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つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

もしも雑踏で

2013-12-02 18:27:26 | 日記
会期となった東京書作展。
見に来て下さるという方もいらっしゃるのに、展示が少字数作品だったらどうしようと思っていたが、「リンダリンダ」が展示になっていた。

まずは私のブログのきっかけとなった大学の先生が見に来て下さるので会場で待ち合わせをする。
少し早く着いたのは、どの作品が展示になっているかを確認するためと、出品前にすっかり写真を撮り忘れたので自分の書いたものをとりあえずもう一度自分の中に収めるためだった。

広い会場をざっと見渡して「リンダリンダ」を見つけた。
前作の「情熱の薔薇」よりも、「リンダリンダ」は私にとってのロックンロールの入り口だったわけで、思いという意味では強かった。
しかしどんなふうに書いたのか、出品後うまく思い出せないでいた。

私が自分で書いたそれに会場で再度ひとり立ち会って、私はどきっとした、うわっと思った。
頭ごと覆ってしまいたくなるような恥ずかしさと、文字通りの意味で近寄れない拙さがあったからだ。
技術的に及ばないこともそうであるけれど、あれは私の詞ではなくて甲本ヒロトの詞であるけれど、私が私の解釈を元に、私の本当に思っているところだという事実が恥ずかしさを増幅させた。
相当な独りよがりだけれど、“はだか”を見られているのに近いような感じである。

と、これ以上言うと、「“はだか”を見せるということはこんなもんじゃない」ということにもなるし、その領域はもっと“ヤバイ”ものであると思っているのでこの辺で留めておく。

これが詞について何も思わない漢詩作品であったとしたら、もっと客観的に書の技術について私は顔を覆いたくなっただろう。
しかし冷静な思いでそれを反省するくらいはできる。

しかし自分の少しの欠片を晒すというのは、様々な感情を呼ぶので私にとって意味があることだなと思う。

その後先生と落ち合って、私が「リンダリンダ」の前で「恥ずかしい恥ずかしい」と連発し、他の作品や私に影響を与えた先生方の書作品を見て回る。
先生はこれまでも何度か書作展に足を運んでくださっていて、つまらないものですがそれでもありがとうございます、私は嬉しいです、と心から思う。

のちに友人も来てくれることになっていて、それまで先生とカフェでお喋りする。
私は大学3年生のときに先生のゼミがきっかけでブログを始めたわけだが、卒論の担当をしていただいたわけでもなく優秀な学生だったわけでも全くない。
それなのにここ最近でもご縁を持たせていただいているのは間違いなくブログのおかげであるし、お互いの行動力が成せることだと思う。

実際に連絡する、実際に行く、実際に会う、実際に喋る。
そのことがすべてを形作るわけである。

私は「喋る」と心して喋っている場合は、もちろん好きでそうしているというかなってしまうのだけれど、とても真剣に喋っているので結構体力を消耗する。
ぼそぼそ話すのは逆にそのことに気を取られてしまうので苦手で、終始声のボリュームが大きい。
余談だが、トータス松本が「小さい声で喋る奴は言いたいことがないと思うねん」とどこかで言っていた気がするが、それを聞いて何だか安心した憶えさえある。
これは昔からそうで、10時間くらい喋り続けて友人と別れ家路に着くと、酸欠で眩暈を覚えたことが何度もあるくらいだ。

第1ラウンドを終えて友人と会ったことには若干の酸欠状態でぼーっとしていた。
友人を「リンダリンダ」の前に連れて行って「近くで見るものではないからね」と言って私はその場を離れた。
彼女は私と同じくらいヒロトとマーシーのことが好きだから、彼女にとっても私が彼らの詞を書道で書くことを特別に思ってくれている。

15分くらい私はベンチでぼーっとしていた。
まだいるのかなと思って「リンダリンダ」の前に戻ると彼女はまだ「リンダリンダ」の目の前に立っていた。
私に気づいて、「恥ずかしい、なんか、恥ずかしい」と連呼していた。

私はそれが嬉しかった。
彼女がこれに恥ずかしさを感じてくれたということは、少しだけでも、私の思いがこれに乗ったということだと思うから。

彼女はいつも、私が何をしても褒めてくれる。
別に私はそれに舞い上がるわけでは全くなくて、「何をしてもいいんだよ、それでいいじゃん、それがいいじゃん」と認めてくれることが時々涙が出てしまうくらい、私は嬉しい。

一緒に会場を後にして、渋さ知らズオーケストラのライブへ。
私は何度目かで、寝不足だったこともあり序盤で少し寝てしまう。
ほんの5~10分くらいだったと思うけれど、爆音の中で寝て、爆音の中で目覚めた。

彼らのライブは手放しで聴けるすごさがある。

翌日仕事で4時起きの友人を、なぜか申し訳ない気持ちで見送る。
家に着いて、JAMを聴きながら、久しぶりに湯船に浸かる。