とある写真を探していて、過去の写真を見返していた。
本当に狂ったように花の写真を撮っていて、少々驚く。
その花たちは紛れもなく私の目線で収められていて、花はそこに存在していたけれど、それらは“私が見たいように見ている花”だ。
表現とはそういうものだ。
イメージ、イメージ、イメージが大切だ。
あと必要なのは、“私がしたいように出す”という技法。
しかし、私は自分で撮った花の写真がやっぱり好きなんだなとしばし見入る。
撮っていたときに本当に夢中になっていることや、それに対する熱情がひしひしと伝わってくる。
何せ花の中に入れるのなら虫になりたいと思っていたくらいである。
それにしても、自分で創ったものが好き、というのは本当に世話のないことだと思う。
今も花の写真は撮るけれど、1時間も2時間もものすごい体勢で、確かに今はもうあそこまで夢中にはなれない。
私の中の花のイメージを私は勝手に撮り尽くして満足したのかもしれないし、イメージはもう膨らまなくて枯渇してしまったのかもしれない。
何事も飽きるまで、それに尽くし続けた方がいい。
何かわかるかもしれない、何にもわからないかもしれない。
それでも。
ある人が言っていた、「死ぬときに幸福な絶望を味わいたい」と。
そんなものはどうなるか分からないけれど、本意を見て見ぬふりをするのは人生に失礼なのだと思う。
私はたくさんの幸福感を花たちからもらったと、そのことに感謝して次に気になることに邁進せねばならない。
変わってしまうことから逃げることでは良いものは得られないだろう。
請け負わねばならないのは、自分の心だけだから。
アコースティックギターが急に、そして猛烈に欲しくなった。
線にとらわれないギター。
御茶ノ水に見に行こうと思っていたのにこんな時間になってしまった。
きっと外は寒いだろう。
起きるのが昼過ぎだと、世間の活動にほぼ間に合わない。
起きてお昼ごはんを食べて少し仕事をしたら夜なのである。
午前から仕事をすれば、夕方くらいには外に出られて、書道博物館にも行けるし、楽器屋さんにも間に合う。
しかし真夜中の高揚は、昼下がりの気怠さとは雲泥の差があって、とても大袈裟に言って“生きてる感”が大きいのである。
真夜中には、孤独が楽しい。
そして、皆が活動を休止する真夜中は正々堂々と孤独でいることを許されている気になる。
夏になればまた分からないけれど、仕事などで縛られない限り私はしばらくこの生活を止めないだろう。
アコースティックギターはまた今度見に行こう。
昨日よりも熱は落ち着いたけれど、きっとまた再燃するだろう。
けいこから送ってもらったみかんがいくつか腐っている。
ちょうどちびまる子ちゃんが青ざめたときのような、あの青さで。

本当に狂ったように花の写真を撮っていて、少々驚く。
その花たちは紛れもなく私の目線で収められていて、花はそこに存在していたけれど、それらは“私が見たいように見ている花”だ。
表現とはそういうものだ。
イメージ、イメージ、イメージが大切だ。
あと必要なのは、“私がしたいように出す”という技法。
しかし、私は自分で撮った花の写真がやっぱり好きなんだなとしばし見入る。
撮っていたときに本当に夢中になっていることや、それに対する熱情がひしひしと伝わってくる。
何せ花の中に入れるのなら虫になりたいと思っていたくらいである。
それにしても、自分で創ったものが好き、というのは本当に世話のないことだと思う。
今も花の写真は撮るけれど、1時間も2時間もものすごい体勢で、確かに今はもうあそこまで夢中にはなれない。
私の中の花のイメージを私は勝手に撮り尽くして満足したのかもしれないし、イメージはもう膨らまなくて枯渇してしまったのかもしれない。
何事も飽きるまで、それに尽くし続けた方がいい。
何かわかるかもしれない、何にもわからないかもしれない。
それでも。
ある人が言っていた、「死ぬときに幸福な絶望を味わいたい」と。
そんなものはどうなるか分からないけれど、本意を見て見ぬふりをするのは人生に失礼なのだと思う。
私はたくさんの幸福感を花たちからもらったと、そのことに感謝して次に気になることに邁進せねばならない。
変わってしまうことから逃げることでは良いものは得られないだろう。
請け負わねばならないのは、自分の心だけだから。
アコースティックギターが急に、そして猛烈に欲しくなった。
線にとらわれないギター。
御茶ノ水に見に行こうと思っていたのにこんな時間になってしまった。
きっと外は寒いだろう。
起きるのが昼過ぎだと、世間の活動にほぼ間に合わない。
起きてお昼ごはんを食べて少し仕事をしたら夜なのである。
午前から仕事をすれば、夕方くらいには外に出られて、書道博物館にも行けるし、楽器屋さんにも間に合う。
しかし真夜中の高揚は、昼下がりの気怠さとは雲泥の差があって、とても大袈裟に言って“生きてる感”が大きいのである。
真夜中には、孤独が楽しい。
そして、皆が活動を休止する真夜中は正々堂々と孤独でいることを許されている気になる。
夏になればまた分からないけれど、仕事などで縛られない限り私はしばらくこの生活を止めないだろう。
アコースティックギターはまた今度見に行こう。
昨日よりも熱は落ち着いたけれど、きっとまた再燃するだろう。
けいこから送ってもらったみかんがいくつか腐っている。
ちょうどちびまる子ちゃんが青ざめたときのような、あの青さで。

