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√-1=ipyon(旧名 珈琲貴族)の31文字の酔ひ綴り__≪酔ひ月和歌集≫

31文字の酔ひ綴りを、和歌(うた)としてお月さまに描くことができたら・・・酔ひ月(よひづき)として・・・

私の至福の味チャンポン^^

2014年11月12日 | 和歌

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九州生まれだからであろうか?
チャンポンが大好きである。
ひと月に2回は食べる。
どうしても食べたくなるのである^^。

そこにウズラの卵は欠かせない。
やっぱり基本はウズラの卵である^^!(おいおい^^)!!
海老と豚肉も欠かせない。
私なりのチャンポンへのこだわり、これだけは譲れないのである^^!

豚骨ラーメンも好きだが、やはり私はチャンポンである。

いろいろなところで、いっぱいチャンポンを食べてきた^^。
ほとんどが、私からすれば美味しくなかった。

チャンポンを注文して、麺が普通のラーメン麺を出してくる店も幾つもあった。
もう、テーブルをひっくり返したくなるのである^^!
それはそれは、かなりの不機嫌である^^!
半端な不機嫌ではない^^!!

チェーン店のリンガーハットの味は、嫌いではない。
あの値段では、かなりお得なのかも知れない^^。

ある人が長崎に行き、まず、とにかくチャンポンを食べたくなってタクシーの乗って、「長崎で一番美味いチャンポンのお店!」と・・・。
タクシーは、リンガーハットに連れていったと。

笑い話だが、実話だそうである。
本場長崎人からも、愛されるリンガーハット、この話に大笑いしてしまった^^。
リンガーハットは、幕末に活躍したイギリス人のリンガーさんの名前を取ったそうだ^^。
リンガーさんが、長崎チャンポンの美味さにハッとしたのだろうか^^!!(おいおい^^)!!

ずっと前に、このブログで挙げたことがあるが、私がいままで食べたチャンポンで、一番美味しいかったのは、新橋のヤクルト本社の地下にある「味里」である。
これまで、ここ以上のチャンポンに当たったことがない^^。
ここは、「皿うどん」を「チャーメン」と言うが、これもまた絶品なのである^^!!
何度食べたのか、わからないくらい食べた^^!


冷凍のチャンポンは、どのメーカーも不味くて食べられない。
どっかに美味しいチャンポンがないかと探していた。
そうこうしているうちに、めっちゃ美味しいチャンポンと出会うことができた^^!

写真の「小川屋のチャンポン」である。
これは、めっちゃくちゃ美味い!!

小川屋だよ^^! http://www.ogawaya-jp.com/tyanpons.html

これと出会って、外でチャンポンを食べることがなくなった^^!!

ただ、売っている店が少ないのである。
ダイエー、イトーヨーカドー、ジャスコ、エコス、鶴亀、ジェイソン、いなげや、BIG-A、オオタ、ハラコーと近くに腐るほどのスーパーがあるのに、どこにも売ってないのである^^!
やっとサミットで見つけた^^!
ただ、私の家から遠いのが難点である^^。

それでも、どうしても食べたくなるから、月の初めに3袋、148円×3=444円を握り締めて買いに行くのである^^!(おいおい^^)!!!
買いに行くときは、ガキじゃあるまいし、でも、本当に嬉しくてニコニコして行く^^!
148円で、こんなに上機嫌になれるのである^^!!

私にとって、高いレベルの贅沢なのかも知れない^^!

一度、お試しあれ!である^^!!

あ~~ここまで宣伝したんだから、送ってこないかなぁ~~~^^!!



「自分味 出会えたことの 幸せは 口にできない 至福の時なり」

「なだ万や 吉兆で食べる 懐石も それなり美味いが 贅沢ではなし」
 


おいおい^^和歌
「チャンポンの 基本はうずらの 数にあり 最低5個は 無条件なり^^」(おいおい^^)!!

 






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ラーメン「江ぐち」

2014年11月03日 | 和歌

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写真は、東京三鷹の「江ぐち」「江口」のラーメンである^^!
今は、店名は「みたか」に変わっているが、私は今でも「江ぐち」と呼ぶ。

一年に数度、気が狂うように食べたい衝動に駆られるラーメンなのである。


学生時代にこの店を知った。あれから、もう37年が経つ。
当時、三鷹の駅の南口から近くで掘っ立て小屋のようなところで開いていた。


社会人になって、最初に三鷹に住んだこともあって、卒業してからも本当によく通った。


今は、場所が移ってあるビルの地下1階にある。

隣の吉祥寺には、ホープ軒があり、その2つ隣の駅荻窪には、春木屋や丸福なる有名なラーメン屋がある。
どの店にも何度か行ったが、私にはやはりこの「江ぐち」なのである。


先日も、食べたい衝動に負けて、本当に久しぶりに食べにいった。

もう、頭の中が、「江ぐち」「江ぐち」「江ぐち」「江ぐち」でいっぱいになったので我慢ができなかった。


先代が亡くなり、一時期店が閉じられていたが、昔、「江ぐち」でバイトをしていた人たちが「江ぐち」の火を消したくないという気持ちで再開したのである。

味が少し上品になった。

それは、きっと先代の指がどんぶりに入ってないからであろう^^!
いつもではなかったが、ラーメンが出来上がって差し出されるとき、先代の指の先がラーメンのスープに浸っていた^^。

だからなのかも知れない^^!!

私は、この店で、必ずビールとチャーシュー別皿、そしてチャーシューメンを食べる。
これを私は勝手に自分の中で「セット」と呼んでいる^^!!

とにかく、ここのチャーシューは、格別である。

嬉しいくらい、脂身が多い。
ただ、その脂身のしつこさがなく、実にビールに合うのだ。
一口食べると幸せになるのである。


おそらく、今、TVとかに出ている多くの有名なラーメン屋のチャーシューのほうが、この「江ぐち」のチャーシューなんかよりもずっとずっと美味しいのかもしれない。

それでも、私には「江ぐち」のチャーシューなのである^^!!


そのチャーシューも、依然とは少し味が上品になった。
脂身が少なくなったからであろう。


先代の味を守ろうと一生懸命さが伝わってくるが、やはり先代の味から少し離れていった。

そして、当たり前なのであろうが、高くなった。

昔は、ビールとチャーシュー皿とチャーシューメンを頼んでも900円くらいだった。
先日は、1600円した。
もちろん、ラーメンだけだと500円と安いのだが^^!

でも、私にとっては、「江ぐち」では、ラーメンだけは有り得ない^^!
あの、庶民の味方の私の「セット」が、贅沢品になってしまった。


それでも、それでも、これからも年に数度は「江ぐち」に行くのである^^!

もしかしたら、それは「江ぐち」というラーメンでなくて、青春という思い出を食べに行っているのかもしれない!


「先代の 指の浸かった ラーメンを も一度食べたい それはもう夢」


「ビール飲み チャーシュー肴に 麺を待つ そのひとときも また嬉しからずや」




おいおい^^和歌
「女の子 いない店でも 通うのは 世界にたった この江ぐちだけ^^」(おいおい^^)!!
 




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写経2

2014年10月30日 | 和歌

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もうかなりの年月、朝起きて写経をしている。



「写経」と言っても、墨で手本を見て写してるわけではない。
「般若心経」をノートに全部書いているに過ぎない。
二六ニ文字を書き終えるのに約十数分掛けてゆっくりと書いていく。


しかし、数千回書いているにも関わらず、間違える時がある。
次の経が出てこない時がある。
最初から唱えても出てこない時がある。

お釈迦さまは、ちょっと困った顔をしている。

やはり、雑念が邪魔をしてしまう。
「写経」は、実に正確に今の自分を写してくれる。
怖いものである。


多くの人は、写経と言えば、私もそうであるが、やはり「般若心経」なのであろう。


「七仏通誡偈」と言う経がある。
「しちぶつつうかいげ」と読む。これを写経する人もいる。
十六文字の経である。「偈」は、聖典詞の意味である。

諸悪莫作 衆善奉行
自浄其意 是諸仏教

お釈迦さま以前の六人の仏とお釈迦さまを加えての七仏の言葉である。

本当は、その七人それぞれの「禁戒の偈」があるが、それをたった十六文字にまとめ上げ、教えがたくさん詰まっている経である。

意味は、

諸悪莫作(しょあくまくさ) ・・・ もろもろの悪を作すこと莫く
衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) ・・・ もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい) ・・・ 自ら其の意(こころ)を浄くす
是諸仏教(ぜしょぶつきょう) ・・・ 是がもろもろの仏の教えなり

となる。

何度も忙しいときは、これで済まそうと思うが、どうしても「般若心経」になってしまう。
きっと、簡単に済まそうと思う心が、すでに邪悪だと思っているからであろう。
それともただの習慣なのかもしれない。


と、この記事を書いて、過去に書いたものを見ていると、げぇ~~!!「写経」があった!!
1月4日にも「写経」で同じ内容で書いてる私に成長のあとがないことに呆れている^^!


