あとらくと

ゆるゆるいきたいの。

あっけない

2022-05-15 23:15:12 | いつもとちがう

急なもので、選べないものだとは言うものの、ねぇ…

 

知らないことがちまちまとありました。

 

一番は、両親の結婚生活年数。

51年経過してた。 あらやだ、金婚式が終わってる

 

50年経過…なんだか最近、聞いた話だったような…

ああ、やっぱりそうだ。 アミさんご夫婦とほとんど一緒

 

長子の自分が年女になっているのに、この年数に驚いたっていうのは、なぜなんだろうねぇ(笑)

 

 

どおりで、うちの両親は、同級生のご両親たちよりも若かったわね。今更再確認。

 

その父が、3月で70歳になりました。

 

 

5月の連休明けに、「71歳」となりました。

 

なんだか立派な名前をもらい、娘たちが一度も着たのを見たことがない着物と、

普段制服なのか?と疑うほどに気に入っていた薄手のダウンジャケットをひっかけて。

 

これも、時間の流れで「いつもの」と片づけることなんだろうと思う。

人間というのは等しく、同じところへ向かってる。

 

でもまあ、「いつもの」と日常になるのはちょっとごめんだなあ。

と思ったので、新カテゴリ作ったわ。

しばらくは遠ざかっていたいわね、こんなこと。

 

その節は会話に付き合っていただいてありがとう、ねこってさん。

やっぱり、数年前に手に入れた個人連絡ツールは有意義である

 

 

あっけなかったなあと、思います。

でも私は、私の父は、ものすごくくだらないことでそうなってしまうのだろうと

なんとなく思っていたので、「ああそうですか」って感じです。

「なんで?!」って騒ぎ立てる気にはならないのです。

 

 

5月5日に救急車で病院に入りました。救急車には、自力で乗り込みました(笑)

 

翌日6日、意識がなくなりました。 脳梗塞を発症したそうです。

生命に重篤にかかわる部位ではなかったようですが。

 

7日、病院よりその旨の電話連絡があり。

 

8日昼、病院より今後の治療について説明を受け、今後の治療方針について確認されました。

この時、ICUに入れてもらえることになりました。

 

母・妹・私、私の夫の4人で病院に出向いていたのですが、私と夫は入りませんでした。

「意識が皆無」とははっきり聞いていなかったため、

家族全員で顔を出せば「俺って危ないのだろうか?」と不安になるだろうと思ったのが大きな理由です。

うちの父、めちゃくちゃ小心者なんで(笑)

結局、この時に面会をした妹からの第一声は「ダメだね、ありゃ」でした。

まあ…お医者さんの説明はそちらも含んだ説明だったしね…

 

父の依頼で救急車を呼んだのは私で(母はオタオタして電話もかけられずにいた)

救急車が到着するまでも少し会話していたし、

救急搬送中の同乗者は母で、私は病院が決まった後に出向き、

救急外来の待合室で、父の処置を待つこと6時間。

朝5時に入って、帰宅したのは11時半だったよ…

 

この時、このまま入院になるので、入院準備をしてきてねーなどの説明を受けた。

父のベッドの横で。

今回の父は、息苦しさから搬送されていたので、会話はあまりできなかったのだけど、

短い単語のやり取りや、問いかけへの反応などは問題なくできていて。

入院病棟に入ってしまうと、私たちは面会ができない。コロナ対策のため。

入院の準備品も、看護師さんにお願いして預かってもらうことになっている。

 

私が、父の生前に会ったのは、この時が最後でした。

 

 

医者の説明後、実家に居座って、母・私・妹の三人でボチボチと話してました。

ダメ、なんだろうなあと漠然と理解しつつ、でもそれはいつなんだろうかと。

持って一週間かなと、面会した二人に聞きつつ。

 

8日夜、19時。

妹がそろそろ自宅へ戻ろうとしていたタイミングで病院から電話があり、

脈も心拍も落ちているからとのこと。

自宅から病院への移動時間を確認され、私は自宅へ戻っていた夫へ電話をし、

4人で病院へ向かう。病院へ到着したのは、19時15分頃だったかな。

病院側から呼び出されたと伝えているのに、守衛で止められ、確認の時間を必要とし。

この数分って、ルールで仕方ないのかもしれないけど、もどかしいよねぇ。

 

