一昨日、出張に行かれた上司の方からちょっと面白いお話が聞けたので紹介してみたりします。
素晴らしくゲームと関係ないですが、ご了承ください。
(うろ覚えで、若干事実と異なる部分がある可能性がありますが、ご勘弁を)
どういう経緯で行ったかは聞きませんでしたが、ある小学校の授業を見学したそうです。学年は小学2年生で、授業は「算数」でした。
授業内容は、引き算です。最初に、21-12という問題が出ました。答えは…9ですよね。
ところが。それでは終わらないわけです。生徒たちが手を挙げて、先生が誰かを指名します。そして、その生徒が答えを書く…のかと思いきや、こんな説明を始めました。
「まず21と12の、一の位と十の位を分けます。そして、一の位の計算から始めます。でも、1-2だと足りないので、十の位から数字をひとつ、もらってきます。そしたら、11-2で9になります。
十の位は2-1だけど、さっき一の位に数字をあげたので、1-1で0になります。
なので、答えは9です。」
それを見て「ええ~」と、その上司の方は思ったそうです。ただ答えを言うだけではなく、自分がどう計算したかを全部皆の前で分かりやすく説明するわけです。うまく説明できなくて途中で止まってしまった場合は、別の生徒に交代しちゃいます。
そして、まだ終わりません。別の生徒が「僕のやり方は違います」と言いました。
「まず、21の一の位をとってしまいます。20-12を計算して、ここの答えは8になります。
そして、さっきとっておいた1を足すと、答えは9になります。」
すげぇ。やっぱり違うところは違うな~と思ったり。
その後、先生は意図的に、32-23、43-34、54-45という風に、元の数字を、一の位と十の位をひっくり返した数字で引く引き算ばかり出しました。すると、生徒からこんな声が。
「元の数字を、一の位と十の位をひっくり返した数字で引くと、答えは全部9になると思います」
先生:「あら?本当にそうでしょうか?では試してみましょう。
53-35が…9になると思う人!」
いくつかの生徒は手を挙げちゃいましたが、まあそうでないことが分かっているほとんどの生徒は手を挙げませんでした。
で、上司のかたが一番驚いたというのが…授業の終盤のことでした。
「先生。思いつきました。
元の数字を、一の位と十の位をひっくり返した数字で引く計算は、十の位と一の位の差(41だったら、4-1=3)を見て、一の位が0の場合の数字を使った時と同じ答えになります。」
…って言って…最初はよく分からなかったわけですが…。
要するに、例えば41-14の場合、十の位と一の位の差は3ですよね。で、これを元に、同じ条件の、十の位が0の数字で計算をするわけです。十の位が0の数字で、十の位と一の位の差が3である数字ということは…30ですよね。これで、同じ計算をすると、30-03=27で、41-14と同じ答えになるわけです。
その他も同じで、例えば95-59の場合も、差が4で、40-04=36と、すぐに計算できるわけです。
…何が凄いって、それを教えてもいないのに小学2年生の子供が、授業を聞いていて思いついちゃったわけですよ。そして説明できちゃったわけですよ。
上司の人はそんな授業を目(ま)の当たりにして「俺らって…小学校の頃、何やってきたんだろうねって思ったわ。だって21-12は9になるとしか教えてこられなかったもの。」と、本当に衝撃を受けていました。
こういうお話を聞いていると、やっぱり小学生というのはいろんな可能性を秘めているんだな~って思うわけです。
今回の数学の授業内容を聞いて「うわ、面倒くさそう~」と思った人も少なくないと思います。ただ答えを書くとか言うだけではなく、その経緯を説明しなくちゃいけないわけですから。
ところがそれは、我々が小学生の頃に簡単に教えてもらうだけの授業しか受けてこなかったからこそ、そう感じてしまうわけです。そういう印象って、小学校の授業でけっこう固められてしまいますからね。
すごい小学校に通ったわけでもない私が言うのもなんですが、だからこそ本当に小学生の頃から「考えること」を常に続けて行くべきなんだろうなと思うわけです。足し算とか引き算を教えるだけではなく、いわゆる適正試験に出てくるような、頭を回転させるような問題をたくさんこなしてもらいたいものです。
