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つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

アイキャントゲットノーサティスファクション

2012-11-16 23:09:27 | 日記
人は一般的に他人に悪く思われたくないから、相手のことをずばり指摘したりはしない。
たぶん、そういうものだと思う。
もちろん、その人との間柄や新密度によって、時に相手を思って進言することは確かにある。

初対面や親しい間柄でない場合は特に、なんとなく、やんわりと、というのが所謂「普通」だと思う。

だから、衝撃的だった。
利害関係が絡んでいるからとは言え、それにしても衝撃的だった。
傷ついた、とかいうことはさほどないし、その人に対して人間的拒否感を抱いた、ということも全くない。
それにしても、衝撃的だった。

確かに、指摘されたことが図星な面も確かにあるから衝撃度が大きかったのだとは思うが、人に対してそこまではっきりと言う人がいるのだという、驚きであった。
他人を指摘するとき、自分自身がその指摘箇所をクリアしていないとできないはずだ。

仕事が関係すると、自分のあり方を見直さなければいけないこともあるだろう。
不得意なことも時にしなければならないし、気持ち良さを追求する場所でもない。
しかし、仕事の時間というのは人生においてとても多くを占めるから、あまりに不得意なことを続けることは私はできないし、そこに気持ち良さを求めることもしてしまう。

甘い、と言われればそれまでだけれど、私の仕事における能力の最大化は私自身の心地よさのようなものと比例するような気もする。
それに、心地よさ、なんて言っていたって多少のストレッチは強いられる。

ただ、戦闘力が99止まり、正確には私はそのゲームがわからないので数字は覚えてないが、などと言われるとカチンとくるし同時にそうかもしれない、とも思う。
思い返すに、最近仕事に全力かと言われると全力でない気もするし、仕事に全力を出せるのか、と言われるとその自信もない。

私はどうしたいのだろう。
私はどうなりたかっただろう。
私はどうすべきだろう。

新しい人間を見た。
と同時に考えなくいけなくなった、考えるきっかけを得た、とも言う。

誰かに褒められることや誰かに認められること、誰かに否定されないこと誰かを否定しないこと、そんなことを求めたり気にしたりする。
しかし人との関わりの中で生きている以上、人から影響を受けるのは必然なもので、新しい接触があってこそ枠外の自分に気付いたり知れたり、時に成長したりする。
相手の言うことを飲むにしても、飲まないにしても。

久しぶりに少し新しさへの消化不良のせいでカオスだ。
人生は自己満足のためにあるべきだ、と思うことには変わりはない。

ただ、この話の大筋は、大いなる衝撃を食らった、というところにある。