続・地球環境原理主義

かつて演劇にかけた情熱、現在の環境に対する思い、そして青春の日々を懐かしんで。

ゲルハルトの少年1

2005-12-10 00:33:12 | Weblog
その男がブラジルに渡ったのを見たものは誰もいない。モミアゲヲ短く刈り、自慢のヒゲをほんの気持ち短くしてその男はハンブルグから海底深く北大西洋を渡った。途中、バハマ辺りで一度浮上したようだが、その後深く深く潜航した彼の乗ったUボートを見たものは誰もいなかった。...それは1945年の春のことだった。

東京にやってきたブラジル人は年老いていた。やや青みがかったアロハシャツは(ブラジル人がアロハなのも不可解であるが)色褪せて裾の辺りなどは糸もほつれ全体的にダラリとしている。おそらくは渡航の途中でどこかにハサミ破れてしまったであろうパスポートを左手で虚空に掲げ、あたかもアラーへの祈りを捧げているかのように佇んでいた。...最初に発見したのは、残留孤児でもあったキムである。

そう、あの頃は楽しかった。夏の盛り、家族で行ったマイナーリーグの消化試合。三塁側に陣取った我々は燦々と照りつける陽射しの中、必死に声援を送った。最後の一球が豪快にセンタースクリーン方向の蒼天に吸い込まれるのを見た時には、涙が止めどもなく溢れたものだ。「野球やりましょう!」あの時、私の耳には急逝した夏目雅子の声が聞こえたようだった。