いやぼくはリアリストなんだ」と切り替えしたときに笑い出した奥さんのクララには、その後ずいぶんお世話になる。このときは、経費が足りないのでカーンがフランスで援助を申請しよう、ということになったけど、その後ではやりとりはあまりなかった。セファーが大学で教えていて休みが少ないことも問題であったように思う。(続く)

連載: 日本への軌跡3

2004-12-19 | 日本への軌跡
セファーのライブを見た時には、カーンと話をしたことはなかった。ライブの夜、ホテルに帰るとカーンから電話があった。すぐに会ってビジネスの話をしたいという。翌日帰国の予定だったので、組んであった予定を変更して翌朝ホテルに迎えに来てもらい、半日カーンの自宅でミーティングをした。今でもそうだが、芸術家肌で先のことなんか考えていないように見えるセファーに対して、カーンはアクティブに様々なことをプランニングし積極的に外部にアプローチしている。 (続く)

連載: 日本への軌跡2

2004-12-17 | 日本への軌跡
次にセファーに会ったのは、翌年彼が音楽生活25周年記念ライブをパリでやったとき。パリのNew Morningという新宿ピットインくらいのサイズのライブハウスで、7つか8つのフォーマットで演奏した。ZAO、パーセプション、娘のデボラとのデュオ、サックスカルテット、そのほかいろいろあった。Magmaのクリスチャン・ヴァンデが飛び入りする、という噂が流れたが、結局来なかった。ライブは全部よかったけど、やっぱりZAOは白眉だった。音がまるで現役なんでびっくりした。最近は再編するバンドが多いが、ほとんどの場合かつてのエネルギーが失われているが、ZAOはそれがまるでなかった。 (続く)

連載: 日本への軌跡1

2004-12-16 | 日本への軌跡
1997年冬、フランス人の手引きでパリのセファーの家を訪れた。これがそもそもの始まり。ほんのちょっとしか英語が話せないセファーと、フランス語は単語を10くらい知っているだけのぼくの間では会話は成り立たず、ポセイドンもまだたいして活動していなかったから、セファーは日本からファンが来た、くらいに思っていたのではないだろうか。セファーはいろいろな意味でアーティスト的な雰囲気の強い人で、自作した楽器や描いた絵を見せてくれた。自宅の内装も自分でデザインしていて、ロジャーディーンのジャケットみたいなふわふわしたインテリアだったことを覚えている。(続く)