だから、仕方ないけどタイトル「写経2」にしたのである^^!!





「書き終えて 今日一日(いちじつ)の 願い込め そっとペン置き 経を眺むる」


「間違える 逸る気持ちに 目を閉じる 呼吸整え 再びペンを」 


「おふくろの 誕生日は 忘れない あなたがいるから 私がここに」




おいおい^^和歌
「写経して 清めた心の 数分後 女性目で追い 煩悩丸出し」(おいおい^^)!!
 





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「敦煌」と王維

2014年10月15日 | 和歌

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昨日、敦煌を書いたので、少しその敦煌にまつわる話を続けてみようと思う^^!


敦煌で思い出す一つが、やはり私には王維なのだろうか。
唐の時代の詩人で、李白を詩仙、杜甫が詩聖と呼ばれた時代、王維は詩仏と呼ばれていた。
自然詩を書かせたら、当時は右に出るものがいないと言われてた唐の大詩人だった。
その王維もまた私の好きな中国詩人の一人である。


その王維に「送元二使安西」と言う詩がある。

私自身がお酒に関する漢詩が好きで、一時期それを寄せ集めていた時に見つけた詩である。
どれくら集めただろう^^!
PCがいかれてバックCDも失って、その多くを忘れて^^。


ただ、王維の「送別、「酌酒與裴迪」よりも好きな詩であることは確かみたいだ。
まだ、覚えているのだから^^!!


部下を敦煌の陽関から中国の一番西の安西に派遣をするときに見送った時に詠ったもので、なんとも言えない優しさに、王維の人柄を見た気がしたのある。

渭城朝雨潤軽塵
客舎青青柳色新
勧君更盡一杯酒
西出陽関無故人


渭城の街に朝雨が降った 軽塵を洗い流し
客舎(旅館)の瓦は青青していて
柳の緑は新しくなったようである。

君に勧める、もう一杯 酒を飲んで行け。
西の陽関のを出たら安西まで長い長い間
知人の1人もいないのだから。

最初の二行は、王維が王維の名を成した自然を詩の中に映しているものだが、そのあとの二行がたまらないのである。

「朝までずっと話していたら、もう話すこともなくなったな。ほら、もう一杯だけのんでいけよ、ここを出たらもうお前の知っている奴はいないのだから。」

二人の姿を今ここで見ることができる何度詠んでも、心にジワ~~とくる詩だと思ってならないのである。


敦煌、本当に一度は行ってその空気を直に感じてみたいところである。



余談になるが、酒の詩と言えば、私は白居易の「卯時酒(ぼうしゅ)」がめちゃめちゃ好きだ。
と、言うよりも、酒をこよなく愛した飲んだくれの白居易が好きなのかもしれない^^!
玄宗と楊貴妃を書いた「長恨歌」も素晴らしいが、やはり私には白居易は、多くの酒の詩である。

卯時酒

仏法讃醍醐 
仙方誇灌 
未如卯時酒 
神速功力倍 
一杯置掌上 
三嚥入腹内 
煦若春貫腸 
喧如日背炙 
豈独支体暢 
仍加志気大 
当時遺形骸 
竟日忘冠帯 


意訳をすれば、「朝から酒を飲むと即効で力が入り、三口飲めば、春みたいにもう身体中がポカポカだぁ。やる気も出るし、むしゃくしゃする会社のこともすっかり忘れてしまうよ!」


なんとも痛快である^^!


私が唐の時代に生まれていたら、白居易と仕事をさぼって朝から飲んでいるのかもしれない^^!
いやいや、きっと間違いなく飲んでいるだろう^^!!





「酌み交わす 最後の杯を 飲み干せば ただうなずくだけの 言わずもがなで」


「王維詠み いにしえ酒の 味を知る 落涙の杯 水の如しかな」 




おいおい^^和歌
「酒浴びて 名詩が書ける 白居易に 付き人志願 弟子になりたし」(おいおい^^)!!
 




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「敦煌(とんこう)」

2014年10月14日 | 和歌

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「敦煌」・・・「敦煌」はシルクロードの分岐点である。「敦煌」と言えば、すぐに井上靖の小説を思い浮かべてしまうが、その「敦煌」が昨日と今日の2日間、「敦煌・・・シルクロードの真珠」で一挙10回の放送されている。
昨日の5回はもちろん、今日も録画予約した。

まだ、昨日の分も観ていない。
お楽しみは、今度の土日である。


中国の歴史に、かなり興味がある。
それは、やはり司馬遷の「史記」や「三国志正史」を始め「三国志演義」「項羽と劉邦」「蒼穹の昴」などの小説、そして漢詩などと中国に関する書物をそれなりに読んできたからだと思う。
宮城谷昌光、陳舜臣の中国歴史小説や随筆は、本当に夢中になり楽しく読んだ。
今でも宮城谷昌光の「史記の風景」は寝る前に目を通すことがある。


中国歴史ものの映画やドラマも好きでよく観る。
その中でも「さらばわが愛-覇王別姫」「女帝」は、特に好きな映画である。
「レッド・クリフ」も面白かった。


1900年の初めに敦煌にある洞窟から経典や写本、そしてさまざまな書物が発見された。
唐以前の中国の歴史を知る貴重な貴重な資料である。

多くの文献が、隠されていたのである。
理由は2つあって、ゴミとして扱われ処分に困って洞窟に投げ置いた説と敦煌が西夏に攻められたときに捨てられたり燃やされることのないように隠したという説である。井上靖の「敦煌」では、あとの説だと言い張っていたように記憶している。

一度は目に通してみたいと思った。

「敦煌」、いったいどんな都市だったのだろうか。
この土日、10時間かけての楽しみが始まる^^!!


その「敦煌」からずっと西に行くと「楼蘭(ろうらん)」がある。
「楼蘭」は、1つの王国であり、シルクロードのオアシス都市とした栄えたところである。
1300年前に滅びた。

ここから1人の女性のミイラが見つかった。
「楼蘭の美女」と呼ばれる。
NHKの昔の番組「シルクロード」の中で一番惹かれたところである。
この美女は、今から約4000年前の女性だった。

その女性の容姿の復元を見たことがあるが、今の世でも本当に美しい女性であった。
会いたいと思った^^!(おいおい^^)!!



「敦煌」「楼蘭」、いつかは一人でその歴史場に行ってみたい!


「追記」
写真は、「楼蘭の美女」を復元した顔です。
90%以上の確率で、復元ができたみたいです。
ねっ!めっちゃきれいでしょ^^!!




「遠い地と 遠い時代に 魅せられる 長城ぶらり いつか歩かん」


「流血で オアシス染める 砂漠の地 国の奪(と)りあい 砂上の楼閣」 





おいおい^^和歌
「ミイラでも 美女と聞けば ムズムズと 夢に出てくれ 一夜でいいから」(おいおい^^)!!
 





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演歌

2012年01月04日 | 和歌

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最近、演歌をよく聞くようになった。
今までは、JAZZ:昔のフォーク:流行歌:演歌=6:2:1:1の割合だったのが、4:2:1:3の割合に^^!!

1975年~2000年ぐらいの演歌が主である。

今のお気に入りは、新沼謙治の「津軽恋女」、これに惹かれている。
作詞は久仁京介、HIT曲と言えば日吉ミミの「男と女の物語」くらいだろうか。
ほとんど知られていない作詞家である。



降り積もる雪 雪 雪また雪よ
津軽には七つの雪が降るとか
こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪
みず雪 かた雪 春待つ氷雪



初めて聞いたのは今から25年前になるだろうか。
ここの部分が、忘れられないのである。
あれからまったく私の中では褪せないのである

私自身が作詞を始めたとき、こんな演歌も描いてみたいと思ったことがあった^^!


