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つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

そわわわわ

2013-06-15 00:43:08 | 日記
ギターが立って弾けるようになった。
というか、随分前に立って弾いたときに全然押さえられず音が鳴らなくて、座ってやることにしていた。
それから3か月ほどだろうか、立って弾いてみたら座っているときと同じくらいのレベルで弾けた。
というか、立って弾いた方が弾きやすいくらいに思えた。
それに、私がやるような曲は立って弾いた方が楽しいんだと気が付いた。

ロックバンドのギタリストはよく股間のあたりで弾いている場合が多いが、あれはパフォーマンスの一環であって、弾きやすさとか所謂正しいギターの位置というのは上腹部あたりであるらしい。
試したことはないけれど、そんなに下の方で弾いたらたぶん左手の指と腕を攣ってしまうのではないかと思う。

まして飛び跳ねたり、頭の上に掲げたりして弾くのは考えられない。
いくらパフォーマンスでも、よく弾けるものだと感心する。

教えてもらった耳コピアプリを入れて、4分の3倍速にしてマーシーのギターソロを聞いてみるけれど、一定の速さ以上になるとさっぱり音が終えなくて、どの曲のソロも中途半端にしかできない。
2分の1倍速にする同アプリの機能アップバージョンは有料450円で、これを買おうと思う。

最近曲の中のギターの音がよく聞こえるようになった。
それがギターなのか、ベースなのか、はたまた他の楽器なのか、私の理解が間違っていることもあるとは思うが。
それは自分のiTunesから流す曲だけではなくて、街やカフェで流れている曲も、テレビから流れてくる曲も。
ギターが鳴っている方へと耳が行くようになった。
たぶんあんなふうにその音を作って鳴らして、たぶん弾き方はあんなだろう、という想像をする。

自分にギターを弾くセンスがなかったとしても、自分がやらなかったら知ることもなかったであろうこと。
もっと自分が弾けるようになればいいのにと思うのだけれど、いろんな理由で難しいなあと思う。

私が音楽の幅を広げたきっかけのひとつは、ある人から借りたそのまま曲が入ったiPod nanoだった。
私はそれをシャッフルして聴いて、自分の身体の反応で自分の好きな音楽の感じを知った。
それまでの私の、何の誇張もなく狭すぎて浅すぎた音楽史が開け始めたときだった。

このときはまだ、ジミ・ヘンドリックスやゼッペリンをほぼ知らなかったけれど、おそらく彼らがかっこいいなんて、そう思うようになるなんて思わなかった。
「うおーかっけー」と男子中学生のような心持ちなのである。

もうひとつ、大きく音楽の幅を広げることができたのはギターを始めたからだ。
というか、ギターの先生が色々と、本当に色々と教えてくれたことが大きい。
先生から教わったたくさんのアーティストを取り入れることができたし、音楽に対する見方や聞き方も私の中で明らかに変化してきた。
未だブルーハーツもハイロウズも、全くもって驚くほど色褪せはしないけれど。

色んなアーティストが、色んな曲を書いて、音を創って、その取り入れ方がようやく身に付いてきた。
私はたぶん、半年くらい前から同じようなことを繰り返し言っているのだが、その度に何度もそう思うのだ。
しかしそれは全く同じ地点で言っているのではなくて、毎度少しずつ広さか深さを得たその地点でそれを思っている。

いい先生に出会えたのだなあと、ギターの演奏習得はとてつもなく不出来な生徒が、心からそう思う。

あらゆる多くを見聞きすること。
自分の今いるフィールドに執着せず、こだわりもプライドも捨てていけたらいい。


押しボタン式の信号で、「ボタンを押してください」となっているまま、横断歩道に10人くらいがそのまま待っていた。
それでは永久に変わらない信号の前で待ち続ける人々。
私は周りを見渡してから、大袈裟にボタンを押した。
「お待ちください」となって、しばらくして信号は青に変わった。