このブログの読者の皆様は、多分
振り子の柱時計や壁掛け時計がおうちにあった世代の方だと思いますが
それにまつわる特別な思い出はありますか?
広島の私のおじいちゃんは、お菓子屋さんでした。
当時は小さな町で一番大きなお店で、自分で作ったお菓子も売っていました。
小さな足でも、歩いて3分くらいのおじいちゃんのお店に行くと
店舗から見える居間の手前に、振り子の柱時計がありました。
それは幼い私の背丈ほどもあるもので、
その大きな振り子が左右に行ったり来たりするのを、飽きもせずに眼で追っていたものです。
今でも覚えているほどですから、かなりのインパクトだったのだろうと思います。
色んな事情があって、おじいちゃんの膝に入った記憶はありませんが
おじいちゃんと大きな時計は切り離せない思い出なんです。
私の家には、そんな大きな時計はありませんでした。
壁の上の方に掛けられた時計のぜんまいを巻くのは父の役目でした。
時計には穴が二つあったように思います。
時計のぜんまいを巻く父の後姿がかっこよくて
早く大きくなって、台に乗って時計のぜんまいを巻いてみたい!と憧れたものです。
うっかりして、振り子が止まってしまった時、
小さな掛け時計は流れる時間を気にすることもなく
誰かにぜんまいを巻いてもらうのを静かに待っていました。
しばらく前から浅田次郎さんの小説に嵌っているのですが
先日読んだ「遠い砲音」の中にとても印象的な記述がありました。
>>
古来の和時計には十二辰刻を表す短針の一本があるばかりであった。
むろんその時計すらも、格別の利器ではなかった。
人は空を見上げ、影を見下ろして時を知った。
日々の勤めも、他人との待ち合いも、だいたいの時刻でかまわず
遅刻を咎めだてするものなどいなかった。
時計の針が二本になれば、待ち人は苛立つ。いずれ来るであろう人をぼんやりと待つ
あの真綿のような時間は永久に喪われてしまう。
中略
時に追われれば職人はろくな仕事をすまい。
手間ひまを十分にかけた、美しいものはみななくなる。
>>
このくだりを読んで、電車の中で泣きそうになりました。
時は前にしか進まない。
変化し続ける時代を逆に戻る事は出来ません。
時計のぜんまいを巻く父の姿をかっこいいと思ったこと。
おじいちゃんの隣で揺れていた大きな振り子時計に憧れたこと。
そう言う時代の思い出が今の私を作り上げている。
知らなくても何の差支えもない、私の中での価値観の古き良きこと達は
私がいなくなれば一緒に消えて行ってしまう。
憂いても嘆いても、時は前にしか進まない。
そこに行かなければ話し合えなかった人と
電話で話せるようになり、
果ては携帯(スマホか?)で画像まで見れる時代。
素晴らしい科学の進化ですね!
今テレビで、蝶のオオムラサキの幼虫が、天敵に噛みいて撃退したところを観ました。笑
自然界では1000匹に一匹の割合でしか成虫になれないと聞きました。
我が家のかんなちゃんは、無事羽化することが出来るかな?
と、時計が蝶にすり替わったところで
小難しい話はおしまい。
今朝息子は、アルバイト先の上司に野球に誘われて、観るんじゃなくて試合に行きました。
何年ぶりの野球、大丈夫なんでしょうか。
先日バッティングセンターに行っていましたが、筋肉痛になったようで
月日の流れを感じたことでしょう。
娘はこの二日間家に帰っていません。 爆
そんなこんなで、私とは全く違う時代を生きる二人の若者たちもそれなりに頑張っております。
彼らはもう成虫なのか、まださなぎなのか、幼虫なのか?な???
おばさんも、頑張ろうっと♪
素敵な一日になりますように。
毎日沢山のご訪問ありがとうございます。
10月は毎日更新しました。
感謝をこめて
つる姫
一針一針縫いつけた背番号
息子の夢はメジャーリーガーだった
懐かしいあの日
母の夢も同じだったのに・・・な
と