今でも聞くたびに、やはり、このような歌詞を描けたらって^^!!


演歌、最近聞けば聞くほど心に沁みるのである。
日本人でよかったとしみじみ思うこともある。
「きっと、歳なんだろう!」と一人で笑っている。

あと数年経つと、毎日演歌を聞いているのかもしれない^^!!



「懐かしい 思いを馳せる 歌がある 演歌に見える ふるさとの色」

「むかし歌 静かな夜に 聞こえくる 母の歌声 父の鼻歌」 


おいおい^^和歌
「歌いたい あの歌この歌 その歌も 悲しいくらい 歌うとど下手」(おいおい^^)!!
 





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「紀貫之」が嫌いだぁ!

2011年03月23日 | 和歌

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紀友則、在原業平、藤原公任(きんとう)、凡河内躬恒(みつね)を始め、好きな歌人は数え切れないくらいいるが、私は、紀貫之が好きではない。

向こうも私のことが嫌いかもしれない^^!
(おいおい^^お前はアホか^^!←by 読者^^)

先日、紀貫之の選んだ六歌仙の話を少し書いた。
しかし、あの六歌仙に対する古今和歌集の序文にはひどいことが書かれている。
私の文学ブログのほうは、過去触れているが、気が付かれただろうか。
決して、褒めてないのである。
私には、そこが不思議でならないのである。

貫之には、嫌いな人物であったのかもしれない。
って、でも序文にあんなこと書くか!である。

もう一度、序文のその部分の一部を振り返ってみる^^。


業平へは、「希代の色男で、ことば足らず。しぼんだ花のような和歌を書く奴」、小町へは、「昔の流行を追うかわいそうな女性、まぁ、女性の歌だから仕方ないかも」、黒主には、「その生き方は卑しい、まるで山の奥に潜んでいる花のようだ」と。


そのあと、フォローをしていればわかるが、フォローもしていない。

あとに続く言葉も、

このほかの人々も自分の作る歌を本当の歌だと思い、本当の歌と言うものがわかっていない、と書いてある。

この傲慢さは、いったいなんなのだろうか。

私の好きな歌人を貶されて面白くはない!
(こらこら^^それはお前の感想^^!←by 貫之&読者^^)!!

それも、初めての勅撰和歌集の序文である。
勅撰と言えば、天皇に命じられて作るものである。
その序文に悪口である。

本当に辛辣である。
書かれた本人たちは、決して嬉しくはないであろう。
忸怩たる思いだったのかもしれない。

そして、その歌人たちの歌を選んでいる。
貫之の神経が、私にはどうしてもわからないのである。
まぁ、選者が貫之一人でなかったからかもしれないが^^。


古今和歌集には、1111首があるが、そのうちの100首くらいが貫之の歌である。
自分の「貫之集」にも「やまとうたしれる人」と書いてあり、余程自分の歌に自信があったのだろう。
貫之自身の歌が、古今では二番目に出てくるのも、その自信の表れなのかもしれない。


「袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ」 


暑かった夏の日、袖の濡れるのもいとわず、手にすくって楽しんだ山の清水、それが寒さで凍っていたのを、立春の今日の暖かい風が、今頃は解かしているだろうか。


「わぁ~~お」って、感激をして、この歌にケチをつけることができない私がちょっと悔しい!!!
(こらこら^^ケチをつけるんではないんかい!!←by 読者^^)


もうひとつ、わからないことがある。
貫之が師として柿本人麻呂と山部赤人の2人については、歌聖と仰いでいる。

とくに柿本人麻呂であるが、人麻呂の残したと言われる歌のうち、いったいどれだけの歌が人麻呂本人だったのかということである。
おそらく、貫之自身は、知っていたのではないだろうか。

人麻呂の代表作と言えば、
「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む」
も上げられるが、この歌は万葉集で、読み人知れずとなっている歌である。
古今集にも人麻呂らしいとされている歌が7首ほどあるが、その真偽は未だにわかっていない。

ただ、人麻呂を歌聖と仰いでいるために、貫之がわざと入選させて、偶像を作り上げたのではないかと私は勘ぐるのである。(おいおい^^)!!

あっ、学術的には大きな問題になっていないし、ならない、ただの私の感想であるから間違わないように^^!(こらこら^^)!!

好きな人間を徹底的に持ち上げ、嫌いな人間を貶める。
貫之を学べば学ぶほど、嫌いになっていくのである。
ただ、貫之の歌は、好きなのである^^。
あ~~~~ここにジレンマが生まれる!!!(おいおい^^)!!

どうしたらいいのだろ~~~~~~~~~~か^^!!(こらこら^^)


そうそう、貫之のことはこの辺にして、八大勅撰和歌集とは、どんなものか、私が触ってきた感想になるが、書いてみたいと思う。


万葉集は、実に素朴で、約4500首のほとんどが詠えばそのまま歌になる歌舞の要素があると思っている。
自然の中で愛情や生活をおおらかに包んでいるような^^。
だから、リズムを取って歌にするために枕詞を多様多用しているのかも^^。


その万葉集に刺激を受けて、作られた日本最初の勅撰和歌集、古今和歌集!
どうしても中国の影響は強く受けており、選者もその意識のもとで敢えて和風に作り上げようしているよな。
そのために、万葉集のような豪放さは見られなくなり、上品な宮廷の歌になっているかもしれない。

後撰和歌集。
完全に古今集を意識して、古今集であまり載せなかった恋歌を多く使っている。
どちらと言えば、わざと万葉集に似せたのかもしれないのかなって感じがしてならないのである。
格式ぶってない点、作りが乱雑ではないかなって^^!
(おいおい^^お前が言うなって^^)。

拾遺和歌集。
この和歌集は、藤原公任(きんとう)が選者と言われているだけあって、品が良いものに仕上がっていると思った。その当時の歌壇の頂点を極めていた公任だからこそ出来たのかもしれない。
しなやかさはさすがで、さすが公任ちゃん!!!(こらこら^^)!!!
なによりも、古今和歌集と後撰和歌集の融合も図っていることにただただ驚くばかりである^^!!

後拾遺和歌集。
正直、そこまで読んでないのわからないが、女流詩人が多い和歌集なのかも^^。
きっと、選者がスケベだったかも^^。
(おいおい^^、そんだけかよ^^!←by 読者^^)

金葉和歌集。
この和歌集は、藤原氏から源俊頼など、源氏に選者が変わった^^。
編纂の仕方がリベラルになった感は否めないが、連歌などを新しく設けて違和感なしに載せてあることがいいのかもしれない。
今までの和歌集に対しての対抗意識のむき出しかも^^!!
これも、そんなに読んでないので、本当のところ、わからないのである^^!(おいおい^^)!!

詞花和歌集。
平安最後の和歌集です。これも正直、わかりません^^。
ただ、なにか大人しく小さくまとまっているような、いないような^^。
(おいおい^^これもそんだけかよ^^!!←by 読者^^)!!

