一番の感動は、千住博の舞台美術だった。
オーケストラピッチが私の席から見えなかったのはとても残念。
準備した双眼鏡も前から5列目だと使っている人もいない。
初体験でいろいろ反省することはあったが、全3幕4場面、桜の映像が大変
感動的であった。
特攻で飛び立ったあとに残された恋人が自分の命を絶つ場面での
降りしきる桜の花びらとその場面の照明が心に残りしみじみしている。
そこで求めたパンフレットを淡々と読み進めていくうちに、最後の1枚の
写真で涙が溢れてきた。
特攻2時間前に子犬と戯れる17歳の少年が5人の特攻隊員と撮った写真だ。
「特攻とはなんだったのだ」という三枝成彰と堀紘一の言葉が
喉に刺さる骨のように気になってしかたがない。
三枝はこうも言っている。
あの戦争は当時の国民の風潮が起こしたと。
それをメディアが煽り、その勢いを軍部や政治家は止められなかった。
そして、上層部は、大国アメリカを相手に戦争で勝つとは誰も思わなかったと。
その時代の風潮が現在の日本に重なるものがあるというのだ・・。
それから、人間の中には誰かのために自己犠牲になるという精神がもともと
宿っていると演出家の三枝が語る。
それはお国のためなどではない、家族や愛する者のための自己犠牲であると・・。
この二つが気になる言葉として残る。
この日本のオペラを見てほしい、そして戦争とは何だったのかを噛み締めて
ほしい。
私の中で、「KAMIKAZE」が急に出てきたのではない。
戦後に生まれ、ヒロシマや長崎、原爆を題材にした絵本や童話や小説。
「夜と霧」「ヒロシマノート」「アンネの日記」「黒い雨」や背後に
戦争がある映画や小説に触れ、モヤモヤとした気になる小骨をどこかに
抱えながら生きてきたように思う。
「はだしのゲン」も「きけわだつみの声」も「しらゆりの塔」もそこに繋がる。
こういう、文芸や芸術や音楽を生み出したのも戦争ではある。
しかし、そういうものは何のために生み出されたのであるかを考えないと
いけない。
六本木男声合唱団娯楽部の歌声は美しかった。
この合唱団が年に一度、戦いのあった
南方に行き「密林に吠える」ツァーを組み、亡くなった方々の魂を慰めるため
に童謡や日本の歌を、密林や海に向かって歌うのだそうだ。
先日の映画「天のしずく」で辰巳芳子も話していた。
戦争で亡くなった夫をもつ辰巳さん、セブ島に行き、
その地に立った辰巳芳子はそこで夫の魂に触れたと。
「ここであなたをずっと守り続けていた」という夫の声・・。
「私は後悔していませんよ、幸せな人生でしたよ、安心してください」
と、見えないものでもちゃんとあると感じる辰巳さんの夫への
言葉を思い出した。
公演時間は3時間と聞いていたが、3時間半はかかったのではないだろうか。
家に帰ってきたのは、途中ちょっとしたトラブルがあり、9時半近くであった。
2時からの公演であったが、10時に家を出ても日帰りができるのはうれしい
ような・・もったいないような上京である。
東京の昨日は、とてもあたたかく、東北との違いが冬には明らかに感じられた。
家に帰ると息子がくれた桜の枝から花びらが散り始めていた。
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