我が母校大妻女子大学の教育理念はこの言葉です。
創立者の大妻コタカ先生はなんと、広島県世羅町なんです。実家のあった辺りには碑が建てられています。
最近この言葉を言いたい人たちが多くて、初めて調べてみました。
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先生は校訓『恥を知れ』の意味を
「これは決して他人に対して言うことではなく、あくまでも自分に対して言うことです。
人に見られたり、聞かれて恥ずかしいようなことをしたかどうかと自分を戒めることなのです。」
と自分を律する心を常々説いておりました。
自律心の根本にあるものは相手に対する尊敬であり、親愛のこもった思いやりのある心です。
その心が形となって表れたものが礼儀です。また、このことは自分が日々受けている多くの恩恵に感謝する心にも通じています。
『恥を知れ』という言葉は、修養を積み、自分の人格を高めていく努力を怠ってはならないということを伝えているとともに、深い知性と
気高い品性をそなえた女性を育成したいという創立者の教育への熱い思いが込められているのです。
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そうなんですね。これは人に向かって言う言葉ではなかったのです。
あの頃の私には、怖く厳しい言葉としか受け止められなかったですが、人としての深い愛情のこもった言葉だったんですね。
さて、私は母校の理念に恥じない、高い品性を備えた女性になれたのでしょうか。
改めてコタカ先生の事をもっと調べてみたくなりました。
また、恥の語源は、梵語で「傷を負う」の意味を持っていると考えられるそうで、即ち、恥は痛みを意味する、って書いてあった。
深いですなあ。
私は大学の寮に入っていました。
コタカ先生は足がお悪かったようで、杖を使って歩いておられたようですが、ありがちな寮での怖い話の中に、夜になると廊下で、杖を突いて歩く音が聞こえる、なんてのもありましたよ。
トイレに貼ってあった言葉が「一歩前」ではなく「恥を知れ」だったかどうかは記憶の彼方です。
梅雨明けが入梅だったかのような日々、久々のちょっとの日差しにセミが鳴きはじめました。
長渕博士によるとセミは「チキショー」と鳴くそうです(爆)
素敵な一日をお過ごしください。
感謝を込めて
つる姫