光ケーブルがあればどこへでも行ける

日給がいちおくえんある

二子山親方、さようなら

2005-05-31 21:33:06 | Weblog
さよなら貴ノ花(デイリースポーツ)

めざましテレビで見てたんですが、この方、背は高くないし、太ってもないのによく大関になれたな、って感心しました。
今も朝青龍のようにガタイだけでなく技で勝てる力士はいる。
日本人力士、二子山親方見習ってもっとがんばってくれ~

平成17年(2005年)5月30日(月曜日) 静岡新聞 論壇

2005-05-30 20:12:56 | 地方新聞
論壇 屋山太郎
 「A級戦犯」めぐる政務官発言


<「罪人でない」の正当性>
 厚生労働省の森岡正宏政務官が靖国神社参拝問題に絡んで「A級戦犯は罪人でない」と発言し、野党はもちろん与党内にも波紋を投げている。
 細田博之官房長官は「政府の見解と大いに異なるので論評する必要はない。個人の見解だ」と述べた。公明党の東順治国対委員長は「不用意で不適切だ」と強く批判した。
 これに先立って小泉首相は中国を説得するつもりで「孔子の教えに罪を憎んで人を憎まずというではないか」と述べた。「A級戦犯は罪を犯した」ことを前提にした論議だが、昭和二十七年の講和条約締結以後、日本がとってきた解釈は極東軍事裁判は認めないというものである。サンフランシスコ条約第十一条の日本訳は「日本国は裁判を受諾」とあるが、英文の原文では「日本国は判決(ジャッジメント)を受諾」とある。このためこれまでの解釈は「下された刑期を受け入れる」意味だとされた。軍事裁判の刑期が残っているのにすぐに放免したはいけません!との趣旨である。
 この軍事裁判は当時は国際法上の茶番劇で左翼陣営といえども受け入れ難いものだった。その証拠に政府は講和条約発効後、各国にA級戦犯を含む全戦犯の赦面・減刑を要請。衆参両院は昭和二十八年、圧倒的多数で「戦犯赦免に関する決議」を可決した。また同年には戦犯刑死者を戦死者と同じ扱いにする遺族援護法の改正が全会一致で可決。二十九年には恩給法も改正された。これで広田弘毅氏が文民であるのになぜ靖国神社で祀られているのか分かるだろう。
 A級戦犯とされた人たちのうち、のちに重光葵氏は外相、賀屋興宣氏は法相として復帰した。岸信介氏もA級戦犯として逮捕されたが、のちに総理大臣になっている。この一連の政治の動きをみると、日本人は与野党とも極東軍事裁判を受け入れていないことがわかるだろう。少なくとも彼等は日本の法律によって裁かれたわけではない。
 したがって森岡正宏氏の「A級戦犯は罪人ではない」との説は正しいのである。


<東京裁判史観に中国便乗>
 日本の世論が変化してきたのは昭和三十年代だ。左翼陣営が保守派を攻撃するのに「東京裁判史観」というべきイデオロギーを教育や政治の場に持ち込んだのだ。いわゆる自虐史観というものだが、これに便乗してきたのが中国である。戦死者をどう祀るかはまさに国内問題であるのに、日本国内を混乱させるのに絶妙の材料を見つけ出した。
 毛沢東が編み出した戦術の一つは全体の5%の目に見える敵を作り、残りの95%を団結させるというものだった。文化大革命はまさにこの方式であり、これこそが大衆運動の神髄だ。江沢民がやったことは5%に当たる敵として「日本」を掲げたということだ。九十四年に打ち出された「愛国主義教育実施綱要」は確実な恐るべき成果を生み出している。小泉首相が靖国参拝をやめようが、A級戦犯をはずそうが中国の日本攻撃はやまない。それが国内を治める唯一の手段だからだ。
 歴代自民党内閣で橋本龍太郎内閣ほど日本の立場を損なった内閣はない。この時代、平成十年三月にこの内閣はさきにあげた「判決を受け入れる」との政府見解を竹内行夫条約局長に「裁判を受け入れる」に変更させてしまったのだ。竹内氏はインドネシア大使の時「大道は長安に通ず」の書を大使室に飾っていたほどの媚中派だ。
 (政治評論家)


橋本内閣め、余分なことを・・・

ところで、日本国内においては戦犯の罪は赦免されてしまいました。
でもそれでいいんでしょうか?
たしかにB・C級戦犯は、日本人にやられたことを根に持った白人により、でっちあげの罪で多くが殺されてますし、A級戦犯の「平和に対する罪」も跡付けです。
でもそれで全員赦免、ってなるのはちょっと・・・って思う。

