光ケーブルがあればどこへでも行ける

日給がいちおくえんある

ケツノポリス4を聞いてみた

2005-06-30 21:57:17 | Weblog
ケツノポリス4、やっぱいいねー。
「三十路ボンバイエ」はライブで聴いていいな、と思ったけどやっぱいい。
「上がる」も好きなテンションだなー
でも「さくら」はやっぱいい・・・一番だ

俺的ケツノポリスランキング:2>4>3>1

テニプリのコスプレサイトさま

2005-06-26 13:57:15 | Weblog
例の王子様の監禁事件以来、テニプリのコスをなんだか胡散臭く思っていましたが・・・

★桃色入り口★
このサイト、入って写真館、けっこう可愛い子がいるねー。
明らかに小学生だろってくらいの奴から同年代くらいまで幅広くいますねー。
いやー、テニプリ、幅広く愛されてるなー。
さー、今週号、氷帝はどんな戦いをみせてくれるのかな?

女の子って・・・・

2005-06-26 13:22:07 | Weblog
レポ:映画「電車男」を柳下兄さんと見て来ました(`・ω・´)シャキーンしろはた

感受性については女性が優れてるなんてことを聞いたことがあるけど・・・

>>4:そして、これが一番衝撃だったのですが、男なら全員突っ込みたくなるこのありえない脳内妄想話を観ている女の子たちが感動して泣いているのです…(・ω・ ) どういうことなんでしょうか。(・ω・ ) みんな、こんなヘンな女になりたいのでしょうか!∩( ・ω・)∩ この「男はこんな都合のいい女ありえねーと突っ込んでるのに、女は真に受けて泣いている」という恐るべき現実がいちばん不気味でした。

電車男に感激できる人は、いわゆる「泣きゲー(エロゲーだがエロよりもストーリー性重視)」でも泣けそうですね。
DVDになったら見ようっと

平成17年(2005年)6月20日(月曜日) 静岡新聞 論壇

2005-06-21 20:36:21 | Weblog
論壇 屋山太郎

日本と発想異なる「中華圏」

<中・韓の思考方法は同じ>
 戦後の日本は日中友好、日韓友好を国民みんなが追求してきた。向こうの言い分に多少違和感があっても我慢して友好関係を確立しなければならない。有効が成ったのちは、あらゆる係争問題が小さくなり、話し合いで解決できるようになるだろうと考えてきた。しかし最早、こういう希望的患側を抱くのはやめた方がよいと思うようになった。また中国と南北朝鮮は別の国と考えてきたが、思考方法も同じ、道徳のレベルも同じ、つまるところは「中華圏」の人であって中・韓を二つの国と考えない方がいい。


残りの部分は明日以降に書きます・・・

忙しいから更新できないだあ!?

2005-06-20 21:49:52 | Weblog
ふざけんなよ!!おれはブログ巡回が楽しみなんだよ!!毎日更新しろよ!!休日にいたっては午前と午後更新しろよ!!なんだよ!忙しいって!!更新より大切な用事があんのかよ!!お前、忙しいって言いたいだけちゃうんかと・・・

こんなこと思ってました・・・去年まで・・・
すいません・・忙しくて更新が・・・
仕事以外の変な用事ができまして、平日更新がきつそうです・・・
静岡新聞の論壇の記事(屋山先生のやつ)は明日アップします・・・
すいません。。。

ちょっと気持ちの悪い話です。

2005-06-15 21:28:54 | Weblog
不快な気分になるかもしれないので、食事中の方は近づかないほうがいいかも・・・
若隠居の徒然日記さんとこの食人に関するエントリーが炎上している(若隠居氏はその後、言いすぎだったと反省しています。エントリーは自戒の念をこめて残してあるそうです。ところで若隠居氏は以前、コメント欄が白熱したとき、「コメント欄がにぎやかだが炎上しているとは思わなかった」と述べています。ブログ主が炎上してると思わなければ炎上ではないのかもね)

ってことで食人に絡めた話
日本で食人といえば佐川一政(リンク先、グロ画像あり!注意!)
ずいぶん日本人の評判を落としてくれた彼ですが、高校生のころ拾ったエロ漫画雑誌の巻末で読者の質問コーナーを担当していました。
「好きな子がいて食べちゃいたいです」なんて質問が寄せられてましたね(どんな回答してたかは失念・・・)

