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√-1=ipyon(旧名 珈琲貴族)の31文字の酔ひ綴り__≪酔ひ月和歌集≫

31文字の酔ひ綴りを、和歌(うた)としてお月さまに描くことができたら・・・酔ひ月(よひづき)として・・・

枕草子

2011年01月09日 | 和歌

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数日前から、また「枕草子」を読み出した。言わずと知れた清少納言の作である。
いろいろな書物に読み飽きると決まって「枕草子」か司馬遷の「史記」を読み返している。
こんなに読んでも、飽きたことがない。そして、いつも新鮮なのである。

平安文学の中で、清少納言と和泉式部の二人は、特に愛しては止まない好きな作家である^^。
清少納言と恋をしてみたいと思うし、和泉式部と一夜を過ごしてみたいとも思うくらい好きである^^。

紫式部の「源氏物語」は、ベストセラー&ロングセラーであるが、この「枕草子」も負けずのロングセラーである。初稿が996年と言うから、すでに1000年を超えている。
もし、当時の出版から現在まで有効な印税というものがあれば、二人とも京都御所を凌ぐ、大邸宅を構えていたに違いない^^。琵琶湖が、邸宅の池になっていたかもしれない^^(おいおい^^、そんな馬鹿な^^!)!

学校では、第一段の「春は曙、夏は朝青龍・・・・」(おいおい^^!)でなくって、「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、・・・・・」だけを教える。それで「枕草子」総じてしまう。面白いわけがない。この「枕草子」は、そんな叙情の随筆ではないだけに、そこだけに集中する現在の国語教育がとても残念である。

その「枕草子」に、清少納言が男性論を書いている段がある。
男をばっさりと切り捨てる清少納言の切り口が、実に小気味いい^^!
今も昔も、女性に掛かると男はバカに見えるらしい^^。


第268段(大系)・・・原文
男こそ猶いとありがたく、怪しき心地したるものはあれ。いと清げなる人をすてて、にくげなる人をもたるもあやしかし。おほやけ所に入りたちする男、家の子などは、あるが中に、よからんをこそは選りて思は給はめ。及ぶまじからん際をだに、めでたしと思はんを、死ぬばかりも思ひかくれかし。人のむすめ、まだ見ぬ人などをも、よしと聞くをこそは、いかでとも思ふなれ。かつ女の目にも、わろしと思ふをおもふは、いかなる事にかあらん。
かたちいとよく、心もをかしき人の、手もよう書き、歌をもあはれに詠みておこせなどするを、返事はさかしらにうちするものから、寄りつかず、らうたげにうち泣きて居たるを、見捨てて往きなどするは、あさましうおほやけはらだちて、眷屬の心地も心憂く見ゆべけれど、身のうへにては、つゆ心ぐるしきを思ひ知らぬよ。


現代語訳
男というものは、何とも類なき奇妙な心を持っている。たいそう美しい女を捨てて、醜い女を妻としているのもおかしなことだ。朝廷に出入りする男やその一族などは、数多くある女の中からとくに美しい女を選んで愛されたらよいのに。相手が自分には及びもつかない高貴な身分の女であっても、すばらしいと思うのなら命を懸けても強く懸想するのがよい。どこかの息女とか、まだ見たこともない未婚の女などでも、美しいと聞けば、どうにかしてわがものにしたいと思うものだ。それなのに、女の目から見てもよくないと思う女を愛するのは、どういうわけなのだろう。
顔かたちがとてもよく、気立てもよい女の人で、字もきれいに書き、歌も趣豊かに詠み、手紙などで恨み言を言ってきても、男は、その返事はうまくするものの女の許へは寄りつきもせず、女がいじらしく嘆いていても、見捨てて他の女の所に行ったりするのは、あまりのひどさにあきれて、人ごとながら腹が立ち、傍目にもわびしく見えるのに、男は自分自身のふるまいについて、少しも相手の女の辛さなど意識していないものよ。


あははははは、清少納言!万歳かな^^!!