昼間も出向いていたので家族だとすぐに認識され、ICUに全員入っていいよと言われ。

父の顔を見たのは私が最初だったのだけど。

 

機械、止まってるねって思った。

 

その後に夫が続いて立っていて。

さらにそのあとに、車いすに乗った母と、それを押した妹と。

歩いた順番であって、数歩ずつの差なんだけどね。

 

妹「え?!機械…」

 

お医者さんが来て、「5分ほど前に…」と。

母は「なんで…」と泣き出してしまうし、妹もボロボロ泣いてしまって。

 

私は「いや、そこは待ってろよ」って口に出てしまった。

 

でもなー…思い返しても、これは本当に、父らしい、と思ってる。

うちの父はせっかちな人で。

お店なんかで食事をしても、こちらが会計しているすきに

とっとと駐車場で車に乗り込むのを待ってる感じの人で。

 

この、一歩先に行く、人を待っていないところが、父らしいっちゃあ父らしいなと思って。

あと数分じゃないか、待ってろよ(笑)って思っちゃったのよね。

 

母が泣くのはともかく、妹が決壊するかのように涙を流したのは意外だった。

昼間に聞いた言葉もあって、覚悟をしているのかと思っていたから。

いや、まあ…覚悟をしていても、ショックなんだよね、きっと。

 

 

「親が突然死んでるんだ、泣いて当たり前」

私、一度も泣いてないし、涙も出てないけど…

「お前、実娘じゃないんじゃないか?」

ひどいこと言いやがる

 

こんな会話を夫としていたのを横で聞いていた妹の夫に笑われた。

彼は仕事中で早退してきてくれた。

霊安室で面会になったのだけど、ちょっと泣いてくれてました。

うちの夫も、ほんのちょっと涙目になってました。(めっちゃ堪えた結果)

 

 

どこかのタイミングで、グワッとツボに入るかのように泣ける、泣くものかと思ったけど、

そんなこともないまま、初七日が済んだのが昨日。

そして思い出して書いている今、涙でも出るかしらーと思ったんだけど

特にそうでもなく。

 

なんだろうなあ、これ。

私、親が死んでも泣けない人なのかしらねぇ。

 

 

葬儀の準備や本番や、ものすごくいっぱいいろんなことがあった。

終わってとりあえずは一息の本日も、ひっぱたいてやりたいくらい

あほなことも頼まれて即答で断ったところ。

 

まだやることはたくさんある。

でも戸籍の処理が済まないことには先に進まない。

だから、今は足踏みしてる状態で、本当、居心地悪い。

 

 

私は、斎場へ到着し、会場に飾られている父の遺影を見て、

大爆笑しました。

嘘くさいコラ画像みたいだったの(笑)

参列してくださった方々には、概ね好評だったようです。

 

そしてその遺影が実家に飾られ、私や妹の自宅にも小さなサイズの写真立てをもらったのだけど。

…本当、むかつくわー…何をニコニコと…

 

うちの父、不良中年だったので、

同じ敷地内に住んでいるのに一週間に一度くらいしか顔を見てないとか当たり前で、

その父の顔が毎日自宅にあるって、変な感じです。写真立て、寝かせちゃおうかしら(笑)

 

 

今、私がつらいなあと思うのは、

母が自分の最期の準備を漠然としているところ。

 

「この新品の布団は一組だけ残しておかないとね。私の時も使うと思うから」

? 母、ベッド辞めて、布団で寝ることにするの?

「じゃなくて、最期の時に。父と同じようにここで寝ると思うから」

 

いずれ来ることなんだけどもさあ…

 

 

そしてたった一週間で、母の思い出話が「良き夫だった」的な話っぷりに驚いている。

そんなわけなかろう、あいつは悪い奴だったぞ

 

 

死んだあとは何もないんじゃないか、と言っていた父。

今頃、立派な名札をつけて、一張羅を着せてもらって、

先にあちらにいる人に指さして笑われてたらいいと思っています。

 

 

 

これから、ものすごくたくさんいっぱい揉めます。

愚痴てんこもりになります、ご注意ください。