当時の教団に馴染まなかった良寛さんを
教団の偉い人はどんなふうに書いているのだろうか?
知りたくて購入しました。
著者板橋興宗(いたばしこうしゅう)さんは金沢でけっこう有名な人でした。
曹洞宗・大乗寺の山主から大本山總持寺貫主に。
私が二十歳前後の頃、今よりも悩み多き頃2、3度金沢市大乗寺の参禅会に行った事があります。
その頃著者をお見かけしたのかも知れないし新聞等で見たのかも知れませんが著者の顔が脳裏に浮かびます。
こういう人は総じてパワフルで元気ですね。
元気でないと修行僧の指導も出来ないし修行のお手本になりません。
そして書も文も絵も描かけないといけない。
良寛さんは書や絵を描いたが多くの修行僧の指導も見本になるような事はしていないようだ?
長年、食べるものが無くなると小さな庵から托鉢に出る、乞われれば書画を描く。
子供と遊び、村人とお酒も飲む。
あれはお百姓の忙しいときも、物をねだりながら風雅を楽しんだ乞食坊主じゃないのか。
また、毛書がすばらしいから誰も問題にしないが、曹洞禅からみれば失敗者、落伍者に過ぎない。
また、良寛さんは禅によって悟らなかった、そのために人間味がにじみ出て親しみを感じ、われわれと同じ基盤で仰がれるとか様々な論評があると書かれているようです。
しかし没後150年以上経ってもなぜ良寛さんは慕われるのでしょうか。
板橋貫主は良寛さんを「心身脱落」した人と捉えています。
「今までに、良寛研究の本や論文は驚くほど沢山あります。しかし、良寛さんの本質を、翻身の機による「解脱」ということに焦点を合わせて理解している人は、殆ど見あたりませんでした。」本文より
良寛さんの書いた詩や文献から判断しています。
そう捉える事が出来るのはその域にあるからなんでしょう。
(心身脱落=悟りを開いた人)
広島県倉敷市玉島の円通寺で約12、13年修行しています、そこでの修行ぶりをうかがわせる良寛さんの漢詩です。
従來円通寺 円通寺に来りしより
幾回冬春経 幾回か冬春を経たる
衣垢手自濯 衣垢つけば手自ら濯い
食尽出城闡 食尽くれば城闡に出づ
門前千家邑 門前千家の邑
乃不識一人 乃ち一人だに識らず
曽読高僧伝 曽て高僧伝を読む
僧伽可清貧 僧伽は清貧を可とす
(円通寺に来て冬も春も何回過ぎ去ったことだろうか、衣が汚れれば自ら洗い、食べ物がなくなれば托鉢する。
寺の周りには千戸の家々があるけれど未だ誰も知らない。先達に学び修行をするのみ)
語るひと貴し
語るとも知らで
からだで語る人
さらに貴し
みちびく人貴し
導くとも知らで
うしろ姿で導く人
さらに貴し
良寛さんはうしろ姿で感化を与えた人だったようです。
そして板橋貫主も偉い方だった。
大乗寺
良寛さんに会ってみたかった。