小学生の時に考えることを覚えないと、考えることがどんどん面倒になっていきます。それがある程度抑えられるのならまだしも、それを本当に表に出し始める子供が出てくるからこそ、「いじめ」みたいなことが起きると私は思っています。
「考えること」は、私のようなゲームクリエーターには絶対になくてはならないことですが…それを小さい頃から鍛えられれば、それだけでも考える能力は違ってくるんだろうな~と思い、ちょっとうらやましくも思った今日この頃です。
…ちなみに。
授業の時はすごいことをやっていた子供たちも、基本的には小学生です。上司の方が休憩時間とかに子供たちに「おじちゃん、何やってるの?」と言われて「ゲームを作ってるんだよ」と言ったら、子供たちがもうブヮーッと集まってきたみたいです(笑)
子供たちにあこがれるのも、なかなか嬉しいものですな。
素晴らしくゲームと関係ないですが、ご了承ください。
(うろ覚えで、若干事実と異なる部分がある可能性がありますが、ご勘弁を)
どういう経緯で行ったかは聞きませんでしたが、ある小学校の授業を見学したそうです。学年は小学2年生で、授業は「算数」でした。
授業内容は、引き算です。最初に、21-12という問題が出ました。答えは…9ですよね。
ところが。それでは終わらないわけです。生徒たちが手を挙げて、先生が誰かを指名します。そして、その生徒が答えを書く…のかと思いきや、こんな説明を始めました。
「まず21と12の、一の位と十の位を分けます。そして、一の位の計算から始めます。でも、1-2だと足りないので、十の位から数字をひとつ、もらってきます。そしたら、11-2で9になります。
十の位は2-1だけど、さっき一の位に数字をあげたので、1-1で0になります。
なので、答えは9です。」
それを見て「ええ~」と、その上司の方は思ったそうです。ただ答えを言うだけではなく、自分がどう計算したかを全部皆の前で分かりやすく説明するわけです。うまく説明できなくて途中で止まってしまった場合は、別の生徒に交代しちゃいます。
そして、まだ終わりません。別の生徒が「僕のやり方は違います」と言いました。
「まず、21の一の位をとってしまいます。20-12を計算して、ここの答えは8になります。
そして、さっきとっておいた1を足すと、答えは9になります。」
すげぇ。やっぱり違うところは違うな~と思ったり。
その後、先生は意図的に、32-23、43-34、54-45という風に、元の数字を、一の位と十の位をひっくり返した数字で引く引き算ばかり出しました。すると、生徒からこんな声が。
「元の数字を、一の位と十の位をひっくり返した数字で引くと、答えは全部9になると思います」
先生:「あら?本当にそうでしょうか?では試してみましょう。
53-35が…9になると思う人!」
いくつかの生徒は手を挙げちゃいましたが、まあそうでないことが分かっているほとんどの生徒は手を挙げませんでした。
で、上司のかたが一番驚いたというのが…授業の終盤のことでした。
「先生。思いつきました。
元の数字を、一の位と十の位をひっくり返した数字で引く計算は、十の位と一の位の差(41だったら、4-1=3)を見て、一の位が0の場合の数字を使った時と同じ答えになります。」
…って言って…最初はよく分からなかったわけですが…。
要するに、例えば41-14の場合、十の位と一の位の差は3ですよね。で、これを元に、同じ条件の、十の位が0の数字で計算をするわけです。十の位が0の数字で、十の位と一の位の差が3である数字ということは…30ですよね。これで、同じ計算をすると、30-03=27で、41-14と同じ答えになるわけです。
その他も同じで、例えば95-59の場合も、差が4で、40-04=36と、すぐに計算できるわけです。
…何が凄いって、それを教えてもいないのに小学2年生の子供が、授業を聞いていて思いついちゃったわけですよ。そして説明できちゃったわけですよ。
上司の人はそんな授業を目(ま)の当たりにして「俺らって…小学校の頃、何やってきたんだろうねって思ったわ。だって21-12は9になるとしか教えてこられなかったもの。」と、本当に衝撃を受けていました。
こういうお話を聞いていると、やっぱり小学生というのはいろんな可能性を秘めているんだな~って思うわけです。
今回の数学の授業内容を聞いて「うわ、面倒くさそう~」と思った人も少なくないと思います。ただ答えを書くとか言うだけではなく、その経緯を説明しなくちゃいけないわけですから。