「夏は夜 秋は夕暮れ 本を読み 冬は早朝(つとめて)枕抱きしめ」(おいおい^^)

「千年の 時を超えたる 女の記 打てば響いて 今も聞こえん」

「男とは 心もとなき ものなれど 女の内は 恋しきものかな」 

万年筆

2011年01月05日 | 和歌

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昨日、経を万年筆で書いていると書きました。
万年筆が筆記用具の中で一番好きです。

今、愛用しているのはパーカーです。
と、いうよりもほとんどがパーカーなんですが^^。

中学一年のとき、学研の「中一コース」の入学祝号でもらってから、万年筆を使うようになりました^^。
今、「中一コース」とか旺文社の「中一時代」とかあるんでしょうか^^?
旺文社って名前も聞かなくなりました^^。

高校に入学するときに、父からもらった使い古しのパーカーの万年筆、今でも持っています。

社会人になって、プラチナ、モンブラン、ペリカン、セーラー、パイロットといろいろなメーカーの万年筆を購入したり、戴いたりでしたが、やはり、私にはパーカーが一番しっくりきます^^。

ある日、銀座の伊東屋で見つけた万年筆、パーカーのブラックで一本3万円、もう、清水の舞台から飛び降りたつもりで買いました^^!!
万年筆としたら、そんなに高価なものではないのかもしれませんが、私にとっては当時高価な高価なものでした^^。

その万年筆、「最後に一番大切なものがほしい。」と付き合っていた彼女に別れるときにあげました。
29歳の時でした。何故、彼女がそう言ったのか、そして何故、私があげたのか、今考えるとわからないのですが^^、きっと、そんな恋愛劇に酔っていたのかもしれません^^。
ちょうど、「男女7人夏物語」とかのあとで、「金妻」などの恋愛ドラマが最高潮の時代でもありましたから^^。

今、女性にそんなことを言われても、あげないでしょうけど^^。(おいおい^^)
100%あげないでしょうけど^^。(こらこら^^、しつこいって^^)

インクは、30数年変わらずにブルーブラック!
優しくそのインクにペン先をつけています^^。

今、経は、父からもらった万年筆で書いています。


「幾年も こころ綴った ペンがある 文字の流れに 時も流れて」    

「父からの 万年筆で 経を書く あなたの教え 文字に滲ませ」


あはははははは^^、
「このペンで 幾人に出した 恋の文 残っていたなら 恥ずかしいかも」

↑ウソです^^!!幾人でなく幾十人でしたぁ~~~~^^(おいおい^^)!!


写経

2011年01月04日 | 和歌

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私が写経をしていることで、よく聞かれることは、「毎朝、墨で書いているのですか?」と「どの経を写しているのですか?」です^^。

私の場合、覚えている「般若心経」を心を静かにしてノートに万年筆か極太ボールペンで書いています。
いつも書いているのに、途中で経を忘れてしまったり、漢字が思い出されなったりの日もあります。
やはり、そのときは心に邪悪があったり迷いがあるのでしょう。
でも、本当に精神が統一できる十数分でもあります^^。

一般に写経といったら、「般若心経」と思いがちですが、写す経は、どの経でもいいわけで、年末、京都の三千院では、「七仏通誡偈(しちぶつ つうかいげ)」を写してきました。
「七仏通誡偈」とは、お釈迦様とそれ以前にいらした6人の仏様の共通の教えを説いたものです。
般若心経は262文字ですが、16文字であります。

「七仏通誡偈」
諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと莫く
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい) ― 自ら其の意(こころ)を浄くす
是諸仏教(ぜしょぶつきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり



「文字乱れ 心歪んで 経を描く そんな日もある 坊主になれず」

正月から4日続いて富士山がきれいに見えています。
朝起きてすぐに西の窓を見ることが嬉しくて、冬はその一景色だけが気に入っています^^!!

「霊峰に 仰いで願う 一日を わがままばかりの 我を笑わん」