千載和歌集。
これは好きな和歌集である。
これがあったから、あのような新古今和歌集が出来たのかもって思わせるくらい、質の高い和歌集だと思ってならないのである^^。
仏教的要素もかなり高く、第十九巻に見える釈教歌にしても、感情を抑えて無常観を表している、これは意図的なのかもしれないが、そこにも高い貴族の意識が見えてならないのである^^。

新古今和歌集
これは、また後日、ゆっくりと書いていきたい^^。
ただ、多くの方が、頂点に達した和歌集であるということに、思わず納得する和歌集だと思う。
藤原定家や西行法師を抜きにしては書けない、この和歌集に漂う無常観とそれに反する妖艶さと感情の静かな起伏が見える和歌集だと思うばかりである。

本当に和歌って素晴らしいと思うのである。


「季に揺れる 心情(こころなさ)けを 花とする 歌に惹かれて 平安を追う」  

「本の香を 古和歌(こうた)の文字に 見せられる 花鳥風月の 長閑(のどか)匂ぐなり」 
          

おいおい一首^^
「貫之に 会えば一言 言ってやる 吾とガチンコ 歌で勝ち負け^^」
(おいおい^^ホントにアホか^^!!←by 全歌仙^^&読者^^)




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古(いにしえ)の歌仙が羨ましくて^^

2011年03月20日 | 和歌

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紀貫之が、古今和歌集で六人の「近き世にその和歌、名きこえたる人」を記した。

これが、六歌仙である。
僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主 である。


その古今和歌集の序文の抜粋である。

その外に近き世にその名聞えたる人は、すなはち僧正遍昭は、歌のさまはえたれども、誠すくなし。たとへば絵にかける女を見て、徒に心を動かすが如し。
在原業平はその心余りて詞たらず。しぼめる花の色なくて、にほひ残れるが如し。
文屋康秀は、詞たくみにてそのさま身におはず。いはば商人のよき衣着たらむが如し。
宇治山の僧喜撰は、詞かすかにして始め終りたしかならず。いはば秋の月を見るに、曉の雲にあへるが如し。よめる歌おほく聞えねば、これかれかよはしてよく知らず。
小野小町はいにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにてつよからず。いはばよき女のなやめる所あるに似たり。つよからぬは女の歌なればなるべし。
大友黒主はそのさまいやし。いはば薪を負へる山人の花の陰にやすめるが如し。


あの紀貫之に褒められるなんて、本当に歌人としては最高の誉れであろう^^!

紀貫之自身もその中に入りたかったのではないだろうか。七歌仙として。
紀貫之本人が、この勅撰和歌集の選者だから、自分を選ぶわけにはいかないジレンマがあったような気がする^^。(おいおい^^、それって推測じゃん^^!←by 読者^^)


後年、私の好きな歌人、藤原公任(きんとう)が、三十六歌仙を選んだ。
勘違いする人が多いが、公任は、「三十六歌仙」と人を選んだのではない。
36人からの歌を集めて、「三十六人撰」を編集したのである。

後年、これが、「三十六歌仙」と呼ばれるようになったにすぎないが、選者の藤原公任自身の歌を選んでいない。
特に藤原公任(きんとう)は、自尊心の塊、ブランド好きであったから、入りたくてたまらなかったと思う。
どうして、自分の歌をちょこっと書いておかなかったのだろうか。私なら間違いなくそうした^^(おいおい^^)!!
後世に名が残るのに^^謙虚すぎる~~~。
でも、選者ということで名が残ったから満足はしているのかもしれない^^。


柿本人麻呂、紀貫之、凡河内躬恒、伊勢、大伴家持、山辺赤人、在原業平、僧正遍昭、素性法師、 紀友則、猿丸大夫、小野小町、藤原兼輔、藤原朝忠、藤原敦忠、藤原高光、源公忠、壬生忠岑、 斎宮女御、大中臣頼基、藤原敏行、源重之、源宗于、源信明、藤原清正、源順、藤原興風、清原元輔、坂上是則、藤原元真、小大君、藤原仲文、大中臣能宣、壬生忠見、平兼盛、中務

それにしても見事な36人である。
見事な人選である。
その選ばれし、150の歌、さすが公任が「秀歌集」と言うだけのことはあるいい歌ばかりなのである。
是非、一度は詠んでほしいと思うばかりである^^。


しかし、選者の公任の歌集もまた見事である。
これは、公任の百人一首の歌である。
「滝の音は たえて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」

この歌、「滝」と「流れ」、「音」と「聞こえ」をさらりと折りこみ、韻を踏むことで公任らしい技巧が嫌味でなくしなやかさが漂っていると私は感じている。
この36人には決して引けをとってはいない、品のある歌だと思ってならないのである。


平安時代のこのような歌を詠んで、私自身、和歌に魅了され、こうして自分で書いている、詠んでいる。

あの時代に生まれたら、三十六歌仙になれたかもしれないと思うときがある^^。(おいおい^^)!!
いやいや、六歌仙は無理だとしても、三十六歌仙には、何がなんでも入りたくてたまらなかった^^。(こらこら^^)!!
それは、公任ちゃんに賄賂を渡しても、女性を世話しても、「入れて、入れて」とおねだりしただろう^^!!
(おいおい^^、最低!!!←by 読者^^)


和歌、平安の雅をひとり閑かに読む。
万葉集、古今和歌集、千載和歌集、新古今和歌集・・・その歌に秘められた時代を読む。
私にとって至極贅沢な時間である。

そして、歌を自分で詠む。
私にとって至福な時間である。


そうだ!!!!
平成の三十六歌仙「珈琲貴族」を目指そうおっと^^!(おいおい^^)!!




「いにしえに 思いを馳せば 歌詠みと ひざを交えて 飲ままほかりき」



「春の歩は 梅の匂いに 誘われて つい口ずさむ いにしえの歌」

          

おいおい一首^^
来週から書いていこうと思っています。




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「恋」の話し^^

2011年03月19日 | 和歌

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松山千春を聴いていて、「恋」が流れた。
私は、5曲しかカラオケが歌えない^^。

本当に音痴だった。今でも、聞くに堪えないくらい下手である。
歌の上手い人が、小さい頃から憧れであった。

そのくせ、ジャニーズに入りたいと思ったこともあった。(おいおい^^)!!
少しフォーリーブスに翳りが見えてきて、郷ひろみが脚光を浴びだしたころに^^。
リズム感限りなくゼロ^^、バクテンなんか夢の夢、バク宙などは夢の夢のまた夢^^!
前回りさえ満足にできない^^。跳び箱なんか、4段以上跳べない^^!!
なにしろ、体育と音楽は、2ばかりだったような気がする。
さすがに1ではなかったが、それとそんなに変わりはない^^。

それでも、ジャニーズなのである^^。

ジャニーズを諦めても、まだ「スター誕生」に本気で申し込もうとした^^。
弟が、その葉書を破いた^^!(こらこら^^)!!


千春の「恋」、千昌夫の「北国の春」、森進一の「恋月夜」と、あと二曲である。
バブルが弾ける前、連日の営業接待で、どうしても歌わされるので、必死に家族に練習させられた歌である^^。
なんとか聞いてもらえるくらいまでになった^^。
でも、それからかなりの年が経つが、レパートリーは増えない^^。
死ぬまで、歌い続けそうである^^。


私のカラオケ自慢の話ではなかった^^!!(おいおい^^)!!
話は、「恋」に戻る。

聴きながら、自分でも「恋」のタイトルの詞を描いたことを思い出した。

2006.6.30に作詞サイトに投稿した詞である。
さわやかさを微塵も感じさせない詞である^^。
阿婆擦れ女の恋である^^。


1.
私の何が知りたいの
知ったところでいいことあるの?

知らないことが多いほど
女を きっと楽しめる
恋は恋で終わるもの
私は それで生きてきた

名前知るのは 二日も早い
歳を知るのは 一年早い
からだ知るのは 五年も早い
すべて知るのは 百年早い
昨日ベッドで言ったでしょ

2.
貴方は何が聞きたいの
聞いたところで気持ちがいいの?

聞かないことが多いほど
女は ずっと付き合える
今日は 今日で終わるもの
言葉は すぐに消えていく

私知るのが 二年は遅い
歳が止まって 三年経つわ
こころ失くして 四年になるの
すべて貴方に 話したわ
少し黙って お願いだから
 
3.
私に何が言いたいの
言ったところで何かが変わる?

言わないことが多いほど
女は ちょっと惹かれるの
恋は恋で終わるもの
昨日ベッドで言ったでしょ

恋は恋で終わるもの
二人このまま終わりましょ



阿婆擦れっぽい女性を描いたが、私には可愛くて仕方がない女性である。

昔から粋がっている女性が好きでたまらない。
背伸びしている女性が好きでたまらない。

しつこい女より、あっさりした女。
泣かない女。
どこか世の中を斜(はす)に見て、煙草と酒が似合う女。
でも、根性だけは座っている女。

私が、お水を好きなのは、きっと私も阿婆擦れているからだろう^^。


幾つ恋をしてきたかわからないくらい恋をしてきた。

「恋ほど素敵なショーはない」
あの「タッチ」を歌う岩崎良美の歌がある。
売野雅勇の作詞の歌である。
このタイトルに、当時感動のあまり震えた覚えがある。
歌詞には感動しなかったが^^!(おいおい^^)
本当に恋ほど素敵なショーはないと、今でも思うのである^^。


今、ある女優に恋をしている。
この歳で、その女優をTVで見るとキュンとする^^。
ただただ見惚(みと)れてしまうのである^^。
心底!気持ち悪いジジイである^^!!

