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つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

必殺!

2013-08-02 00:32:43 | 日記
展覧会に出していた「情熱の薔薇」が戻ってきた。
毎度硬い筒に入って戻ってくるのだけれど、今まで何度か私はそれを開けることなくゴミに出していたので中の状態のことを今回初めて知った。

羅文箋という薄い紙に書いたのだがそれが丁寧に裏打ちされて、厚紙と一体になっていた。
墨の色も綺麗に出ていて、なんだか「作品」という感じがした。
ただすべてを広げてみるにはやはり大きすぎるし、同じように丸められなくて筒に入らなくなっても困るのでちらりと見てまた筒の中にしまった。

けいこに、「作品が戻ってきたけど本当にいるの?」とメールをする。
私は何かをあげて喜ばないけいこが、やっぱりそんなに大きいならやめとくわ、と言う確率が80%くらいだと踏んでいた。
次回恵子が東京に来た際にその筒をバッグに入れることもできないまま持ち帰らないといけないから、そんな面倒なことはしないだろうと。

そうしたら「欲しいです。取っておいて」とメールが返って来た。
やはり大きさは確認されたけれど、それを確認しても「取っておいて」と返って来た。

通知表もテストの点数も、どんなに良くても喜ばなかったし褒められもしなかった。
でも思い返せば作文や絵は見ていたような気もする。
でも、褒めてもらったことは一度もない。

私は今回「情熱の薔薇」であるという理由でこれを捨てられはしなかったとしても、もし誰かもらってくれる人がいるのであれば誰にあげてもよかった。
展覧会に行ってくれた友人との会話の中で、友人はこれを欲しいと言ってくれたけれど、けいこがもらってくれるかもしれないと話すとこう言った。
「作品に表れていたあなたの分身を、がんばったあなた自身を、お母さんに」と。

泣いてしまう。
こういうことで、泣いてしまう。

私の溶け出でて漏れ出でてしまう核の部分は、どうにもしようがないくらいにこういうこととリンクしている。

誰かが本当に心の底から思っていることを、本人が知ること解ること。
そしてその思うことが願い叶うこと。
それは麻薬とかあるいは麻薬のようなものでは、本当には起こせない類のもの。

そういうことがありありと手に取るような実感を伴って起きるといい。
枯渇しているその場所がびしょびしょになるくらい、あるいは優しく染み渡るように、満ちたらいい。

見えない基盤の弱さを持った人が、別にそれが条件ではないけれど、満ちるという経験をしてくれたらいい。
もちろん一番そうしたいのは私自身だけれども。


ネットレンタルで借りたいCDがたくさんあるのに再発行の手続きをしたカードがまだ届かない。
ツタヤもせっかく家の近くにあるというのに、Tカードの再発行はどこの店舗でもできるわけではなく一度でも利用したことのある店舗でしか再発行ができない。
面倒であって、面倒である。

オクラは板ずりをきちんとしたら、格段に食感が良くなった。
でも結局卵を混ぜた段階で焼きたくなってオムレツにしてしまったので、火が良く通ったことが原因かも知れない。
しかし、IHコンロの使い方が本当にわからなく、「ボッ」とも言わないし「ジュー」とも音を上げない。
ホットプレートでホットケーキを焼いているような感覚。
これでは野菜炒めなど作れないではないかと思うのだが、熱し方が足りないのか、フライパンに問題があるのか。