いもうとからよく姪の写真がLINEで送られてくる。
私が喜ぶから、いもうとはたくさん送ってくる。
食いしん坊の姪の大人顔負けのご飯の写真や、大きなみかんの皮を必死で向いている写真、得意げにスーパーのカートを押す写真、大好きなお友達とせんべいをかじりながら笑っている写真、ちょこんと姿勢よく正座をしている写真、恐る恐るすべり台を滑っている写真、カメラに向かってニーとポーズしている写真。
私はそれをいつも「あぁかわいい」と思いながら何度も見返していたりする。
私は特別子ども好きではないと思うけれど、やっぱり姪はかわいいし、子どもは愛されるべき存在である。
欲望のままに生きたいと発している姿、というよりは、欲望のままただ普通に生きているその姿は輝かしい。
その一方で、大人よりも体に自由が利かないとか、思うように言いたいことを人に伝えられないとか、そのやりたいことを親に阻止されるとか、そんな不自由さは何とももどかしい。
そしてとても興味深い。
保育士をやっている友人がいて、同僚の保育士の融通がありえないほどに利かない悲惨さなどの話もさることながら、子どもたちの話を聞いたり、彼女のブログを読んだりするのは面白い。
私は誰かの親ではないから、ほとんどのことを子ども目線で聞いているけれど、彼女のような人が保育士であることに本当に感謝している。
別にその恩恵を直接私が受けているわけではないけれど。
そして彼女が保育士をいつか辞めることも自由だけれど。
子どもを危険から守ることだけでも、相当大変なことは時々姪を見ることでも十分に分かる。
しかし保育士の仕事は、もちろん子どもを危険から守るだけではなく、一人ひとりの子どもの意志と向き合って応えていかねばならない。
しつけというか教育というか、こうした方がもっと生きるのに上手くいくよ、ということも伝えていかねばならない。
それだけならまだ良いが、様々なタイプの親たちの対応やイベントごとの準備、各種事務作業だってこなさなければならないだろう。
そんな状況でも、きらきら輝く子どもたちとのやり取りはどれをとっても特筆すべきものの塊である。
きっと、家で十分に甘えさせてもらえていない子どもを、わずかの時間でも甘えさせてあげることも保育士の彼女はしているだろう。
本当にほんとうにありがたいことだ、となぜか私が本気で思ったりする。
彼女の子どもたちに対する愛情は、子どもとはいえひとりの人間に対する尊重の仕方そのもので、その上で子どもに適した接し方をしている。
そういう意味で私よりも随分と「おとな」なのだろうし、それが彼女にとって良いかそうでないかは知らないけれど、私が彼女を尊敬しているところだ。
私の幼き頃の保育士の数少ない思い出は良くも悪くもないけれど、彼女のような保育士の下にいたかった。
実際に彼女の働いているところは一切見たことがないけれど、彼女を見ているとそう言いたくなる。
まあでも、彼女が保育士をいつか辞めても、それはそれで私は一向に構わないし私は困らない。
彼女が彼女自身の人生における納得の方がよほど重要だからだ。
「期待はずれの人」
これに関しては意識的な破壊はなかったけれど、こうしてみると少し自分の作品が変わってきているように思う。
6月25日(水)~7月6日(日)、六本木の国立新美術館にて私の所属している書道団体の同人書作展があります。
もしご興味ある方は足を運んで、見てやっていただけるととても嬉しいです。
ちなみに無料です。
「日本教育書道藝術院 同人書作展」
国立新美術館 2階展示室(2CD)
6月25日(水)~7月6日(日)
初日12時半開場 休館日7月1日(火)

私が喜ぶから、いもうとはたくさん送ってくる。
食いしん坊の姪の大人顔負けのご飯の写真や、大きなみかんの皮を必死で向いている写真、得意げにスーパーのカートを押す写真、大好きなお友達とせんべいをかじりながら笑っている写真、ちょこんと姿勢よく正座をしている写真、恐る恐るすべり台を滑っている写真、カメラに向かってニーとポーズしている写真。
私はそれをいつも「あぁかわいい」と思いながら何度も見返していたりする。
私は特別子ども好きではないと思うけれど、やっぱり姪はかわいいし、子どもは愛されるべき存在である。
欲望のままに生きたいと発している姿、というよりは、欲望のままただ普通に生きているその姿は輝かしい。
その一方で、大人よりも体に自由が利かないとか、思うように言いたいことを人に伝えられないとか、そのやりたいことを親に阻止されるとか、そんな不自由さは何とももどかしい。
そしてとても興味深い。
保育士をやっている友人がいて、同僚の保育士の融通がありえないほどに利かない悲惨さなどの話もさることながら、子どもたちの話を聞いたり、彼女のブログを読んだりするのは面白い。
私は誰かの親ではないから、ほとんどのことを子ども目線で聞いているけれど、彼女のような人が保育士であることに本当に感謝している。
別にその恩恵を直接私が受けているわけではないけれど。
そして彼女が保育士をいつか辞めることも自由だけれど。
子どもを危険から守ることだけでも、相当大変なことは時々姪を見ることでも十分に分かる。
しかし保育士の仕事は、もちろん子どもを危険から守るだけではなく、一人ひとりの子どもの意志と向き合って応えていかねばならない。
しつけというか教育というか、こうした方がもっと生きるのに上手くいくよ、ということも伝えていかねばならない。
それだけならまだ良いが、様々なタイプの親たちの対応やイベントごとの準備、各種事務作業だってこなさなければならないだろう。
そんな状況でも、きらきら輝く子どもたちとのやり取りはどれをとっても特筆すべきものの塊である。
きっと、家で十分に甘えさせてもらえていない子どもを、わずかの時間でも甘えさせてあげることも保育士の彼女はしているだろう。
本当にほんとうにありがたいことだ、となぜか私が本気で思ったりする。
彼女の子どもたちに対する愛情は、子どもとはいえひとりの人間に対する尊重の仕方そのもので、その上で子どもに適した接し方をしている。
そういう意味で私よりも随分と「おとな」なのだろうし、それが彼女にとって良いかそうでないかは知らないけれど、私が彼女を尊敬しているところだ。
私の幼き頃の保育士の数少ない思い出は良くも悪くもないけれど、彼女のような保育士の下にいたかった。
実際に彼女の働いているところは一切見たことがないけれど、彼女を見ているとそう言いたくなる。
まあでも、彼女が保育士をいつか辞めても、それはそれで私は一向に構わないし私は困らない。
彼女が彼女自身の人生における納得の方がよほど重要だからだ。
「期待はずれの人」
これに関しては意識的な破壊はなかったけれど、こうしてみると少し自分の作品が変わってきているように思う。
6月25日(水)~7月6日(日)、六本木の国立新美術館にて私の所属している書道団体の同人書作展があります。
もしご興味ある方は足を運んで、見てやっていただけるととても嬉しいです。
ちなみに無料です。
「日本教育書道藝術院 同人書作展」
国立新美術館 2階展示室(2CD)
6月25日(水)~7月6日(日)
初日12時半開場 休館日7月1日(火)

