生息記録・コラム・批評・小説・たまにテクニカル・・・なブログ(Blog)です
Oroさんのつぶやき日誌  せっかくなので読まれる努力をすることにしました。このblogがご参考になりましたら応援お願いします



では、仕事がデキル!ようになるには
どのようにすれば良いか?

結論から言ってしまうと、
仕事をくれる人がそれを決定するならば、
その人(人々)の基準にあわせつつ、
その基準を多少超えた仕事を行えばよいのである!

これは何もYesマンになれと言っているのではなく、
評価者の基準、例えば、
生産(成果)物・プロセス・手段・迅速性・コスト意識など
の密度や優先順位をあわせ、その到達度を
アピールすることが重要だということである。

つまり当然のように、素晴らしいヨイショをいくらこなせても、
基準に見合うカードを切れない場合、
仕事が出来るとは言えない(笑

注)【「上司は思いつきでものを言う」 橋本 治 著
にも色々書いてありますので読むとオモロイかも^^;

さて、実はそう言いつつも基準を見つけることが
極めて難しい。なんといっても先方様は生き物デス!(@@;

しかし、生き物である以上、というか少なくとも
人間という普遍要素はあるわけでw
傾向と対策はあるでしょ!

ということで私なりの考察を以下の通り展開トライしてみる。
(私は実践できてませんが!
ナント言っても私は仕事デキナイ人なんでTT)

って、全2回予定を超えてしまったので
タイトルを差し替えてつづく(おィおィ


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今日は定番!?のツレツレなるままに、
仕事について一筆論じてみようかと思ふ。

さて、「仕事がデキル」ということを定義
しなければならないが、抽象的かつ難問である。

まぁでも、普通に考えれば
「生産性が高く、その生産性に対するコストの割合が低い」
ってなことが実現可能な人と仮定できる。

しかし、よく考えなくてもwこの論理は破れる。
定職を持たない人が増えた昨今、
それじゃあ派遣で社員と同様に責任分担されて働く人は、
社員より仕事ができるのか?ということになる。
ある意味、そこの社員より仕事できると言えなくもないが、
ただ単に足下みられて労働単価が低いだけかも知れない。
(つか、都庁がある街のマク○ナルドのバイトなんて
もの凄く生産性は高いんじゃないか?!)

視点を変えよう(汗・・・。
仕事がデキル!と判断するのは誰なのか?
つまり、前日までボンクラ!とか言われてたのに
「アナタ仕事出来ますネ!」という感じに
ある日突然、生まれ変わらせてくれる人は
誰かと言うことである。

やっぱり、それは仕事くれる人でしょうね。

サラリーマンならまず上司
(上司の上司ってのもあり得るか?)。
インフォーマルな部分で先輩。
社内外のプロジェクトリーダーや
プロジェクトマネージャーってことも考えられる。

自営業ならクライアントってとこでしょう。

だって数字が絶対だ!とか言いつつも、
プロセスとか手段が評価・判断されない訳はないし、
んじゃ支援部隊はどうすんの?ということになる。
(こんな事を書きつつ、昔、倉庫番とかいう
 ゲームで暴れたことを思い出す・・・苦笑)

そう、そのゆらぐ基準を巧みにあやつるのは
なにを隠そう(隠してないって?w)、
仕事をくれる人なのである!

つづく(笑


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実は私を含めた3人で今年の3月から月1回の
勉強会を主催してきたが、8月は全員多忙のため実施できず。
9月も予定さえ立たない。

元々、IT技術者ではない私がSEに転向して1年、
わからないことだらけで「教えてクレヨン!」攻撃が
転じて始まったことだが、私だけでなく
各人勉強し充実した意義のある内容であった。

なにより、そのメンバーが集まるのが楽しかったかな。

が、ここへ来て自分自身が全くスケジュールに都合が付かない。
さらに余裕の無さからかあらゆる面のモティベーションが低い。
もちろん、生産物や作業のクオリティも下がる。

しかし、忙しいからこそ張り合いがある人もいるだろし、
その中でもクオリティを維持できる人もいるだろう。

それは恐らく、自分の中で優先順位をつけているつもりでも、
あれもこれもと手を広げすぎて自滅傾向にあるような気がする。
何よりも明確なビジョンがないのだろう。

つまり、自分では
3年後、10年後、老後とあらかたの目標・基準(夢)
はあるのだが具体的な道程ではないから、
目下の現実に悪い意味で妥協し、
将来の可能性だけを広げて実現性が乏しくなり、
結果やモティベーションが下がって、また現実に妥協する
という、なんとも情けないスパイラルに
足を踏み入れているということであろう。

人生は飴のようにのびきったものではなく、
不連続の連続であるから(人生を先読み・予測できるかい!w)、
目の前の出来事や可能性を一歩一歩こなすことは
夢実現のために悪いことではないのかもしれない。

しかし今、そのことを重々承知の上で、
人間の時間とやれることに限りがあることを
強く感じる昨今である。

「山月記」中島 敦 著(リンクは無断w)


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