ところがそれは、我々が小学生の頃に簡単に教えてもらうだけの授業しか受けてこなかったからこそ、そう感じてしまうわけです。そういう印象って、小学校の授業でけっこう固められてしまいますからね。
すごい小学校に通ったわけでもない私が言うのもなんですが、だからこそ本当に小学生の頃から「考えること」を常に続けて行くべきなんだろうなと思うわけです。足し算とか引き算を教えるだけではなく、いわゆる適正試験に出てくるような、頭を回転させるような問題をたくさんこなしてもらいたいものです。
小学生の時に考えることを覚えないと、考えることがどんどん面倒になっていきます。それがある程度抑えられるのならまだしも、それを本当に表に出し始める子供が出てくるからこそ、「いじめ」みたいなことが起きると私は思っています。
「考えること」は、私のようなゲームクリエーターには絶対になくてはならないことですが…それを小さい頃から鍛えられれば、それだけでも考える能力は違ってくるんだろうな~と思い、ちょっとうらやましくも思った今日この頃です。
…ちなみに。
授業の時はすごいことをやっていた子供たちも、基本的には小学生です。上司の方が休憩時間とかに子供たちに「おじちゃん、何やってるの?」と言われて「ゲームを作ってるんだよ」と言ったら、子供たちがもうブヮーッと集まってきたみたいです(笑)
子供たちにあこがれるのも、なかなか嬉しいものですな。
そんなに頭がいい小学生がいるんですねえ。
………とか言ってる自分は全く意味が解りませんでした\(笑)/。…いや、笑い事じゃない、ホントにヤバいかもww
「頭がいい」というとはどういう意味なのか?その考え方が、人によって違うかもしれません。
知識があれば「頭がいい」のか?というと、私はそうではなく、その知識が利用できてこそ初めて「頭がいい」ということだと思うんですよね。IQというのが、知識とは関係がないように、どれだけ「考える力」があるかこそが、本当に「賢い」ということではないかと思いますね。
…つまり、東大生なら全員「賢い」…というわけではないということです。
ところでなぜその小学生はそんなことに気がついたんでしょうか。きっと頭の中にはプロセスがあったんでしょうね。
あとはこの考え方にそって数をこなす。
一時期流行った百ます計算もこの流れにそっていると思いますよ。
別に私達の時代のやり方が悪いとは思いません。
問題なのはあまり出来ない子の中に計算能力に関する障害をもっている子がそれなりの数含まれていて、その子を差していじめなどに問題が発展する事です。
…私らしくないまじめな話だ(・ω・)
子供の才能を、生かすも殺すも大人次第です。(もちろん、ある程度の時期になれば自分で道を切り開いていくわけですが)
そういう点で言うと、教師というのはそれを導くべき存在であるべきだと私は思うわけです。それが小学生だろうと中学生だろうと。私はtapiokaさんのその時の先生を否定するつもりは毛頭ありませんが、ノルマをこなしているだけで終わっているというだけの教師が多いことも事実です。
今回、上司のかたが行かれた小学校は、子供の考えることを柔軟に受け止めて、そしてそれに対して皆で考えたり、納得のいく答えを返してあげられるんだろうな~と。そこで初めて、子供たちが「考えることを好きになるのではないか」と思うわけです。
>ハリコンさん
百ます計算を知らないのでなんとも言えない私ですが…、どちらかというと私がすごいと思ったのが、この頃から皆の前で、自分の考えたものをしっかり「プレゼンテーション」できることがすごいなと思ったわけです。
>>問題なのはあまり出来ない子の中に計算能力に関する障害をもっている子がそれなりの数含まれていて、その子を差していじめなどに問題が発展する事です。
私としては、今の子供たちには「精神=メンタル」について教えるべきだと思っています。私の別のブログでも何回か紹介してきました「メンタルヘルス」というものなんですが、結果的には心の紺とロールができないからこそ、弱いと思った人間をいじめてしまうわけです。
それこそ、いじめに発展することなんて、世の中にいくらでも転がっていることでしょう。ほんの些細なことからでも、いじめは生まれます。大事なのは、いじめが発生するきっかけを作らないことではなく、そもそもいじめを「恥」だと思う心を教えることが大事だと、私は思っています。