その女優と付き合えたとしたら、私は、また「恋」を描くかもしれない^^!(こらこら^^)!!
そのときは、純情路線になりそうである^^!(おいおい^^)!!




「胸焦がれ 息も出来ずに 見惚るるは 恋を覚えた あのころのよう」 
 

「恋をして 恋に捨てられ また恋を 恋に恋して 恋に溺るる」   

          
おいおい一首^^
来週より、書いていこうと思います。




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久しぶりに千春を聴いた^^!

2011年02月23日 | 和歌

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少し疲れているのかもしれない。
そして自己嫌悪。
最近の私である^^。


私の応援歌は、千春の「大空と大地の中で」である。
何か、自分に疲れたとき、いつも聴いていたような気がする。

たいした歌詞ではないのに^^、千春の声が心地いい^^。
(おいおい^^、たいした歌詞じゃないは余計なお世話じゃぁ~~^^!!←by 千春^^)

昨日、無性に聴きたくなって、何度もリピートをして聴いていた。
数年ぶりだったかもしれない^^。


生きる事が つらいとか
苦しいだとか いう前に
野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ


一緒に歌いながら、いろいろなことを考えていた。
つまらないことばかり考えていたのかもしれない^^。


今、時間と金があったら何を一番にしたいかって^^。

真っ先に北海道のような大空と広い大地ではなく、中国の三清山と桂林に行きたいって思った^^(おいおい^^)!!


行ったことはない。
でも、ずっと一番に行きたいと思っている場所である。
三清山は、世界遺産に登録される前から、行きたいと思っていた。

桂林も同じである。
昨年の春、女優の純名りさが、桂林を取材していて、益々行きたいと思うようになった。


私には、「悠」と「凛」の場所かもしれない。



三清山
中国の三大宗教は、仏教、儒教、道教である。
その道教の聖地だとも言われて、今でも仙人修行で多くの道教徒が集まるところだ。
「気」の修行の場である。
「気」を取り入れることによって、仙人になれると信じている人が集まっている^^。

道教は、中国でもそんなに盛んな宗教ではないが、日本においては陰陽道や風水と深い関わりがあって、道教なくしては、風水は生まれなかったのでないだろうか。
道教がなければ、ドクターコパなる風水師は存在しなかったであろう^^!(おいおい^^)!!

老子、荘子の「老荘思想」と関連付けられて話されることもあるが、基本的には私は関係ないと思っている^^。(おいおい^^)!!

余談で^^、その昔、老子って存在しなかったとも言われている書物を読んで、ちょっと驚いたことがある。
まぁ、中国のことだから、何でもあり!なのかもしれない^^!!

道教を読んでいくと、本当に宗教だろうかと思ってしまう^^。
最終目的は、不老不死である。
そのためには仙人にならなければいけないと。

三国志の諸葛孔明などもその仙術を会得していたらしい^^。
どんな仙術なんだろうか^^。

とにもかくにも摩訶不思議な宗教である^^。

「孫の手」、痒いところを掻く道具であるが、これは、まったくの当て字で本当は「麻姑の手」となる。
仙女である麻姑の爪が長く、その爪で背中を掻いてもらったら気持ちがいいだろうと付けられた名前である。だから、「孫の手」は中国語なのである^^。
麻姑仙女は、楊貴妃に並ぶくらいきれいだったとも言われているが^^、私には、麻姑仙女自体の存在が怪しいと思っている^^(こらこら^^)!!
まぁ、中国である^^!!


三清山、桂林、きっと、そんなところに行ったら、自分の小ささを再確認するだろう。
だから、行きたいのかもしれない^^。

そんなことを考えながら


生きる事が つらいとか
苦しいだとか いう前に
野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ




歩き出そう 明日の日に 
振り返るには まだ若い
吹きすさぶ 北風に
とばされぬよう とばぬよう


を繰り返し歌っていた^^。

今、春一番が吹いたら、吹き飛ばされそうである^^(おいおい^^)!!


あ~~~宝くじ、当たらないだろうか^^!!
翌日には飛行機に乗っている^^!





「たまに聴く 千春の歌に 助けられ 何をすべきか 明日を見つめる」



「不老不死 誰もが望む ことだろか 不老は望むが 不死は望まん」


          
おいおい一首^^
「生きること 苦しいことと 言う前に 力の限り 飲んでやれやれ^^」(おいおい^^)




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カインとアベル^^!!

2011年02月21日 | 和歌

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好きな女優がたくさんいる^^。
その1人が、大塚寧々である。
「君のためにできること」で女優としてデビューする前からのファンである^^。

その大塚寧々が出ている番組を見ていた^^。
そこに「カインコンプレックス」という言葉がでてきた。

「カインコンプレックス」は、心理学者のユングがつけた精神分析の名前の一つである。

精神分析、心理学と言えば、フロイトの名前がどうしても先行しがちであるが、歴史や逸話などから検証をして、そこから精神分析をした学者は、ユングが最初である。以前は、深い親交があったようだが、次第に距離を置いていったようである。
フロイトの重要な精神分析である「夢分析」についても、ユングは、フロイトと違う結論を出した。

そんなユングに興味を持って、学生時代に彼の書物読んでいった。
「心理学と宗教」、「心理学的類型」など、その時は、あまりに難しくて投げてしまった。
あれから、今30数年が経ち、昨年から、ふと、また勉強をしてみたいと思っていたところだった。
今度はわかるかもしれないと^^。(こらこら^^)!

放送大学で、ユングの心理学を受講できることを知った。
ちょうど、今年の4月からか来年の4月からか、「日本文学史」と並んで受講しようと思っている。
放送大学って、自分の好きな教科を受講でき、授業料も10数回の講義で、11,000円で済むみたいだ^^。

もちろん、広々としたキャンパスで、ピチピチした学生の女性と再び青春を~~って出来ないデメリットはあるけど、その分、自宅で飲みながらゆっくりと勉強ができる^^。
(おいおい^^、それのどこがデメリットなんだぁ~~~~~^^!←by 読者^^)

放送大学の学生になったら、その学生証で、すべてが学生割引になるのだろうか^^!
(おいおい^^、そんな都合よく行くかいな^^、お前は聴講生や^^!!←by 読者^^)

その「カインコンプレックス」のカインは、旧約聖書の「創世記」の第4章に出てくる。
弟がアベルであり、そこに確執があった。

カインとアベル。
人類最初の兄弟である。
もちろん、お父さんとお母さんは、アダムとイブである^^。

私は、新約聖書よりも旧約聖書を好んだ^^。
今でも、暇だと手を伸ばすことがある。
それは、旧約聖書が、新約聖書とはまったく異なり、あるときは物語であり、歴史書であり、そして教訓書であるからである。
読んでも飽きないのである。面白いのである^^。


旧約聖書のコヘレトの言葉の中にある「酒は人生最大の楽しみである」を、私は勝手に神の啓示だと思っているから好きなのかもしれない^^。(おいおい^^)!!
だから、親しみを覚えるのだろう^^!(こらこら^^)!!

あっ、「最大」とは書いてなかったぁ~~~~~~~~~~^^!!(おいおい^^)!!

カインとアベルは、アダムとイブが禁断の実を食べて、「エデンの園」を追われてから出来た子供である。
多くの人が、アダムとイブの子供は2人だと思っているが、8人もいるのである^^。
最終的には、男女60人の子供がいたらしい^^。

「エデンの園」のことは、人々は、「理想郷」「パラダイス」とか呼んでいるが、エデンの園よりも追われた地のほうがアダムとイブは楽しかったのではないだろうか。
だって、追われてから8人の子供に恵まれたんだから^^。
(おいおい^^そんな解釈があるかぁ~~~~~~~~^^!!←by 読者^^)

カインとアベルが神様に供え物をした。神様は、カインの供え物を無視したために、カインは弟に嫉妬してアベルを殺した。カインは、弟のアベルを憎悪し、殺した。

そのあと、神は、カインに「アベルは何処にいるのか」と聞くが、カインは「知りません」と応えた。

人類最初の殺人は、このカインとアベルの間で起こった。
人類最初の嘘も、カインが神に吐いたのが初めとされている。

「カインコンプレックス」
ユングは、この旧約聖書の逸話から、神を親に例えて、その愛を巡っての兄弟の嫉妬、確執の葛藤をそのように名付けた。

確かに、兄弟の嫉妬、確執からくるコンプレックスはないとは言えないかもしれない。
と、いうよりも歴史から見ても、一番厄介な関係かも知れない。

私もスポーツ万能の弟2人が、必ず小学校中学校のリレーの代表に選ばれていたとき、応援を一生懸命にするが、あるとき、「転(こ)けろ!」と心で叫んだときがある^^。
(おいおい^^、そんな昔のことかいな^^!←by 読者^^)!!


