#中村彝 新着一覧
中村彝とマネ
中村彝とマネとの関連はこれまであまり言及されることはなかった。それは彝が、ルノワールやセザンヌへの傾倒を書簡などで盛んに述べるのに比べて、マネについては、ほとんど語っていないからかもし...
中村彝「泉のほとり」と『古事記』をめぐる関連書簡
中村彝の「泉のほとり 」は、単に「泉」とも画家自身によって(省略的に)呼ばれていた作品で、かつて今村繁三の所蔵で...
中村彝の書簡に「ピュールテ」の語の使用例
かつて私は、『藝術の無限感』の中の「中原悌二郎君を憶ふ」に「レピュテ」なる語が出てくるが...
中村彝の書簡、「けれど私のソーニアは何処へ…」
中村彝の友人洲崎義郎の著書『洲崎義郎回想録 進歩と平和への希求』(1984)の中に大正11年ころに撮られた家族写...
中村彝の洲崎義郎宛書簡(大正9年1月18日)《きい》か《トウ》か、それとも…(続き3)
中村彝の洲崎義郎宛、大正8年6月18日の書簡で、彝はそこに出てくる婆やを、「奴」とか「彼...
中村彝の洲崎義郎宛書簡(大正9年1月18日)《きい》か《トウ》か、それとも…(続き)
前回のこの記事で、標記の大正9年1月18日の書簡に出てくる腎臓病で倒れた「ばァや」は、「...
中村彝の洲崎宛書簡(大正9年1月18日)《きい》か《トウ》か、それとも…
大正9年1月18日に書いたと推定される中村彝の書簡は、その内容がきわめて重要なものながら...
中村彝「洲崎義郎氏の肖像」左手の描写(再論)
標記の作について、私はかつてレンブラントの「ヤン・シックスの肖像」との関連を指摘したことがある。 ①何れも画家の友人を描いた作品であり...
中村彝の手紙の断簡(続き)、断簡を繋いでみる
広瀬君や中原君 はどうして居るかしら どうか消息を知らせ 下さい ...
中村彝の手紙の断簡、年代の推定
茨城県近代美術館に中村彝の手紙の断片、すなわち断簡がある。伊藤隆三郎宛の手紙の最後の...
中村彝の洲崎義郎宛書簡、2通の手紙の共通性と連続性(訂正版)
中村彝の洲崎義郎宛書簡において「おばさん」とか「をばさん」などは、岡崎きいを指すこと...