夫のバングラ時代の友人が50歳の誕生日会をやるというので
彼の田舎の家がある ブルゴーニュへ行って来た。
(一体 どうやったらそんなことができるのか 今の私にはわからないが
パリに住みながら 田舎にも家を持っている人が結構いる。)
その友人は フランス大使館で働いていたのだが 数年前 同じく大使館で働いていた奥さんと
離婚して 心機一転 前から行きたいと思っていた ネパールへ行き 外国人向けのトレッキングのビジネスを
やっている。最近はネパールの山へやってくるテレビ局の撮影に関わる準備を一切引き受けているそうで
賢いなあ と思う。
奥さんと出会う前に 同じく大使館で働く一人の女性に心惹かれていたが その人は恋人がいたのであきらめたようだ。
そして なんとその女性とネパールで再会。その時 彼女も彼も独り身で 迷う事無く 今は一緒にいる。
前の奥さんは 私が今まで会った中で 一番素敵なフランス女性なのだけれど
今の彼女も笑顔がチャーミングな素敵な人だ。前の奥さんにも 今は若い恋人がいる。
フランス人の恋話を説明すると 複雑で長くなるのでこの変にして(ちなみにその恋人はまだ売れてないアーチストなのですが) そう ブルゴーニュへ初めて行って来たのです。
ブルゴーニュは ワインの地。どこへ行ってもワイン畑の丘陵が広がり そしてその後ろには山があり
ワイン畑の合間には 牧草地が広がり 牛やら羊やらがたくさんいて それはそれはのどかな所だ。
坂が多い国に生まれたものとして 平な土地よりも はやり高低の変化のある土地に心惹かれる。
(バングラは大体がどこへ行っても真っ平らなので 山があるチッタゴンあたりへ行った特は 坂のある町並みに改めて感動したものです。リキシャのおじさんは 大変そうだったけれど)
シャンパーニュと違って 飲み物だけでなく 食べ物も充実しているのもまた良い。(エスカルゴが有名)
将来 どっからか 急にお金が降ってきたら ここに家を買ってもいいなと思うくらいだ。
ところで 家についてだが 私はフランスの古い田舎の家が苦手である。古い家には大体 ふるーい家具がおいてあって
それが多分苦手なのである。 家族代々伝わったものか知らないが あの木製の重厚な家具がなんとも 私の心を
乱すのである。木製で座る部分に麻が巻いてある典型的な田舎の椅子も好きではない。食器棚に施された装飾や 大きな
黒くて 足の太い木のテーブルもなんだか好きではない。4本足で しかもベビーベッドのように 頭側と足側に木のついたて?があるベッドなんて特に苦手である。まず良く寝られたためしがない。埃くさいからか その歴史が重すぎるのか
とにかく 私を暗い気持ちにさせるのである。
今回お邪魔した彼の家も まさにそんな家具のオンパレードで 時折 バングラやネパールからの物品が私を明るい気持ちにさせてくれたが しばらく使ってない家なので クモの巣やらなんやら もう。
幸い 来客の人数が多すぎるということで
ほとんどの人々は 庭にテントをはって寝たので クモとは戦わずにすんだけれど とにかく田舎の家が苦手なのだ。
彼の田舎の家に到着した 最初の晩のこと。
もうすでに たくさんの彼の友人が到着していた。子どももたくさんいる。
テントを張る場所も ほとんどなかった位だ。
彼の大使館時代の友人や 各国であった友人たちは お互いに私たちと同じく初対面で
なんだか ぎこちない空気が流れていた。
外国人は 私とソランジュのみで あとはみんなフランス人。あと ベトナム出身のゲイの人もいた。
ソランジュは カナダのケベック出身なので フランス語を話す、ベトナムからの人もフランス語を話す。
おっと 私だけか フランス語を話せないのは。
そうだった。そうだった。 ブルゴーニュの自然やワインに心浮かれて 今回の旅のメインは友人の誕生日会だったというのを
私はこの時まで忘れていた。そして フランス人のパーティーがどんなものなのかも そのとき思い出して しまった!と
思ったのだが もう後の祭りだ。
初対面のパーティー(と言っても庭でだらだらしてるだけ)のぎこちなさに加えて 場所は広い庭である。
人間 空間が広すぎると なかなか密な人間関係は短時間では作れないものである。
たばこを吸う人が すぐに仲良くなることからもそれは明解だ。
同じ言葉を介すフランス人同士であっても てさぐりで その晩を過ごそうとしているのに
その言葉を解さぬ私がどうやってそれをやりとげることができようか。
ここが 例えば アメリカや日本だったら(多分)話は別である。むしろその言葉に不自由な外国人こそが 主導権を握り
共通言語は英語で または 私の片言の外国語を頑張って理解するように皆のもの努力せよ
というわがままなことをやってのけたかもしれない。
しかし ここはフランスだ。
まず 外国人慣れしてるせいで まったく外国人に興味がない。
自分から積極的に話しかけるということがない。
たとえ自分が一人ぼっちでも 隣りの人々がわいわいしているからといって「なになにー?」と首を突っ込むことはない。