旧約聖書、何も宗教の本として読むことはない。
このほかにも「ノアの箱舟」を始め、「モーセの十戒」「ソロモンの知恵」「コヘレトの言葉」など、知っていることが、知って得することが山ほど出てくる書である。

ただ、あまりにも全編を読むなんて不可能であろう^^。
それこそ、時間が幾らあっても足りないし、半分以上が理解が出来ないし、面白くもない^^。
教徒でなければ、面白いところだけを読めばいいと思う^^。

旧約聖書を手っ取り早くわかりたいのであれば、犬飼道子著「旧約聖書物語」を読むと、いっぺんにわかるかもしれない^^。
もっと、砕けたものなら、阿刀田高著の「旧約聖書を知ってますか」なら、楽しいかもしれない^^。

「旧約聖書」、「新約聖書」、そして「コーラン」について書く機会があれば、書いてみたいと思う。
「聖書って、コーランって、そんな書なんだぁ~~、難しくないやん!」って思う人が出てくるかもしれない^^。





「幼き日 兄弟喧嘩に 明け暮れる 今 酒を飲み 懐かしむ日々」

「何年も 会わずにいても 絆かな 会えば昨日の 子供に戻る」
          

おいおい一首^^
「兄として 弟よりも いい女 それが一番 性格二番^^」(おいおい^^)




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歌姫 中森明菜のこと^^!!

2011年02月15日 | 和歌

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私が登録している音楽サイトで、大好きな歌い手である女性が、中森明菜の「セカンド・ラブ」を歌い、昨日公開した。先日も、大好きな音楽作詞仲間の女性が、「セカンド・ラブ」を歌って公開をした。

昨日、その二人の中森明菜を楽しんだ^^。

公開をした二人の歌には、二人の幾つのときかわからないが、それぞれのセカンドラブの思い出があるのだろう。
「きっと、その当時を思いながら歌ったのではないか。」って、聴きながら「それぞれが想いの叙情歌として歌っているようだ^^。」と聴いていた^^。

もちろん、私にもある^^。
今では、セカンドから少し増えて、5thラブぐらいになっているかも知れない^^!
(おいおい^^、それじゃ全然足りないじゃん^^!!それに100を付け足さなきゃ^^!!←by 読者^^ )

中森明菜、大好きな大好きな、そして大好きなアーティストである^^!!

スター誕生で、山口百恵の「夢先案内人」を歌って合格した時から、彼女を見ていた。
とにかく、あどけない顔が印象的であった。

デビュー作が、来生えつこ、来生たかお姉弟の「スローモーション」だった。
この歌も好きだったが、あまりヒットはしなかったようだ。
中森明菜が、中森明菜として名を売ったのが、次の「少女A」
これは、作詞・売野雅勇、作曲・芹澤廣明であった。
売野雅勇と芹澤廣明は、チェッカーズを一世風靡させた二人であるが、やはり、「少女A」があっての売野芹沢コンビだと思っている^^。

「このままデビュー3曲目も、柳の下の二匹目のドジョウを狙って、同じ路線で行くのかな。」って思っていた^^。

それが、このデビュー作コンビの来生姉弟での「セカンド・ラブ」であった。
度肝を抜かれた気持ちであった^^。
それほど、最初にこれを聞いたときは、衝撃であった^^。

井上陽水作の「飾りじゃないのを涙は」を初めて聴いたときも、同じような衝撃があった。
これは、仕事の途中のタクシーで聞いた。
思わず、タクシーを路肩に止めてもらったほどだ^^。

この「セカンド・ラブ」は、明菜の中でも一番の売り上げである。
今でも、明菜の数々のHIT曲の中でも、カラオケでは群を抜いて歌われているらしい^^!!
「飾りじゃないのよ 涙は」は、3位だそうだ。2位は、「ミ・アモーレ」らしい^^。


恋も二度目なら 少しは上手に
    ・
    ・
帰りたくない そばにいたいの
その一言が 言えない
    ・
    ・
恋も二度目なら 少しは器用に
甘いささやきに 応えたい

前髪を少し 直すふりをして
うつむくだけなんて

舗道に伸びた あなたの影を
動かぬように 止めたい
    ・
    ・

どの連、どのフレーズというよりも、ここに書いたフレーズが私にはお気に入り中のお気に入りなのである^^。

女性だったら、誰でも描ける詞という人もいたが、私は、来生えつこにしか描けない詞であろうと今でも思っている。
彼女の今井美樹への「黄昏のモノローグ」や田原俊彦の「ピエロ」、南沙織の「青空」も、やはり来生えつこだから描けたのだろうと思う^^。
彼女の詞は、私は、少し赤っぽい色で描いたセピアの絵だと思っている^^。
彼女の小説、「エピソード」にもそれと同じ色を感じた。

また、弟の来生たかおが、これまた素敵である。
私は、彼の作る曲は、梶井基次郎の小説に似ていると何度も思ったことがある。
「檸檬」もそうであるが、「蒼穹」や「ある心の風景」に見えるようなノスタルジアなのだと。

たかが歌謡曲、たかがバラード、たかがポップスなのだろうが、この「セカンド・ラブ」は、私が、「こんな詞が描けたら!!」って、いつか「作詞」と言うものをしてみたいと思った数曲のうちの紛れもない衝撃の1曲なのである^^。

それからの中森明菜の快進撃は凄まじかった^^!!
そして、まだ当時は威厳と輝きがあった「日本レコード大賞」の3連覇!!

浜崎あゆみ、明菜が、巷ではよく似ていると言われるが、私は、全く似ていないと思っている。
儚さの重さが違うのである。
脆さも危うさも浜崎あゆみには感じたことがない。

ここで断言するのは間違いかもしれない^^。
私が若いときに出会った明菜と、壮年に差し掛かったときに出会った浜崎あゆみへの思い入れがちがうのだろうと思うからだ^^。
ただ、浜崎あゆみには、歌姫という称号は合わないと思っている。
それであれば、倖田 來未のほうがずっといいと思う^^。

今でも昔のHIT曲は、よく聴く^^!!
私だけの明菜ベスト19である^^!
どの曲を載せているかは、秘密である^^(おいおい^^)!!




彼女が桧舞台から消えた今でも、そのあとに出した楽曲を聴くことがある。
私は、今も必死で歌おうとしている彼女の歌も嫌いではない。

月華
原始、女は太陽だった
落花流水
オフェリア
花よ踊れ

勢いがないから、そんなにHITしないが、それなりの味わいがある^^。
ただ、彼女の作詞「Days」は、「ぎょへぇ~~~!!」と呆れるしかなかったが^^。


「歌姫 中森明菜」がもう一度脚光を浴びて欲しい!と思う!!!
その一方で、このまま静かに、騒がれることがないかもしれない明菜の歌を楽しんでいたいと思うときもある。

何十年、明菜の歌に楽しませてもらったのだろう。
きっと、これからも私の「歌姫 中森明菜」の応援は終わらない^^。

昨夜は、二人の素敵な音楽友達の「セカンド・ラブ」を聴いたあと、そして、本物の中森明菜を聴きながら、眠りについた^^。




「歌姫の セカンド・ラブを 聴きながら あのとき君は 誰を見ていた」

「そばにいて その一言が 言えなくて あの場面未だ 夢に出てくる」 

          

おいおい一首^^
「恋の数 数えられない 多すぎて 名前すら出ない もちろん顔も」(おいおい^^)!!




