聖書にもコーランにも不寛容の記述がある。
聖書を言えば、敵を「撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。」(申命記7:2)、「人に傷害を加えた者は、それと同一の傷害を受けねばならない。骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。」(レビ記24:19-20)
コーランを言えば、「これ、汝ら、信者の者、ユダヤ人やキリスト教徒を仲間にするでないぞ」(第5章85節)、「聖典を頂戴した身でありながら真理(まこと)の宗教を信奉もせぬ、そういう人々に対しては、先方が進んで貢税を差出し、平身低頭して来るまで、あくまで戦い続けるがよい。」(第9章29-35節)(井筒俊彦訳『コーラン』岩波文庫、1987、上巻、155、254-56頁)。
ハマスのイスラエル攻撃、イスラエルのハマス反撃に、これらの不寛容思想が相互に機能しているかどうかは分からないが、聖書もコーランも、それぞれがよって立つ聖典である以上、無関係とはいえないのかもしれない。
聖書の律法(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)は、モーセがシナイ山で神から授かった掟(ただし、創世記にはモーセは登場しない)である。
他方、イスラム教の創始者ムハンマド(マホメット)は、西暦610年頃、天使ガブリエルを介して全知全能の唯一神アッラーの啓示をうけて預言者を自覚し、「アッラーのほかに神なし」としてイスラム教を創始した。イスラム教の聖典「コーラン」はムハンマドの教えを記述したもので、彼の死後に出版されたものである。
イスラム教ではムハンマドの上位に5人の偉大な預言者、アダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエスを置く。聖書の記述によれば、これら5人の預言者はすべて天地万物創造の全能神に連なっている。
創世記によれば、「神」が、「土(アダマ)の塵(ちり)で人(アダム)を形づくり」、その「人」を「東の方のエデン」の「園」に「置」いた。つぎに「人」から「あばら骨」を「抜き取」って「女を造り」、「人のところへ連れて」行くと、「アダムは女をエバ(命)と名付けた。」エバは、「神」の造物なる野生物中で最賢の「蛇」の甘言に乗せられ、「神」の禁じた「善悪の知識の木」の「果実」を食べ、アダムも食べ、その罪ゆえに楽園「追放」にあった(創1・27-3・24)。
その「アダム」が「妻エバを知」り、「エバは長男カインを産み」(創4・1)、次いで次男「アベル」(創4・2)を、そして3男「セト」を得る(創4・25)。長兄カインは、弟アベルへの神の愛をねたみ、アベルを「殺」す(創4・1-8)。カインはその罪のために主から譴責されるが庇護もされる。のちにカインは長男エノクを得、自分が「建てていた」町を、その子にちなんで「エノク」と「名付け」、カイン家6代がつづくなかで文明が始まる(創4・9-22;聖書フラ13注7参照)。3男セトはエノシュを授かり、「主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。」で創世記4章は終わる。
創世記5章はアダムの3男セトの系図で、セトから数えて9代下にノアが現れ(創5・1-29)、ノアが500歳のとき、3男児セム、ハム、ヤフェトを得る(創5・32)。
創世記7章は洪水である。神は、「地上」に人が「増え」、「悪」が蔓延する様をみて、「人」を、そして「家畜も這うものも空の鳥」も「造ったことを後悔」し、「無垢」なノアを除いて「すべて」を「滅ぼす」ことを決め、ノアに「箱舟」の建造を命じる。ノアは神の指示に従い、妻と、3男児夫妻と、「清い動物をすべて7つがい」と、「清くない動物をすべて1つがい」と、「空の鳥」の「7つがい」とともに「箱舟」に「入」る。
ノア600歳のとき「洪水」が起こる。神は大雨を四十日間降らせ、「百五十日の間」水勢は引かない。
創世記8章は水勢の衰えと下船である。ノア「六百一歳」のとき「水は乾」き、ノア一家とすべての生き物は「神」の指示で下船する。9章で、「ノアの息子、セム、ハム、ヤフェト」の「三人」から「全世界の人々」が「出」た、と(創9・18-9)。
創世記は「神」を「天地万物」創造の「全能の神」と規定するが(創2:1、17:1)、神の実態はイスラエルの守護神、民族神に過ぎないと、わたしは拙著『キリスト教の発生』で繰り返し述べている。
アラビア・メッカ生まれの商人ムハンマド(マホメット)(570年頃-632年)はユダヤ教とキリスト教の影響を受けつつ西暦610年頃、天使ガブリエル(下線部は下記「注記」を参照せよ。以下同)を介して全知全能の唯一神アッラーの啓示をうけて預言者を自覚し、「アッラーのほかに神なし」とするイスラム(教)を創始した。イスラム教では、創世記の「神」が生み出した5人、アダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエスをムハンマドの上位に位置づける。
聖書もコーランも古代人の空想に依拠している。イスラエルもハマスも、聖典と信じる書の本質を見極めるべきであろう。我々は古代人の空想から脱して、人間みなきょうだいの観点から、新しい歴史を創造すべきであろう。
注記、天使ガブリエルは「ルカによる福音書」1:19に、「天使は答えた。『わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。』」とある。
注記。アブラハムは、ノアの長男セムの子孫で、セムから数えて9代目、遊牧民テラの長男である(創11・11-26)。モーセは、アブラハムの孫ヤコブに3男レビがあり、レビのひ孫である。 イエスの系図は新約聖書の「マタイによる福音書」第1章と「ルカによる福音書」3章にある。ルカではイエスはアブラハムの子孫とあり、マタイでは父ヨセフに連なる先祖はアダムとある。