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a green hand

山口県と福島県

時代は会津戊辰戦争に遡る。

福島はオーストラリアの国の形に似ている。
天気予報は3地域に分かれ会津地方、中通り地方そして浜通り地方である。

私は中通り地方であり、父方の先祖は会津地方である。

年端も行かぬ若い少年たちが壮絶に戦った会津白虎隊飯盛山での最後は歴史に残る会津の悲劇である。

京都守護職を命じられた松平容保は、夫に言わせると貧乏くじを引いた真面目な男ということだ。

その戦った相手が時の薩長連合軍、私が訪ねた山口県といえば敵国の範疇にある。
そのことを行く前にはさほど認識していなかった。

帰って来てから会津出身の友に聞くと、今でもその恨みは消えていないとのこと。
たとえば下関の人と友達になったと言ったところ父親がとても嫌がったなどなど・・。

ガイドさんが最後の挨拶に、福島の人が来てくれてうれしいと言って感動していたわけが解った。

我々は、無頓着か心が広いか、全くの無知か、いづれも当たっているような・・。

身近にその戦争に関わったものの子孫であれば恨みもことのほか強いにちがいない。
なんだか非国民ならぬ非県民になった気分の悪さ。

中でも戦死した者を弔うことを許されず、白骨のまま路傍にあり、許されるまでに2年の歳月が経ったという話も聞いた。
それはひどい話だ。

どこの国を訪ねてもいろいろな物語はある。

でも先祖が悪いことをして憎まれるのはいやなので、自分たちの生きてる時代を汚さずに生きたいものだなあと思った今回の旅である。

津和野で現地の人に会ったのは何百年と続く酒造老舗のおかみさん。
お愛想のない純朴ないい人だった。
「赤字ですわ」の言葉が印象深い。
津和野の原酒を数本求めた。

山口で出会った人は、立派なガイドさんとホテルの夕食時、スタートから、間違って我々貧乏旅行のテーブルに河豚の刺身を運び、目の保養だけさせてくれた若いウエイトレス。

最後まで申し訳なさそうに詫びながらの接待。
Mの「いいんですよ、私たちはいつでも食べていますから」と慰めから程遠い言葉を連発する。
ふぐの名産だというのに、テーブルにふぐが並ばなかったので、お土産に河豚のスープを買ってきた。

おいしいと夫が言ったのでおいしいのだろう。
私は我が家でもふぐにありつけなかった。
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