右も左も「極東軍事裁判」にとらわれすぎだ。
たしかに、この裁判で有罪、ってなって「仕方ないな」って感じのもいるけど、明らかにおかしい人がいるし、逆に裁かれてない人もいる(辻政信なんか代表でしょ)
何より海軍がA級戦犯に上がってないのが問題でしょ。
米内なんかは日本の中国侵略にかなり関わっているし、当然「平和に対する罪」があるはず。
「極東軍事裁判」は「欠陥裁判」であることは左翼は認めるべき。
また、右翼も罪を赦免していいもんかどうか、もっかい考えるべきだと思う

お知らせ

2005-05-27 21:51:05 | Weblog
明日、家を空けるためブログの更新ができません。
申し訳ありません。

って言いつつ、告知もなしで普通に更新してない時があるけど・・・
でも日曜には帰ってきますが、その日も疲れてて更新できないかも・・・

闇から這い出してきたもの~パチンコ~

2005-05-27 21:23:35 | Weblog
川崎でパチンコ景品の偽物/560万相当、詐欺で捜査

16日午前11時半ごろ、川崎市高津区溝口のパチンコ店「エスパス」から「15日に景品交換所に持ち込まれた景品に偽物が混じっていた」と、高津署に届けがあった。

 高津署が確認したところ、店が15日に現金に交換した景品のうち、万年筆のペン先計約1120個(約560万円相当)が偽物と判明。同署は偽造景品による詐欺事件として捜査を始めた。

 調べでは、ペン先は赤いプラスチックのケースに入り、1個で現金5000円と換金できる。偽の景品は本物よりケースに厚みがある以外は、外見上区別がつかないという。

 店は「15日午後6時以降、約20人の男女が一度に換金した」と話しており、高津署は事件との関連を調べている 


 何気ないニュースだ。しかしこのニュースの持つ異常性に気付いた人達がいた。

いい機会なので、パチンコ屋を潰しましょうmumurブログ
【論点整理】
・現在の日本で私営ギャンブルは違法である。
・パチンコの換金は三店方式と呼ばれ、パチンコ屋と景品交換所は別の主体という建前がある。すなわち、パチンコ屋としては「うちは金を払い戻していませんよ。景品交換所は偶然近くにありますが、うちとは無関係です」と主張することで、「ギャンブルではない」と言い逃れが出来る。
・しかしながら共同通信の報道によると、被害を受けたのは景品交換所なのにパチンコ屋が警察に届け出ている。ここに、三店方式という建前は崩れる。
・にも関わらず、警察がパチンコ屋を私営ギャンブルとして摘発しないのはなぜか、問題になっている。

・なお、パチンコ経営に関わっているものの多くは在日朝鮮人であり、脱税して北朝鮮に送金しているといわれている
・更に、北朝鮮のスパイである土井たか子は「パチンコ文化人」という称号を授与されており、ピーク時には盛んにパチンコの宣伝を行っていた。


 要は建前で摘発を免れていたパチンコ店がその建前を脱ぎ捨てたわけだ

 マルハンの上場といい、今パチンコは闇から這い出て光の当たる場所に出てこようとしている。
 しかし、何兆円かせごうが、多角経営をしようが、クリーンな経営をしようが、パチンコが違法であることには間違いはない(三店方式についてもカジノ店が行なうと摘発される)
 
 タレントをマージャンをやったということで捕まえているのに、30兆円もの規模の違法行為を半世紀も見逃してきた警察。

 今、その警察に声をあげるときがきたのではないか

ミクロとマクロ

2005-05-25 21:12:11 | Weblog
世界は100人の村ではないMOZAIC 時よ止まれ、お前は面白い

すごくまっとうなことを言ってます。
しかし、人って「単純に何倍、何分の一」にしてすぐ考えてしまいますよね。

この前日テレで、ビルゲイツの金銭感覚みたいなテーマをやってたんで見てたら、「ビルゲイツの総資産は何兆円、それに対して平均的なサラリーマンの資産は何百万、だからサラリーマンの百円はビルゲイツにとっては何千万だ」
えーーー、何じゃそりゃ、ビルゲイツの破天荒な金遣いを紹介するかと思って楽しみにしてたら、ただ数字を何倍しただけかよ。
当たり前だけど、庶民と金持ちでは家計簿はがらっとかわる。金持ちはまずエンゲル係数が小さいしね。
だから、「庶民の食費は何万円、でもビルゲイツは何百億」みたいにやっても何の意味もない。
番組では「ビルゲイツにとっては何千万というお金も、庶民にとっての10円くらい」って言ってたけど、そんなわけねーだろ。