会話に耳をそばだて 誰かが冗談かなんか言った際 そのうまい返しを思いついたときに すかさず一言。
そして笑いをとって 中に入る。または 心優しい人が 会話に何気なく入れてくれるのを待つ。
あとは 一人でぼーっとしているか タバコを吸いに席をたって喫煙チームと話すか さりげなく会話を始める瞬間を待つか。
そんなものだろう。
決して アメリカのパーティーのように 積極的に動き回って できるだけたくさんの人と少しでも会話をする というようなことはない。決して無い(今まで見た中ではない)
さて 私に以上のようなことができようか?? まず 会話のタイミングをはかろうにも言っている事が解らぬようでは
話にならない。冗談なんて言えるわけがない。たばこも吸わない。誰も席を立って知らない人に話しかけにいこうともしない状況で 自分だけ席をたってひとりぼっちの人の隣りへというのも何か変なのでできない(勇気を出してやればよかった。きっと2人だったら英語も話してくれただろうから)
最終的に たどり着いた 私のその晩のオアシスは ベトナムのゲイの男性だった。
彼は ビューティーサロンで働いているということで 色々と お肌についてレクチャーをしてくれた。
例えば 一日一個トマトを食べると翌日の肌の調子が違うとか オリーブオイルに紅茶を浸してそれを肌に毎日すると
きれいに日焼けしたような肌になる とか。。。
そして私の肌の相談にものってくれた。
フランスにきてから なんか肌がくすんでいるし ファンデーションののりがいまいちなのだ と言うと
彼は「水が違うからね。あんまり洗わなくていいのよ。あなたは洗い過ぎで肌が乾燥してるのよ。正直言ったら悪いけど
あなた私の知ってる日本の女性の肌じゃないわね」
がーーーーん!! どきゅーーん!!と鉄砲かまたは しゅっ!と どこからか槍が飛んで来たかのように その言葉は私の胸に刺さった。痛い。とても痛い。今でも痛い。
その晩 私は その胸の痛みと どうしようもない 居心地の悪さを抱えて テントに早々と引き上げたのでした。
しかし テントがあったからこそ 私は引き上げられたわけで これが誰かのうちだったら 寝床に行く事もできず
とにかく 退屈な時間をすごすことになります。この悔しさを 明日へのフランス語学習へ向けられたらいいのですがね。
あー フランスのパーティーはやっぱり苦手です。
あれ? ブルゴーニュのことを書こうとしたのですが ここに落ち着いてしまいました。
フランス人のパーティーに呼ばれたら 心して行きましょうーーー。
写真はまた今度載せまーす
彼の田舎の家がある ブルゴーニュへ行って来た。
(一体 どうやったらそんなことができるのか 今の私にはわからないが
パリに住みながら 田舎にも家を持っている人が結構いる。)
その友人は フランス大使館で働いていたのだが 数年前 同じく大使館で働いていた奥さんと
離婚して 心機一転 前から行きたいと思っていた ネパールへ行き 外国人向けのトレッキングのビジネスを
やっている。最近はネパールの山へやってくるテレビ局の撮影に関わる準備を一切引き受けているそうで
賢いなあ と思う。
奥さんと出会う前に 同じく大使館で働く一人の女性に心惹かれていたが その人は恋人がいたのであきらめたようだ。
そして なんとその女性とネパールで再会。その時 彼女も彼も独り身で 迷う事無く 今は一緒にいる。
前の奥さんは 私が今まで会った中で 一番素敵なフランス女性なのだけれど
今の彼女も笑顔がチャーミングな素敵な人だ。前の奥さんにも 今は若い恋人がいる。
フランス人の恋話を説明すると 複雑で長くなるのでこの変にして(ちなみにその恋人はまだ売れてないアーチストなのですが) そう ブルゴーニュへ初めて行って来たのです。
ブルゴーニュは ワインの地。どこへ行ってもワイン畑の丘陵が広がり そしてその後ろには山があり
ワイン畑の合間には 牧草地が広がり 牛やら羊やらがたくさんいて それはそれはのどかな所だ。
坂が多い国に生まれたものとして 平な土地よりも はやり高低の変化のある土地に心惹かれる。
(バングラは大体がどこへ行っても真っ平らなので 山があるチッタゴンあたりへ行った特は 坂のある町並みに改めて感動したものです。リキシャのおじさんは 大変そうだったけれど)
シャンパーニュと違って 飲み物だけでなく 食べ物も充実しているのもまた良い。(エスカルゴが有名)
将来 どっからか 急にお金が降ってきたら ここに家を買ってもいいなと思うくらいだ。
ところで 家についてだが 私はフランスの古い田舎の家が苦手である。古い家には大体 ふるーい家具がおいてあって
それが多分苦手なのである。 家族代々伝わったものか知らないが あの木製の重厚な家具がなんとも 私の心を
乱すのである。木製で座る部分に麻が巻いてある典型的な田舎の椅子も好きではない。食器棚に施された装飾や 大きな
黒くて 足の太い木のテーブルもなんだか好きではない。4本足で しかもベビーベッドのように 頭側と足側に木のついたて?があるベッドなんて特に苦手である。まず良く寝られたためしがない。埃くさいからか その歴史が重すぎるのか
