a green hand

新元号決まる



世の中がこれほど新元号に期待を持ち楽しめたのは、テレビで黒い半旗をみることなく「平成」にお別れできるという環境にあったからではないか。

期待し、予想し、どんな元号になるのだろうと固唾を飲んで待っていた一報である。
「令和」と表示された瞬間に、皆どんな印象をもたれたろう。

夫は即、令和〜? 命令の令だ。
安倍首相さん関連してる?w

私はこの瞬間の家族を動画に収めようと躍起になっており、自分の感覚を持たないまま、元号の説明を聞くに至った。

いつかはこの元号中にお別れする時が来るだろうことを思い、この瞬間を収めておきたかったのだ。
平成は何のこともなくテレビから流れる「平成」の文字を受け取った。

「令和」は、心穏やかに文字以上のものを受け取ることができた。

万葉集の歌、令月という春の美しい月からと聞き、心は十分に満たされた。
この日本の美しい新元号に引き締まるような感覚を覚えた。

私がこんなに日本好きとは、年齢と共に日本好きになっている。

若い頃は、日本の国旗や文化を素直に受け入れられない環境の中で育った気がする。
無理もない、生まれる数年前には戦争をしていたのだから。

今思うと、信じられない時代を先輩たちは生きていたのだ。
生まれる4、5年前と言ったらほんのこの間の出来事である。

戦後生まれと戦前生まれでは、何事も違ってしまっているのだ。

数日前、「浮世の画家」をテレビで観た。
原作、カズオ・イシグロの作品であり、高校の恩師から借りて読んだことがあったので視聴した。

戦時中を懸命に生きた画家が戦争に負けると世の中の価値観が全く違ってしまった。
負い目を背負いながら苦渋を舐めて生きる姿が俳優渡辺謙により表現されていた。

貸してくれた先生は弟から回ってきた本で私には理解できないとおっしゃっていた。
私には、その時代の価値観で生きなければならなかった者たちの辛さ苦しさ「戦争」が生む心の深い傷に戦争は悪だと訴える作者の思いが伝わり印象に残る本であった。

それは私が就職したての頃、30年ほど違う時代を生きた先輩の女の先生が、戦後、自分たちの教えが間違っていたと知らしめられた時の辛さ、空虚さ、悲しさを我々若い者に語る姿が急に蘇ってきた。

若い頃は、自分に自信が持てないように、生まれた国にも自信が持てず、外国の文化に目が向いて日本の文化を軽視していた。

そんなことを続けるうち、自分の国を外から見つめ、戦前の日本人の著書に触れしているうちに日本は美しい精神性を持つ国であることを発見し始めた。

万葉の頃、自然は手付かずでより美しかったであろう。
自然を愛でる万葉の人々が「令月」をどんな思いで見上げたろうことを思うと日本固有の美しさが滲み出たロマンのある元号であることにうれしくなる。


元号発表後、程なくして娘から「冷凍じゃないの?」とラインが届いた。
「令和ですw」「冷凍だったよ」と返信した。

「昭和があるのにまた和がくるとはおもわなかったね〜」
「冷凍なのね、良かった。楽しんでください〜」

ふるさと納税の一部で娘が牛肉を我が家に届くよう注文してくれていたのが昨日届いた。
それで写真を添えてラインで届いた事を報告しておいたのだ。
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