って、今日のエントリーはなんか書いてるだけで気持ち悪くなってきたなあ。読んでくれた人、いたら本当ありがとうございますm(_ _)m

平成17年(2005年)6月14日(火曜日) 静岡新聞 論壇

2005-06-14 20:41:56 | 地方新聞
月曜日が休刊日のため、屋山さんの論壇も一日ずれました

論壇 屋山太郎

「今に生きている」歴史


<1200年間有効な聖徳太子外交> 
 日本の歴史を振り返って、その時代の指導者の考え方や政治の結果が「今に生きている」と実感させる時代が2つある。一つは聖徳太子の功績と二つ目は明治維新だ。
 聖徳太子は七世紀の初め冠位十二階と憲法十七条を定めた。冠位十二階というのは十二段階の官職で、当時ならどこの国でも世襲が当たり前。その時代に豪族に独占させないように能力によって登用したというのは大変な見識だ。十七条憲法の一条は「和を以って貴しと為す」で、私は昔「和」というのは事を為すに当たっての方法論で目的ではないはず、だから憲法としてはおかしな条文だと思っていたが、のちに全く浅はかな理解だったことに気付いた。当時、日本列島には様々な人たちが渡来してきた。このため政治の最大の目的は争いを避けることだった。争わないためには宗教戦争などもってのほか。在来の大和民族は古来より伝わる神道を守り、新たに仏教が伝わればそれも受け入れる。日本人の宗教への寛容さはこの時代に身につけたようだ。神仏習合はその典型だろう。されにもう一点。太子は重要な外交方針を決め、それが千二百年にわたって有効だったことだ。その外交方針は中国や朝鮮半島という中華圏からの離脱を決意したことだ。隋の煬帝は激怒したが、当時の国際情勢から、日本を征伐することはできなかった。太子は外交感覚にも優れていたということだろう。
 明治維新によって日本は幕藩体制から一気に中央集権国家に脱皮し、欧米並みの国民国家を形成した。このスピードと完成度の高さは欧米の驚嘆の的だった。欧州に駐在している時、何度も「日本の近代化」の話をしてくれといわれたものである。東洋の小国がどうして近代化できたかを探ると江戸時代まで溯らなければならない。士、農、工、商の順で階級社会が形成されていた。「士」は支配階級だが働かないで食べているのだから、清貧に甘んじ、高い仁徳を備えていなければならないと「士道」を説いたのは、儒学者の山鹿素行である。これがのちに武士道といわれるようになる。食べられない武士は寺子屋を開いて、町人、農民の子供たちに勉強を教えた。こういう時代が二百余年も続いたのだから国民道徳が高揚したのも当然だ。

<近代化に成功した明治維新>
 究極の武士道は佐賀の葉隠で「武士道は死ぬこととみつけたり」という。明治維新が成功したのは支配階級の武士が自ら死ぬことを決したからだ。世界の歴史に、支配階級が自らを滅することを選んで革命を成就したという例は日本以外にはないだろう。
 私がこの話をすると外国人たちは首を振って長嘆息する。その時、私は自分の祖先たちの美学を改めて誇りに思うのだ。
 今年は新しい教科書を採択する年だ。さる雑誌に頼まれて中学校の新しい「歴史教科書」を比較してみた。私が日本史で重要時期だと指摘した聖徳太子と明治維新についてまともに記述しているのは扶桑社の教科書だけだ。他の七社の教科書のうち東京書籍は日露戦争に触れているが、社会主義者の幸徳秋水などが「開戦に反対した」と書いてあるだけ。どっちが勝ったのかも日本海海戦も連合艦隊司令長官・東郷平八郎のことも書いてない。大国ロシアが日本に敗れたことは近代世界史の幕を開く大事件だった。その証拠にトルコでも北欧でもラベルに東郷提督の写真を貼った「トーゴー・ビール」が売られているのだ。青少年に恥をかかせるような教科書は止めて貰いたい。
(政治評論家)


うーん、明治政府を「国民国家」と呼ぶのに少し違和感が・・・
明治維新は世界でも例を見ない革命です。しかし、その主役は下級士族、まあ、日の当たらなかった連中ですが、高等教育も受けた「エリート」。そのエリートたちが革命を推進した。
そのため一般の民衆にとってはさして革命において変化がなかった。
(フランス革命なんて民衆を巻き込んだためギロチンで粛清の嵐でしたね)
明治維新が犠牲が少ない革命だったのは「民衆」を置いてけぼりにした「エリート」の間の政権交代だったことが大きいと思います(その後明治政府は必死に国民国家を作り上げましたが)
まあ、明治維新の特異性は授業でしっかり教えるべきですよね。
日露戦争についても20世紀当初の重大事件ですし、「日本海海戦」も古今例を見ない海戦により、相手をほぼ殲滅、という大勝なんだから教えてあげないと。