ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■ 犬ヶ島 (2018)

2018年05月31日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
たわいない話しだが、ウェス.アンダーソン監督らしい造形と色彩の規律美は良質のアートの域に達しワンカットたりとも飽きさせない。人間は日本語で犬は英語という“線引き”も効果的で、アタリ少年(コーユー・ランキン)のつたない日本語を始め声優(スカーレット・ヨハンソンの艶めかしいこと!)の個性が光る。

劇判に至っては日本人のDNAがざわつかないはずがない。

ところで「人間は日本語で犬は英語」というコミュニケーションのギャップ遊びは、「愚かな人間とそれを救うヒーロー」というアメリカ人の異民族に対する隠れた優越意識の表れだ、などと野暮なことは、とりあえずこの場では言いません。

それよりも、アメリカ人は字幕の付いた映画を敬遠すると聞いたことがありますが、はたして本国版には英語の字幕が付いているのでしょうか。一方、日本語吹き替え版では、この“線引き”は無視されているのでしょうか。そんなことが、ちょとだけ気になりました。

(5月28日/TOHOシネマズ)

★★★★
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■ 春の夢 (1960)

2018年05月28日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
発端はお屋敷に招き入れらえた焼き芋屋! キャラの立った人物たちがエキセントリックな言説を吐きながら、限定空間に入れ替わり立ち替わり現れて話がどんどん転りどこへ行きつくやら・・・身分、労使、貧富、恋愛の合理とナンセンスが巧みに絡み合う見事な群像劇。

公開は1960年1月3日。世は言わずと知れた60年安保闘争に端を発した左右激突の時代。ことの発端が、内心バラバラな資本家家族(小沢栄太郎/東山千栄子)の豪邸に、下働きの酒屋の兄ちゃん(小坂一也)やお手伝いさん(十朱幸代/中村メイコ)たちによって招き入れられた下層労働者の焼き芋屋の爺さん(笠智衆)とは・・・なんだか安保の時代を象徴したアイロニーにも見えました。エンタメをエンタメで終わらせない木下恵介の矜持の証しでしょうか。

資本家一族の男たちが右往左往-長男(河津裕介)は頭でっかち。社長は途中で別荘に逃避-するのに比べて、お手伝いさんから、一族の娘たち(岡田茉莉子/丹阿弥谷津子)、会社関係者(久我美子/荒木道子)、アパートの住人(賀原夏子/藤山陽子/菅井きん)まで、女たちはみんな明確な意志を持ち、それを貫こうとします。意志の成否や善悪は別にして彼女たちはみな人間的で魅力的です。

私は、隠れた狂言回しの役を務めて身分、労使、貧富、恋愛の間を取り持ちながら心揺れ動く知的でキュートなメガネ女子、久我美子さんに心射抜かれました。

で、そんな女性たち全員に資本家一家の影のボス(東山千栄子)によって、それぞれの“春の夢”がプレゼンされるわけですね。デモ隊がスクリーンのなかで気勢を上げるロマンチックコメディ・・・騒然と混沌のなかに次の夢の萌芽を匂わせる1960年ならではの“粋”なエンタメ映画でした。

(5月24日/シネマヴェーラ渋谷)

★★★★
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■ 河口 (1961)

2018年05月27日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
金のために我が身を利用しながら岡田茉莉子が性的な匂いをまったく漂わせないのは中村登の瑕疵だろうか。それとも、彼女が芸者や水商売ではなくカタチだけとはいえ事業家(淑女)だからだろうか。山村聰との関係は、奔放なくせいにうぶなタレントと沈着冷静なマネージャーのようだ。

回想から始まって、物語(事態)の転機にはモノローグに沿って岡田茉莉子が、波打ちぎわやビルの谷間を歩く(彷徨)するシーンが頻繁に挿入されるのだが、その行きついた先が大海に臨む「河口」ということなのだろう。

古風にしろドライにしろ、抒情的にしろ打算的にしろ、いずれにせよ李枝の「女性像」の機微が時間と心情の流れのなかに立ちあらわれてこないのがもどかしかった。


(5月24日/シネマヴェーラ渋谷)

★★★
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■ モリのいる場所 (2017)

2018年05月26日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
唐突なナンセンスギャグも、ベタな“謎の男”も、苦笑いでやりすごせてしまうチャーミングな小品。老画家(山崎努)は決して奇人や変人ではないし偏屈者でもない。そして、マネージャーのように立ち回る常識人の妻(樹木希林)は「守るべきもの」がなんであるかをわきまえている。

守るべきものとは「自然体」だ。

決して無理をせず、思うがままに時を過ごし、日々をおくる。そんな生活を続けることがどんなに難しいか。世間のしがらみは決して「自然体」で過ごすことを許してはくれない。「自然体」でいること、あるいは、いようとするだけで、たちまち摩擦が生じることを、私たちは経験上知っていいる。

当然、老夫婦の生活は世間の常識とずいぶんズレているようにみえる。でも、そのズレの原因は、老夫婦の側にあるのではなく、世間(私たち)のしがらみの深さに起因しているのだ。

老夫婦の、おだやかな抵抗を、みんないつしか自然に受け入れてしまうのは、世間(私たち)の誰もが彼らのような「自然体」に憧れているからだろう。だから、ふたりの肩の力の抜けた生活ぶりは、ファンタジーのようにチャーミングなのだ。

(5月23日/イオンシネマ)

★★★★
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■ フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法 (2017)

2018年05月22日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
目もくらむ青空の下、パステルカラーで見たくないものを塗り潰した世界を、見たくないものの存在すらまだ知らない子供たちが闊歩する。その芝居っ気のない暴走を、放置する母親を倫理で責める虚しさ、それでも見捨てない管理人(ウィレム・デフォー)の良心。そんな嘘のなさが救い。

まったく違うタイプの映画を思い出していた。すさまじい貧困のなか労働と遊びが同化した子供たちが活写されるドキュメンタリー『三姉妹~雲南の子』。作られた繁栄(平和)の象徴としてパステルカラーの住宅に彩られた街並が印象的なファンタジー『シザーハンズ』。

それは、繁栄の裏に潜在する貧困のなかにも幸福は確実に存在するという現実(「三姉妹~雲南の子」)と、排除された異物を人はどうすれば受け入れられるかという課題(「シザーハンズ」)に対して、この映画が真摯に向き合っていたからだと思う。

祈るような視線で子供たちを追うラストシークエンスに、作者ショーン・ベイカーの“決して見失うまい”という願いを感じた。

(5月18日/ヒューマントラスト渋谷)

★★★★
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