100人の村も、ただ何分の一しただけ。
当たり前だけど、世界は100人の村ではない。
世界には60億人もいるので、政治、市場、組織、貨幣、分業、技術革新、資源配分といった本質的な要素が本質的な役割を果たしている。しかし100人の村にはそれらは存在しない。つまり抽象化の過程で本質が抜け落ちている。

(上記ブログより引用)

こういったことをわからない人が多いと思う。
国家財政を家計に例えて、「年収500万なのに借金800万!!」とか騒いだりね。

生き物は分子からできている。でも分子を集めても生き物はできない。分子から、アミノ酸、細胞、組織、器官と作っていったとしても所詮できるのは「死体」、生き物はできない。
大学の恩師の言葉を思い出してみました。

ギャルとオタク

2005-05-25 20:55:10 | Weblog
「Blogがすべてだった」――20歳ガングロ社長の“ギャル革命”

ITmediaさんとこの記事だね。
この藤田志穂さん、はじめて知った場所はちょっと叩かれてましたね。
この人は、「ギャルの革命(ギャルもこんなにできるんだぞ)」をしたいみたいですが、「こいつができたからってギャルができるとは限らない」みたいな反論があった。
でも、同じような境遇の人が成功してたら自信が持てないかな?
「所詮俺なんて」って思ってるところで、自分と同じような、普通の学生が、何かで成功してたら「お、こんな奴でもできるなら」って思うもんじゃないかな?人間って
藤田さんもそんな風に「ギャル革命」を提唱したんだろ。

しかし記事の中の
高校1年生のころ、知り合いの紹介で運送会社のバイトを始めたが、初日から仕事が全くもらえなかった。「ガングロ、ピアス、茶髪のギャルに、できる仕事なんかない」――運送会社のスタッフはそう決め付けた。「志穂ちゃんに仕事ある人は?」――当時の所長はわざわざ、スタッフ全員にこう聞いて回った後、勝ち誇ったように言った。「仕事、ないって」

 「むかつくけど、まあ、いいやと思って」。志穂さんは黙って、自分ができそうなことを探した。散らばっていた伝票を重ねたり、封筒にハンコを押したり――「小さい仕事をずっとやってたら、だんだんみんな、教えてくれるようになって。仲良くなれました」。バイトは3年半続き、その縁はギャル革命にも生きている。志穂さんのデビューCDを今、格安で発送してくれているのは、この運送会社だ。


なんじゃこのいい話は。
でも「自分で仕事を探す」ってのはすごい大事なことだよな。
「お前には仕事ない」って・・・こう言われたら頭にくるか、へこむかだ。
お茶汲みでもいい、どんな仕事でもやっていって認められていく・・・当たり前だけどなかなかできないことな気がする。
しかし、この運送会社、仕事をさせる気がないなら、そもそも何で雇ったんだろ?

最後に気になったのは・・・
「ギャル=オタク」説

 オタクとギャルには共通点があると、志穂さんは言う。「ぶっちゃけギャルもオタク。好きなことしかやらないから。渋谷が好きだから渋谷に行く。クラブ好きだから毎日クラブに通う。ギャルメイクも好きだからやる」――そう言われると、そうかもしれない。周囲の白い目を気にせず、やりたいことをやる。一部の心無い人のイメージが増幅されて偏見を持たれ、犯罪が起きると目の敵にされる――そんな点も、似ている。

 オタクとギャル、共通点はあれども、仲良しになれないと志穂さんは言う。

 「オタクはギャルのこと嫌いみたい。ネットで見た情報では、オタクもギャルも、お互いに対して同じことを思ってる。臭そうとか汚いとか気持ち悪いとか」。

 「私はオタク、好きですよ。返答が予想外で面白いから。ギャルも結構ゲーム好きで、ひきこもってゲームするんで。高校にいたオタクに、攻略法教えてもらったりしました。向こうには嫌われちゃってたりするかもしれないけど、無理やり仲良くしてた(笑)」


うーん、ギャル=オタク説は初めて見たな・・・
まあ、今「萌え」とか盛んに言われているから(しかし、萌えなんて書き言葉だろう。現実に言うなよ)それにちょっとあやかろう、みたいな感じもあるかもね。

私はオタク、好きですよ。返答が予想外で面白いから

けっこういじられてるオタクも多いですからね

よいヘッドフォン選び・・・

2005-05-25 20:36:55 | Weblog
ヘッドフォンって使ってますか?
僕は、AVを見るためにテレビ用のイヤホンを買い、AVを見なくなった後はパソコンでも使ってます。
でもいかんせん、テレビ視聴用のやつですから、2メートルあって邪魔・・・

だから思い切ってヘッドフォン買おう。
#137 ヘッドフォン選びに役立つリスト

かーずSPさんのところで見つけた記事ですが、今後の参考にさせていただきます。

やっぱネットは匿名か?