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縁起について^^

2011年02月02日 | 和歌

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夜中、宝くじのロト6が当たったような夢で起きた^^。(おいおい^^)!!
なにか、叫んでいる自分の声で起きた^^。
それから、眠れなくなって・・・・
咽喉(のど)が、カラカラになり、冷蔵庫の冷えた水を何度となく飲みにいった。

私は、縁起を担(かつ)ぐ、験(げん)を担ぐほうかもしれない^^。
「験」は、縁起を反対に読んで生まれた言葉と言われているので、ほぼ同じことだと思っている^^。

今日は、その「縁起」について書いてみようと思う^^。

仏教を勉強していると「因縁生起」という言葉がよく出てくる。
これが、省略されて「縁起」となったのである。

かれこれ10数年、仏教を自分なりに得ようとしていてそれなりに勉強をしている。
私の仏教知識は、自己流であり、だから、私は自分を仏教徒だとは思っていないし、ただただ自分の学問にしか過ぎないと思っている^^。
しかし、その仏教の中から得るものは大きいし、役に立つことも多いし、それを大いに活用をしようともしている^^。
ただ、人間の器が小さ過ぎて、うまく活用し切れない歯痒さが随所に出てきて、それが自分の人生の甘さになっていることを悩んだり嘆いたりすることもしばしばなのである^^。
情けない話である^^!!

「教え」とは、難しいものだと歳を重ねていけばいくほど痛感する。

「悟り」は、さらに難しく、歳を重ねていけばいくほど遠い存在になって行く気がしてならない^^。
情けない人間である^^!!

さてさて、この「因縁生起」を、私なりの解釈をしてみる^^。
(おいおい^^、この罰当たり~~^^!!←by 神社仏閣関係者一同^^) 

「因」とは、もちろん原因。「縁」は、条件。
それが関係し合って、あらゆる現象が起きるとされている。
お釈迦様から、「因縁生起」は始まった。

それ以前は、「因中有果」の世界であった。
バラモン教での教えである。
「原因の中に結果がある」と言うものであった。
バラモン教の中でも、「因中無果」を唱える派と分かれてはいたようであるが。
この考えの違いは、ヨーロッパ哲学に於ける「実在論」と「唯名論」と似ているのかもしれない^^。
そう、アリステレスと師匠のプラトンの「実在論」に真っ向から意を唱えたロスケリヌスような対決なのかもしれない^^!

「因中有果」に対して、お釈迦様は、「原因だけで結果は出ない。原因と間接的な要因の縁が重なり合って、あらゆるすべての事象は起こる。それが結果」と説いた。

法話などにもよく使われる例を挙げれば、種を撒く。これが原因である。しかし、撒いたところが日陰であったり、アスファルトの道であったら、育たない。撒くところが、縁であり、育つ、育たないが結果なのである。
これを「因果」としたのだ。

その教えは、日蓮正宗の経の「南無妙法蓮華経」に観ることができる。
この中の「蓮華」が、因果なのである。

因果の道理は大きく3つある。
「善因善果」、「悪因悪果」と、あとひとつは、「自因自果」である。
「自因自果」とは、自分の行いの報いは自分に返る、これが俗に言う「因果応報」なのである。
そこに「縁」も入っていると説くが、「縁」はこれでは見えない。

ただ、私は「因果」だけでない、そこに必ず「縁」が必要だと思っている。
私の「因縁果」解釈は、「善因善縁善果」、「悪因悪縁悪果」、「悪因善縁善果」、「悪因善縁悪果」など「善悪」が組み合わされ、そして最終的に「自因自縁自果」になると思っている。
「因果応報」に対しての「因縁果報」である。

どちらも同じだと思っている人も多数いるが、私は、「因縁果報」に奥の深さを感じてならないのである。

「縁起」、いずれにしても自分がすべてを為して起こる事象である。


と、知ったかぶりを並べたが~~~^^、そんなことを知っていても、私は、験を担ぐ^^。(おいおい^^)!!
ひたすら験を担ぐ^^!(こらこら^^)
そして、願い事のすべてが、いずれ叶うと信じている^^。

そのための小道具も多く用意している^^!(おいおい^^)!!

神奈川の横須賀近くに「常勝寺」というお寺がある。
そのお寺に敷き詰められた石を沢山もらってきて、お守りにしているし^^。
なにしろ、常に勝つのである^^!

「願い叶い地蔵」という小さいお地蔵さんも部屋にいる^^。
神社仏閣の開運お守りも幾つも持っている^^。
釈迦堂にあった木の枝も、釈迦木として神木のように大切に飾ってある^^。
「金のなる木」と言う植物があるが、それも大切に育てている^^。

こんなに努力をしているのに、叶うことが少ない^^!!
(おいおい^^、それを努力とは言わない!!←by 読者^^)
皆無ではないが、概無なのかもしれない^^。
(こらこら、当たり前だ^^!!by 再び読者^^)

でも、そろそろ叶いそうだ^^!!
夢のお告げがあったようだ^^。(おいおい^^)!!

と、言うことで、明日木曜日のロト6の数字が決まった^^!!

そして、明日は節分、恵方巻きを食べる日である^^。
今年の方角は、南南東である。なにか明日は、ルンルンである^^。




「そよかなる ゆるりと眠(ね)むに 静の風 目を覚ましせば 見ゆる福かな」 
          
「験担ぎ あらゆるものを 神にして 努めることなど 考えもなく」

おいおい一首^^

「果報とは 寝ねて待つべしと 教へられ 阿呆は起きて 待つべしなるや^^」(おいおい^^) 

「恵方巻き 吾が食べれば 阿呆巻き 南南東も 難難等なり」(こらこら^^)



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私とボクシング^^

2011年02月01日 | 和歌

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昨日、東京有明コロシアムで、ボクシングWBAの世界タイトルマッチがあった。

私は、ボクシングが好きで好きでたまらない。

喧嘩が弱いから、強いものに憧れたのかもしれないが、本当に喧嘩が弱い^^!(おいおい^^)!!
いつも、弟が助けてくれた^^。(こらこら^^)!!

中学から、30歳までボクシングマガジンの愛読者であった。熱烈な読者であった。
今、あの贔屓の選手が、世界のどこにランキングされているか見るだけでもワクワクした。

昨日のスーパーフェザー級は、見応え十分であった。もうひとつのスーパーバンタム級は、ダウンの応酬はあったが、あまり面白くなかった。両方ともに強さというものを感じなかったからかもしれない。
チャンピオン内山の強さは、半端ではない。プロでの負けはまだない。
この先、どこまで無敗のまま防衛できるか、これからの私の楽しみでもある^^。

日本で世界チャンピオンは、昨日までおそらく50人を大きく超えているだろう。
日本で最初に世界チャンピオンになったのは、白井義男である。それから、ファイティング原田、海老原博幸と続く。藤猛も防衛はできなかったが、一度チャンピオンになっている。

1990年頃までのボクシングの世界チャンピオンは、本当に強かった。
今は、階級が増えるだけ増えて、チャンピオンが異常に増え、つまらない試合が多くなった。

そして、いつからか、自分の好きな選手がリングに上がるときにだけしか見なくなった。

シンデレラボーイの西城正三が負けたときは泣いた。大場政夫が自動車事故で亡くなったときは、大声をあげて泣いた。渡辺二郎が負けたときは、悔しくて眠れなかった。具志堅用高が14度目の防衛に失敗したときは信じられなかった。小林、沼田、輪島、ガッツ石松、竹原、薬師寺、辰吉、川島、畑山、そのひとつひとつに思い出がある。

亀田三兄弟、好きとか嫌いの問題でなく、弱い。
もちろん、私よりも強い!(おいおい^^)!!
魅せるボクシングもできないし、何よりも戦いに品がない。そして粋がるにしても、あの辰吉丈一郎にはなれない。あれが、本当に世界チャンピオンかと思うと情けなくなってくる。

今、世界チャンピオンの風格があるのは、昨日の内山と長谷川穂積の二人だけである。
この二人の戦いは、2011年のボクシングをまた楽しくしてくれそうである。

私が、ボクシングにのめり込んでいったのは、あのモハメド・アリに他ならない。カシアス・クレイである。
好きという言葉を遥かに超えて、崇めていると言ったほうが正しいのかもしれない。
今でも私は、アリの姿をTVや報道で見ると涙が出そうになる。

