ズレ…る
階段で躓いてサンダルの紐が切れた。けれどそんなことに構っている暇はなかった。
――間に合わない…! 焦る小夜子切れた紐を風に揺らしながら階段を登りきったが、止まっているはずの列車はちょうど軽い埃を立てて過ぎ去ったあとで、ホームには遠ざかる列車の音と行き場を失った生ぬるい風が無意味に漂っているだけだった。
――三分のズレで間に合わなかったの…? 腕時計はきちんと合わせいたはずなのに…!
悔しさとも憤りともつかない小夜子の絶望的な想いは、たった三分の時間のズレを憎むことに向けられた。
――真一があんなこと決めたりするからだ…! と小夜子は真一の言葉を思い出しながら下唇を噛んだ。
『携帯電話は持たないことにしよう。僕たちの計画を神さまが祝福されるなら、きっと無事に会えるはずたから。すべては運に賭けよう』
真一もその台詞を思い出していた。
――神さまは僕たちの計画に反対されたのだろうか…。
いずれにしても会えなかったことが二人に訪れた真実だと真一は受け止めた。同時にそれは駆け落ちの失敗を意味していた。
隣が空席のまま出発した列車の中で、真一は小夜子のために禁煙席をとったことを後悔していた。
その時、ざわざわっと寒気がして、空席に違和感を覚えた。胸騒ぎにも似た感覚だった。
『またお前の仕業だろう』
『だって、退屈だったんだもの』
『まだ恨んでいるのか、僕のわずかな遅刻を』
『だって約束したじゃない。一緒だって。一瞬もズレることなく一緒に逝くんだって』
『お前に言わせると三分の遅れがズレになるのか?』
『女はね、そんな小さなことが大切なのよ。この場所であなたと一瞬も違わない時刻に逝けなかったことが悔しくて…だってね、私わかってるのよ。ズレたその三分は、あなたの後悔の三分だってこと、未練の三分だってこと。だからね、遅刻のないカップルがたまに羨ましくなるのよ』
『今度は何をやったわけ?』
『彼女の腕時計をね、ほんのちょっと遅らせただけ…ほんの三分だけ…。それに――』
『それに?』
『この席は私とあなただけの席よ。この席には誰も座らせない。ずっと二人だけの席、40年前のあの日から永劫…そうでしょう?』
『わかったわかった…僕らがここでしか生きられないのはあの日三分遅刻した僕のせいだから』
ヌラリと髪の毛が頬に触れたような気がした真一の背中にゾクッと旋律が走った。慌てて辺りを見回してみたが、何もない。それでもやけに耳元がざわざわとうるさい。まるで誰かが喋っているかのような息さえ首筋に掛かる。
どうにも座り心地が悪く、落ち着かないのは、効きすぎているいる冷房と、煙草の煙が恋しくなったせいだと決めつけ、ついに真一は席を立った。
なんとなくこの席には戻る気がしなかった。
おしまいです
このショートストーリーは1200文字と限定された中での作品です。ぎりぎり1200文字に挑戦しています
でも10年くらい前の作品ですけど…
階段で躓いてサンダルの紐が切れた。けれどそんなことに構っている暇はなかった。
――間に合わない…! 焦る小夜子切れた紐を風に揺らしながら階段を登りきったが、止まっているはずの列車はちょうど軽い埃を立てて過ぎ去ったあとで、ホームには遠ざかる列車の音と行き場を失った生ぬるい風が無意味に漂っているだけだった。
――三分のズレで間に合わなかったの…? 腕時計はきちんと合わせいたはずなのに…!
悔しさとも憤りともつかない小夜子の絶望的な想いは、たった三分の時間のズレを憎むことに向けられた。
――真一があんなこと決めたりするからだ…! と小夜子は真一の言葉を思い出しながら下唇を噛んだ。
『携帯電話は持たないことにしよう。僕たちの計画を神さまが祝福されるなら、きっと無事に会えるはずたから。すべては運に賭けよう』
真一もその台詞を思い出していた。
――神さまは僕たちの計画に反対されたのだろうか…。
いずれにしても会えなかったことが二人に訪れた真実だと真一は受け止めた。同時にそれは駆け落ちの失敗を意味していた。
隣が空席のまま出発した列車の中で、真一は小夜子のために禁煙席をとったことを後悔していた。
その時、ざわざわっと寒気がして、空席に違和感を覚えた。胸騒ぎにも似た感覚だった。
『またお前の仕業だろう』
『だって、退屈だったんだもの』
『まだ恨んでいるのか、僕のわずかな遅刻を』
『だって約束したじゃない。一緒だって。一瞬もズレることなく一緒に逝くんだって』
『お前に言わせると三分の遅れがズレになるのか?』
『女はね、そんな小さなことが大切なのよ。この場所であなたと一瞬も違わない時刻に逝けなかったことが悔しくて…だってね、私わかってるのよ。ズレたその三分は、あなたの後悔の三分だってこと、未練の三分だってこと。だからね、遅刻のないカップルがたまに羨ましくなるのよ』
『今度は何をやったわけ?』
『彼女の腕時計をね、ほんのちょっと遅らせただけ…ほんの三分だけ…。それに――』
『それに?』
『この席は私とあなただけの席よ。この席には誰も座らせない。ずっと二人だけの席、40年前のあの日から永劫…そうでしょう?』
『わかったわかった…僕らがここでしか生きられないのはあの日三分遅刻した僕のせいだから』
ヌラリと髪の毛が頬に触れたような気がした真一の背中にゾクッと旋律が走った。慌てて辺りを見回してみたが、何もない。それでもやけに耳元がざわざわとうるさい。まるで誰かが喋っているかのような息さえ首筋に掛かる。
どうにも座り心地が悪く、落ち着かないのは、効きすぎているいる冷房と、煙草の煙が恋しくなったせいだと決めつけ、ついに真一は席を立った。
なんとなくこの席には戻る気がしなかった。
おしまいです
このショートストーリーは1200文字と限定された中での作品です。ぎりぎり1200文字に挑戦しています
でも10年くらい前の作品ですけど…