NACHT MUSIK FOR

since2004~PANTA、頭脳警察をメインに音楽のこと。開設から来年2023年で19年目になります。

今日は別に変わらない~昨日は戻らない~それでも明日はやってくる

2009年12月10日 | 鏡の前のつぶやき
すみません。またまた、ご無沙汰してました。
本当は、映画、ドキュメンタリー頭脳警察、のことを新規投稿するつもりでいました。
過去記事上でも、コメント上でも、そういいながら。
だけど、まだ草稿のままです。
その記事が完成アップできるまでには、まだ、もうしばらくかかりそうです

完成するのかなあ・・・・完成させたいです


12月2日朝

新潟の実家の父が永眠しました

父には夏に私と子どもとで会いに行って・・・
そのときはSLに乗って会いに行って
父は子どもたちとSLの写真を見て喜んでくれて、
記念に買ってきて渡したSLのキーホルダーも大事にしてくれてました

また会いに来るからね、って握手して帰ってきた
そんな夏

けれど結局・・・
それっきりになってしまいました

私は
お父さん

と、もう一度会って話したかった

暖かい手に触れたかった
もう一度握手したかった

結局会って話せたのは
その夏の日が最後となってしまいました



頭脳警察の、全国ツアー
それが、新潟でもあって
それが、三連休の三日目の11月23日で

このときに帰省をかねて、またお父さんに会いにいって、
そしてその帰りに新潟市に立ち寄ってこの頭脳警察のライブに参加して、帰宅出来たらいいなあなんて、思わなくもなかった・・・・

ほんとに思わなくも・・・

・・・・・・・

もっと強く思えばよかった

ニ、三年前みたいに、なりふりかまわず、パンタに会いに出かければ良かった・・・

無理してでも行けばよかった

そうしたら



実家の兄から、ニ、三日前から、苦しがりはじめて、医者に観てもらったら、肺に水がたまっていて・・・とても心配で不安だと、メールが届いたのは11月27日でした・・・

それで、びっくりして電話したら
主人はすぐに私をクルマで新潟の実家まで連れていってあげてもいいと言ってくれました
けどうちの田舎は 新潟でも山の奥の奥で・・・・
高速飛ばしても最短でも5時間以上はかかります
電車、新幹線だとトータル6時間以上かかります


けれど 
そのときにすぐにかけつけていたら

でも、それも 結局 検査の結果を待ってもう少し落ち着いたら・・・・様子を見てから・・・
ということになって

行きませんでした


行けば良かった


行けば良かった


せっかく主人は そういってくれてたのに

悔しい



二日の朝、自宅の畳で気がついたときには、すでに眠るように息をひきとっていたということでした

二年前から口からものを食べることは出来なくなり経管栄養の胃ろうで兄と母とふたりだけでずっと世話してました

認知症も、進みつつありました

それでも 大声を出したりもありましたが いつもやさしい父でした
私が子どもふたりを連れて帰省すると いつも目を細めて歓迎してくれてました


離れて住んでいたら、それは仕方ないことであると
最初から覚悟はしていたことでしたけど


12月2日
この日は一日素晴らしい快晴でした

その日の朝、急遽高速飛ばして 私と娘を実家に置いて 主人はその晩 仕事ですぐにとんぼ帰り

   主人は往復およそ12時間の日帰り

私はその片道6時間の間じゅうずっとクルマの助手席で泣きじゃくってました 
涙が止められませんでした

けれど外の景色は さわやかに晴れ渡っていて・・・・


それと
その日の夜は

月が
とてもきれいでした

あの晩の月を私は忘れないでしょう

それから翌日以降はずっと雨    冷たく とっても寒くて
連日の  涙雨

実家に滞在中はずっと父の眠るお茶の間に、床をしいて、父の傍らで寝泊まりしてました

そのまま自宅での葬儀、入棺
12月5日 自宅での念仏
12月6日 出棺火葬後の告別式


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12月5日 郷里、新潟でも映画「ドキュメンタリー頭脳警察」が、この日からスタートでした

実はかけつけた実家での購読新聞、新潟日報記事で、みつけてこのことは初めて知りました

そして、その5日夜、新潟に、映画の舞台挨拶でパンタがやってきていたことも後で知りました

パンタが新潟に来ていただなんて・・・・

そして上映前舞台挨拶をしていたその時間帯、ちょうど自宅では念仏でした


次の四十九日の法要の日は、初台ドアーズで、ZNNの企画でZK新年会が昼・夜あるようです


     パンタさん、私が次に会いにいけるのは、もうしばらく先になってしまいそうです



このたびの父の葬儀で、ドキュメンタリー頭脳警察第一部でのパンタさんのお母様の葬儀の場面のことが思い出されてしまいました・・・やっぱり・・・




初めての肉親の死でした

満83歳  1926年(大正15年)10月11日生まれ
   
私とも パンタとも  同じ干支の 寅年生まれ

来年は「年男」のはずでした


過去に癌を克服し、その後は認知症、経管栄養となってはいましたが、最期は眠るように自宅で・・・

うっ血性心不全とのことでした


・・・・いわば これは 大往生だったのだと思います


だけど
やっぱり悔しさとか

悲しみはおさまりません


もう一度 話をしたかった   まだまだ 生きていて欲しかった


どうか 天国で この二年の間 食べられなかったおいしいものを 食べてください・・・・







お父さん   ありがとう

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