私生活でもいつもアメリカの中心人物の一人であった。
イスラム教徒を公表しての改名、軍隊の徴兵拒否、王座剥奪、パーキンソン病患者としてメッセージを伝え続ける姿、そのどれもが世界中のTVや紙面を飾った。

1974年10月30日と1996年7月19日は、忘れられない。
キンシャサの奇跡とアトランタオリンピックの開会式だ。

1974年10月30日
誰もが負けると言っていたジョージ・フォアマンとの試合。私は、ただ祈るだけであった。
あのジョージ・フォアマンが8ラウンドにリングに崩れていった姿は鮮明に覚えている。
世界中が、「キンシャサの奇跡」と叫んだ。
もう、私にも興奮しかなかった。あまりの私の興奮ぶりに回りにいた人たちが怒り出すほどだった^^。

1996年7月19日
その昔、ローマオリンピックのライト・ヘビー級での金メダル獲得者は、その金メダルを川に捨てた。

当時の黒人差別社会のアメリカで、「私は金メダルを持っている英雄だ。だから白人社会に受け入れられるだろう。」と堂々と白人専用レストランに入った。しかし、店から追い出されたのだ。
アリは、「金メダルはレストランで食事をする価値すらないものだ。」と捨てたのである。
引退後、アリは、パーキンソン病を患った。手足が震えるのだ。表舞台から姿を消した。

でも、アメリカ人だけでなく、世界中からアリは忘れられていなかった。
あのアトランタで、最後の聖火ランナーとなって聖火台に点火をし、そして金メダルを再授与されたのだ。
涙が零れて、その日の私は一日泣いていたような気がする。

リストンから始まり、フレージャー、フォアマン、ノートン、スピンクスと、どの試合も魅せてくれた。
アリが引退して、ヘビー級の試合は見なくなった。

そして、ボクシングで忘れてはならないのが、1970~1980年に掛けてのヘビー級全盛の時代のミドル級の黄金時代である。

ロベルト・デュラン、マービン・ハグラー、トーマス・ハーンズ、そして、シュガー・レイ・レナードである。私は、その4人の中で誰よりもシュガー・レイ・レナードを追いかけていた。
レナードとハーンズの戦いは、今まで見たボクシングの中でもベスト3に入る戦いであった^^!!
おそらく、この4人の壮絶な戦いは、どんなチャンピオンが出てきても、これから先も見ることはできないだろう。そんな気がしてならない^^。

ボクシングを野蛮だと言う人も多い。
確かに殴り合いに過ぎないのかもしれない。
ボクシングがこんなにも素晴らしいものであるのか、この4人のそれぞれの戦いをみればわかる。

だから、私は誰が何を言おうと、ボクシングを愛し続ける^^!!!




「ヘビー級 今チャンピオンが 誰なるや 名前浮かばず 興味も失せる」

「ミドル級 あれ程までに 魅了せし 兵(つわもの)どもの 輝き失せず」
          
おいおい一首^^

「弱いくせ 論評だけが 強くなり 犬の遠吠え 吾だけ聞こゆ」(おいおい^^) 

「痛くない! テレビに向かって 叫んでる 殴られている 選手は痛い!」(おいおい^^)!! 




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楊貴妃の特番を観て^^

2011年01月28日 | 和歌

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楊貴妃!
いつかは、私の「文学と音楽と仏教話^^」のブログで書きたいと思っている。
今、楊貴妃の資料を集めている。でも、いつ書けるのか見えていない^^!
(おいおい^^その前に源氏物語4だろ^^!!←by 光源氏^^)!!


やはり、1300年経っても、未だに語り継がれる「世界三大美女」、そして「傾国の美女」に心惹かれるものがある^^。
どこまで綺麗だったんだろうと!
私の文学ブログで、楊貴妃という女性を珈琲貴族なりに少しでもいいから脱がしてみたいと思った^^。
ただのスケベなオヤジに過ぎないかも知れない^^(おいおい^^)!!

昨日、録画してあったBS朝日が日中共同で作った「伝説の美女 楊貴妃 藤原紀香 西安1300年紀行」を見た。
2011年1月1日にBSで放映されたものだ。

見終わった最初の感想は、「藤原紀香は、いったい何回着替えたのだろうか^^?」だった^^!!(こらこら^^)!!
番組の半分は、着せ替え藤原紀香と図抜けてでかい胸ばかりが映っていた気がする^^。(おいおい^^)!!

期待をしていただけに落胆した。
しかし、番組の中で、光はあった^^。
中国の大人気女優 殷桃(いんとう=イン・タオ)が、なんと中国のドラマ「楊貴妃秘史」の楊貴妃役で出ているのだ!!
番組の中で、少し「楊貴妃秘史」が使われていた。

私の大好きな女優である^^!!
昨年初頭から3ヶ月の長さでBSNHKで放映された(今、NHKの地上波で放映中)「蒼穹の昴」のミセス・チャン役だった女優である^^。

日本はまだまだ、韓流ブームである^^。
私も、韓国のドラマは、嫌いでなく「宮廷女官チャングム」「女人天下」「天国の階段」「悲しき恋歌」「アクシデント・カップル」など夢中で観た^^。
でも、私は、華流なのかもしれない^^。殷桃だけだでなく、章子怡(チャン・ツィイ)も大好きであるし、孫菲菲、江一燕、熊乃瑾と次々と女優の名前が出てくる^^。

あはははは、でも、中華の華流でなく、綺麗な女優が好きなだけで、ただの華好きなやっぱりすけべジジイである^^。

私は、「楊貴妃秘史」というドラマが中国で放映されているとは知らなかった。
でも、楊貴妃を、これから誰かが演じるとしたら、殷桃しかいないと思っていた^^。

「楊貴妃秘史」、日本ではまだ放送されていない。
すぐ後にネットで調べたら、なんと!!!「楊貴妃秘史」全49話の DVD が、すでにいくつかの場所で販売されていた^^!!
そして、ネットでも全編が見られることがわかった^^!!

飛びついた!!!

大笑いである^^。全編中国語で、字幕も中国語であった^^。(おいおい^^)!!


さてさて^^、私が、楊貴妃をどうしても書きたいと思ったのは、玄宗皇帝との愛の深さや、愛に殉じた彼女ではなく、ある書物で、李白との目に見えぬ恋を知ったからである。

李白と言えば、今の世でも杜甫と並ぶ中国詩では最高の人物である。
李白の五言絶句詩は、おそらくあの杜甫も足元には及ばないのではないかと思っている。
月を題材にしたものが多い。
私も作詞の中で、月を描いた月シリーズが数十編ある^^!!
(おいおい^^、李白と珈琲貴族を一緒にするなぁ~~~^^!!←by 読者^^)
だから、杜甫よりも李白が好きなのかもしれない^^!!

実際に楊貴妃との間に、恋愛感情があったかどうかは、なんとも言えないところであるが、李白の楊貴妃への即興詩などを見れば、まんざら間違っていない感じもする^^。

楊貴妃が牡丹を鑑賞したいと玄宗皇帝に作らせた沈香亭で、李白は、即興で楊貴妃に詩を詠む。
玄宗に即興で作るようにと命じられたのであるが^^。
これは、七言絶句で3篇作った一つである。

雲想衣裳花想容 
春風拂檻露華濃 
若非群玉山頭見 
會向瑤臺月下逢 

雲は、楊貴妃の衣裳を想わせ、牡丹はその姿を想わせる
春風が欄干に吹き、露を払って花の華麗さをより艶やかにする
天女が住むという群玉山か、月の世界でなければこのような美しい人には逢えないだろう

ただ、楊貴妃への気持ちがなければ、ここまでのものを描けるかと私は思うのである^^。

殷桃を見て^^、益々「楊貴妃」に心が惹かれていった^^。
(おいおい^^、番組を観てじゃないんかい^^!←by 読者^^)




「傾国の 妖艶の華 散り匂う 嗚呼美しさや 永久(とわ)に薫らん」


「羽扇舞 宴(うたげ)の春に 隠(きえ)ゆ月 貴妃の顰(ひそみ)に 花も沈みぬ」
          

おいおい一首^^

「殷桃と 楊貴妃二人 選ぶとす 吾迷わずに 殷桃なりき」(おいおい^^馬鹿かぁ~^^!!)!!



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