さて、アメリカはひとまずおいといて、今日は、県内の病院に外来のパートに行ってきました。そこは、日本でも有数の外国人が多く住む町が近くにあり、そこの病院で外来をしていると、必ず外国人のこどもが来ます。しかも英語は通じず、たいていはポルトガル語かスペイン語。ハンドブック片手に片言のやりとりで、意志疎通をはかります。
しかし、異国の地で、子どもが熱を出したとあらば、親の心配は日本人以上です。きちんと説明できない自分の不甲斐なさと、礼儀正しい彼らの期待に応えられない歯がゆさがそこにはあります。
礼儀正しいといえば・・・
私が中学生の頃、野辺山高原に旅行をしたときのこと。見渡す限りのレタス畑に、母が車から降りて、農家の人の方へ向かい、直接レタスを買う交渉を始めました。
その時、『1個100円だそうだけど何個にする?』と大声で車の僕らに叫びました。私は『どうせ100円なら余ってもいいじゃん。10個くらい。』と返したところ、農家のおじさんは、その言葉に腹を立て、売ってくれませんでした。
その時は、何を!金払ってるのになんだよ。と思いましたが、働き始めた今となっては大変失礼なことをしたと後悔しています。
人は確かに生活をするために仕事をしています。しかし、その仕事の中にはたくさんの苦労や自己犠牲、思いやりなどなど数え切れない要素が詰まっています。
お金を払えば何したっていい、診察してもらって当然という人が多いような気がしますが、周りの人たちには常にお世話になっている訳ですから、そのことに感謝しながら暮らせる社会になるといいですね。
しかし、異国の地で、子どもが熱を出したとあらば、親の心配は日本人以上です。きちんと説明できない自分の不甲斐なさと、礼儀正しい彼らの期待に応えられない歯がゆさがそこにはあります。
礼儀正しいといえば・・・
私が中学生の頃、野辺山高原に旅行をしたときのこと。見渡す限りのレタス畑に、母が車から降りて、農家の人の方へ向かい、直接レタスを買う交渉を始めました。
その時、『1個100円だそうだけど何個にする?』と大声で車の僕らに叫びました。私は『どうせ100円なら余ってもいいじゃん。10個くらい。』と返したところ、農家のおじさんは、その言葉に腹を立て、売ってくれませんでした。
その時は、何を!金払ってるのになんだよ。と思いましたが、働き始めた今となっては大変失礼なことをしたと後悔しています。
人は確かに生活をするために仕事をしています。しかし、その仕事の中にはたくさんの苦労や自己犠牲、思いやりなどなど数え切れない要素が詰まっています。
お金を払えば何したっていい、診察してもらって当然という人が多いような気がしますが、周りの人たちには常にお世話になっている訳ですから、そのことに感謝しながら暮らせる社会になるといいですね。