震災のことは決して忘れないけれど
普段はあまり思いだしたくない
が忘れたいことは脳は何年たっても覚えている
転勤で行った関西で住居は「摂津本山」というところに借りていただきました
東灘区本山南町
高速道路が傾いた辺りのもう少し山手方面のマンションでした
マンションは【全壊】 その中にいました
自衛隊の人が来てすごい力でがれきを持ち上げ助けてくれたこと
外に出たらマンションの下の土が盛り上がっていて
エレベーターを境にマンションは裂けていたこと
一軒家はほとんどつぶれていて、つぶれた屋根の下から声が聞こえたこと
この後、かなりの放心状態が続いて。。。
時間を経て
仕事に復帰はしたが、営業職から一時外れた
揺れるのが怖くて、電車にも乗れない、飛行機にも乗れない
薬品会社に勤務しているSさんの紹介で夙川にある心療内科に一年通院した
会社側から「どうしても台湾出張に行って欲しい」と言われ
診療所の先生に「私、機内で叫びだすかも知れない。台湾まで行っても帰ってくる自信がない」
などと相談すると「その時は僕が迎えに行ってあげましょう」と背中を押され台湾へ。。。。。
安定剤を飲み、搭乗口でやはりドキドキしてきて頓服を飲み
それからの出張は薬と飲んだ後の気持ち悪さケダルサとの戦い
その頃の記憶の紐は国内線、千歳→伊丹 離陸直前に降りました(限界だった)
20年
現在、東京勤務
多少の揺れでも怖い
エレベーター、地下鉄、飛行機、微妙に怖い
御守代わりの安定剤はいつも一緒
極度の閉所恐怖症とは一生のおつきあいにはなりましたが
上手につきあえば良いということも学んで
神戸の方々にはというか関西の方々には大変お世話になりました
何せ、ほとんど無くなってしまったので
スーパーのビニール袋をバッグ代わりに使っていた
ほんと何にもなかった
あっという間の20年 POPO