私の実家は小さな小さなスーパーをやっています。
両親と兄夫婦、数人のパートのみなさんで
細々と駅前に店を構えています。
その実家のお店の長い長い歴史も今日でおしまいになりました。
うちの実家は9つの町内から成るS市のメインストリート
商店街の西の始まりにあって、駅前の一番活気にあふれた場所にあります。
いえ、ありました。
と、いうのはそれは数年前までのお話。
あちこちに大型ショッピングモールが出来始めた頃から
徐々にお店を閉めるところが増えていったのです。
以前はも渋滞、人でにぎわっていた商店街も
今では歩く人もほとんどいない、閑散としたもの淋しい場所になってしまいました。
私が子供の頃作文で
「私の近所にはどんなお店もあって、すぐに何でもそろいます。
まるでデパートにいるようです。」と、書いたのを覚えています。
みんな大型店のような値段ではとても売ることは出来ず
たくさん仕入れると商品が古くなる・・・
仕入れを控えれば品揃えが悪くなる・・・
そんなこんなで、どうしようもなくやめてしまわれるお店が続々と続き
「シャッター通り」とまで言われてしまった繁華街・・・
そんな中でも駅前にあるうちの実家は、バスや電車の乗り継ぎの人や
大きな総合病院の帰り道のお客さんに愛され繁盛していました
ところがこれも時のいたずらでしょうか、
総合病院は移転になり、電車は廃線になってしまったんです。
それでも、うちの父の作るお惣菜はおいしいと、
あちこちから自転車や、押し車のお客さんが来てくれていましたが
この辺が潮時・・・と閉店をきめたそうです
私が産まれた時、すでに繁盛していたお店は
祖父の代から段々と大きくしていったもの。
父が産まれる前からやっていました。
商売をやっていたから淋しかった事・・・
そんなこともありましたが、やっぱりこのお店は両親の人生であり
私や兄の育ってきた居場所でもあるんです。
それがなくなると思うとなんとも切なく、淋しいものです。
両親はそれ以上の計り知れない深い思いがあるんでしょうが
今日はそんな両親とお店にはなむけの小さなブーケを持って
娘と最後のお別れに行きました。
娘も入って最後の写真が↑です。
こんなに空っぽになってしまったけど、こんなシャッター通りの中
よく頑張っていたよ~
つぶれたんじゃなく、借金が出来る前の閉店だから
前向きになれるしね。
そんな両親が最後に残しておいてくれたのは
「売り尽くしでなくなる前に取って置いたよ」と
私のダイスキな栗と、子供たちにお菓子とジュース
親心の温かさをしみじみと味わいました・・・
今まで本当にご苦労様。
ずーっと働いたんだから、これからはゆっくりすごしてね
早速今夜の食卓に栗ご飯作りました。
明日からの新しい生活をお祝いして
両親と兄夫婦、数人のパートのみなさんで
細々と駅前に店を構えています。
その実家のお店の長い長い歴史も今日でおしまいになりました。
うちの実家は9つの町内から成るS市のメインストリート
商店街の西の始まりにあって、駅前の一番活気にあふれた場所にあります。
いえ、ありました。
と、いうのはそれは数年前までのお話。
あちこちに大型ショッピングモールが出来始めた頃から
徐々にお店を閉めるところが増えていったのです。
以前はも渋滞、人でにぎわっていた商店街も
今では歩く人もほとんどいない、閑散としたもの淋しい場所になってしまいました。
私が子供の頃作文で
「私の近所にはどんなお店もあって、すぐに何でもそろいます。
まるでデパートにいるようです。」と、書いたのを覚えています。
みんな大型店のような値段ではとても売ることは出来ず
たくさん仕入れると商品が古くなる・・・
仕入れを控えれば品揃えが悪くなる・・・
そんなこんなで、どうしようもなくやめてしまわれるお店が続々と続き
「シャッター通り」とまで言われてしまった繁華街・・・
そんな中でも駅前にあるうちの実家は、バスや電車の乗り継ぎの人や
大きな総合病院の帰り道のお客さんに愛され繁盛していました
ところがこれも時のいたずらでしょうか、
総合病院は移転になり、電車は廃線になってしまったんです。
それでも、うちの父の作るお惣菜はおいしいと、
あちこちから自転車や、押し車のお客さんが来てくれていましたが
この辺が潮時・・・と閉店をきめたそうです
私が産まれた時、すでに繁盛していたお店は
祖父の代から段々と大きくしていったもの。
父が産まれる前からやっていました。
商売をやっていたから淋しかった事・・・
そんなこともありましたが、やっぱりこのお店は両親の人生であり
私や兄の育ってきた居場所でもあるんです。
それがなくなると思うとなんとも切なく、淋しいものです。
両親はそれ以上の計り知れない深い思いがあるんでしょうが
今日はそんな両親とお店にはなむけの小さなブーケを持って
娘と最後のお別れに行きました。
娘も入って最後の写真が↑です。
こんなに空っぽになってしまったけど、こんなシャッター通りの中
よく頑張っていたよ~
つぶれたんじゃなく、借金が出来る前の閉店だから
前向きになれるしね。
そんな両親が最後に残しておいてくれたのは
「売り尽くしでなくなる前に取って置いたよ」と
私のダイスキな栗と、子供たちにお菓子とジュース
親心の温かさをしみじみと味わいました・・・
今まで本当にご苦労様。
ずーっと働いたんだから、これからはゆっくりすごしてね
早速今夜の食卓に栗ご飯作りました。
明日からの新しい生活をお祝いして