手前のプレハブは、おととしの福岡西方沖地震で家を失くされた、玄界島の方々の仮設住宅です。
今現在も島から離れて、市内で生活をされています。
地震から2年目の今年3月、集合住宅の完成で、ようやく島に帰る事ができるそうです。
2年という時間の長さが、あの地震の凄さを物語っています。
もはや私たちの記憶から消えようとしているあの大地震。
また起きるかも知れない、などとはあまり考えたくないけど、防災に対する意識だけは持ち続けたいものです。
by 星のかけら
今現在も島から離れて、市内で生活をされています。
地震から2年目の今年3月、集合住宅の完成で、ようやく島に帰る事ができるそうです。
2年という時間の長さが、あの地震の凄さを物語っています。
もはや私たちの記憶から消えようとしているあの大地震。
また起きるかも知れない、などとはあまり考えたくないけど、防災に対する意識だけは持ち続けたいものです。
by 星のかけら
福岡の西の副都心、西新です。
庶民的な買い物の街であり、また学生街でもあります。
なので物価はかなり安いです。
「西新」と聞けば、新しい町名のイメージがありますが、これを名付けたのは、実は豊臣秀吉なんです。
写真は西新名物の「リヤカー部隊」。
路の真ん中にリヤカーが並ぶ様子は、韓国の光景を思わせます。
庶民的な買い物の街であり、また学生街でもあります。
なので物価はかなり安いです。
「西新」と聞けば、新しい町名のイメージがありますが、これを名付けたのは、実は豊臣秀吉なんです。
写真は西新名物の「リヤカー部隊」。
路の真ん中にリヤカーが並ぶ様子は、韓国の光景を思わせます。