2005-05-24 19:14:12 | Weblog
ずいぶん古いニュースで、しかも週刊オブイェクトさんのところで知ったニュースですが・・・

「個人ブログ運営は匿名で」、電子フロンティア財団がアドバイス

まあ、これはあくまで「アドバイス」なんで、「俺は実名晒してく」って人は存分に晒してくれればいいんですが、これで「匿名なんて卑怯だ」なんて論理は、乱暴すぎるってことがよくわかりますね。

まあ、「俺流匿名(プロバイダのメルアドを出せば匿名じゃない)」を主張するバカたちもいますが

平成17年(2005年)5月23日(月曜日) 静岡新聞~論壇

2005-05-23 20:35:39 | 地方新聞
今日のは中国ネタでも半島ネタでもなく、郵政民営化ネタです

論壇 屋山太郎

<郵政民営化に今なお反対意見>

 郵政民営化特別委員会が設置されたが、この期に及んで自民党内に民営化自体になお反対だという意見があるのに驚く。野田聖子元郵政相は「金融不安の折、ここだけは大丈夫という国営銀行があってもよい」という。郵貯があったからこそ、民間銀行も”安泰”にせねばならず、国が銀行をつぶさないように護送船団方式で面倒をみたのである。その結果、金融の世界はさながら”社会主義”の趣を呈した。民間を保護することを一切やめて競争させる以上、官営銀行がどでかい規模で存続することは許されないのが当然だ。
 日本の近代資本主義の生みの親、渋沢栄一も官から民へ資金を流すことを主張していた。
「仮に政府側に立って考へて見ても、郵便貯金を利用して公債を買入れるとか鉄道建設の資金に運用するとかすれば大いに便利ではあろうけれども、余は、却って此の方法が現在の財政と経済との調和を失し、経済上より見て好ましからぬことだと思ふ。
 従って、余は貯蓄の一切を郵便貯金に一任するを不得策とする論者である。
 余は痛切に希望するが、民間の資金は何処までもこれを民業の為に注入したいものである。」(「清州百話」より引用)

 また、財政及び郵貯至上主義に対しても次のような警告を発している。
 「元来我国の経済と財政とは調和を保って居らぬ。経済は何時でも財政の為に圧迫を受けて居るのに、若し此の上郵便貯金万能となるならば、此の弊害をして益々増長せしむるに至るであろう。
 欧米諸国に於ける財政は其の国力の一部分に過ぎないが、我国にありては、国力の大部分を財政に投ずるといふ様な傾がある。」

 渋沢栄一氏は明治・大正期に活躍した実業家で、幕末に欧州の経済事情をつぶさに視察し、明治維新の直後に静岡で日本発の株式会社を設立した。日本の財政について次のように述べて慨嘆しているのだが、これは百年経った今も同じ事情なのではないか。
 「財政が常に経済界を圧迫して居るから、財政が少しく緊縮すると直ちに世間は不景気となり、財政が膨張すると忽ち景気が附いてくる」

 <行政、立法の2府握る官僚>
 
 橋本・小渕・森と続いた自民党内閣は、景気対策といえば財政を注ぎ込む一点張りだった。構造改革をやろうにも、官僚が既得権益を墨守して、改革は至難の業なのである。それを象徴する事件が起きた。
 小泉首相は五月十三日、総務省の事務方ナンバー2の松井浩総務審議官と清水英雄郵政行政局長を郵政担当から外し、事実上降格する人事を断行した。小泉首相の方針は郵政公社を窓口、郵便、郵貯、簡保の四事業に分けて特殊会社化し、十年後には郵貯、簡保をそれぞれ純然たる民間会社にするというもの。ところが松井、清水両氏は将来にわたって全事業を一体として行なうべしという論者。
 昨年九月十日に郵政民営化方針は閣議決定されている。が、閣議の方針にはたとえ異論があろうとも従うのが官僚の任務である。どうしても方針に従えないというのなら、理由を付して辞職するしかない。しかし両氏は自民党の郵政族を歴訪して政府方針を潰してくれるよう工作して歩いた。小泉首相の不倶戴天の敵といわれる野中広務氏にまで説得しに行ったというので、遂に小泉首相がキレた。こういうやり方で官僚は行政府と立法府の二府を握っているのである。許されざる話だ。
 (政治評論家)


 これでもかというほど、小泉支持ですね。
 それにしても渋沢栄一という人はやはり偉大な人ですね。「欧米諸国に於ける財政は~」の下りなど、今の日本も同じですし、明治の人と思えないほどの自由主義的な発想ですね。
 まあ文句つけるとしたら言葉が古いので、タイプが少し面倒ということでしょうか・・・