とにかく 私を暗い気持ちにさせるのである。
今回お邪魔した彼の家も まさにそんな家具のオンパレードで 時折 バングラやネパールからの物品が私を明るい気持ちにさせてくれたが しばらく使ってない家なので クモの巣やらなんやら もう。
幸い 来客の人数が多すぎるということで
ほとんどの人々は 庭にテントをはって寝たので クモとは戦わずにすんだけれど とにかく田舎の家が苦手なのだ。
彼の田舎の家に到着した 最初の晩のこと。
もうすでに たくさんの彼の友人が到着していた。子どももたくさんいる。
テントを張る場所も ほとんどなかった位だ。
彼の大使館時代の友人や 各国であった友人たちは お互いに私たちと同じく初対面で
なんだか ぎこちない空気が流れていた。
外国人は 私とソランジュのみで あとはみんなフランス人。あと ベトナム出身のゲイの人もいた。
ソランジュは カナダのケベック出身なので フランス語を話す、ベトナムからの人もフランス語を話す。
おっと 私だけか フランス語を話せないのは。
そうだった。そうだった。 ブルゴーニュの自然やワインに心浮かれて 今回の旅のメインは友人の誕生日会だったというのを
私はこの時まで忘れていた。そして フランス人のパーティーがどんなものなのかも そのとき思い出して しまった!と
思ったのだが もう後の祭りだ。
初対面のパーティー(と言っても庭でだらだらしてるだけ)のぎこちなさに加えて 場所は広い庭である。
人間 空間が広すぎると なかなか密な人間関係は短時間では作れないものである。
たばこを吸う人が すぐに仲良くなることからもそれは明解だ。
同じ言葉を介すフランス人同士であっても てさぐりで その晩を過ごそうとしているのに
その言葉を解さぬ私がどうやってそれをやりとげることができようか。
ここが 例えば アメリカや日本だったら(多分)話は別である。むしろその言葉に不自由な外国人こそが 主導権を握り
共通言語は英語で または 私の片言の外国語を頑張って理解するように皆のもの努力せよ
というわがままなことをやってのけたかもしれない。
しかし ここはフランスだ。
まず 外国人慣れしてるせいで まったく外国人に興味がない。
自分から積極的に話しかけるということがない。
たとえ自分が一人ぼっちでも 隣りの人々がわいわいしているからといって「なになにー?」と首を突っ込むことはない。
会話に耳をそばだて 誰かが冗談かなんか言った際 そのうまい返しを思いついたときに すかさず一言。
そして笑いをとって 中に入る。または 心優しい人が 会話に何気なく入れてくれるのを待つ。
あとは 一人でぼーっとしているか タバコを吸いに席をたって喫煙チームと話すか さりげなく会話を始める瞬間を待つか。
そんなものだろう。
決して アメリカのパーティーのように 積極的に動き回って できるだけたくさんの人と少しでも会話をする というようなことはない。決して無い(今まで見た中ではない)
さて 私に以上のようなことができようか?? まず 会話のタイミングをはかろうにも言っている事が解らぬようでは
話にならない。冗談なんて言えるわけがない。たばこも吸わない。誰も席を立って知らない人に話しかけにいこうともしない状況で 自分だけ席をたってひとりぼっちの人の隣りへというのも何か変なのでできない(勇気を出してやればよかった。きっと2人だったら英語も話してくれただろうから)
最終的に たどり着いた 私のその晩のオアシスは ベトナムのゲイの男性だった。
彼は ビューティーサロンで働いているということで 色々と お肌についてレクチャーをしてくれた。
例えば 一日一個トマトを食べると翌日の肌の調子が違うとか オリーブオイルに紅茶を浸してそれを肌に毎日すると
きれいに日焼けしたような肌になる とか。。。
そして私の肌の相談にものってくれた。
フランスにきてから なんか肌がくすんでいるし ファンデーションののりがいまいちなのだ と言うと
彼は「水が違うからね。あんまり洗わなくていいのよ。あなたは洗い過ぎで肌が乾燥してるのよ。正直言ったら悪いけど
あなた私の知ってる日本の女性の肌じゃないわね」
がーーーーん!! どきゅーーん!!と鉄砲かまたは しゅっ!と どこからか槍が飛んで来たかのように その言葉は私の胸に刺さった。痛い。とても痛い。今でも痛い。
その晩 私は その胸の痛みと どうしようもない 居心地の悪さを抱えて テントに早々と引き上げたのでした。
しかし テントがあったからこそ 私は引き上げられたわけで これが誰かのうちだったら 寝床に行く事もできず
とにかく 退屈な時間をすごすことになります。この悔しさを 明日へのフランス語学習へ向けられたらいいのですがね。
あー フランスのパーティーはやっぱり苦手です。
あれ? ブルゴーニュのことを書こうとしたのですが ここに落ち着いてしまいました。
フランス人のパーティーに呼ばれたら 心して行きましょうーーー。
写真はまた今度載せまーす