◇ 13 ページ から。
第1章「バカ の 壁 」とは 何か 。
【「 話せば わかる 」は
大嘘 (おおうそ) 】
「 話しても わからない 」
ということ を 大学 で
痛感 した 例 が あります。
イギリス の BBC 放送 が
制作した、ある 夫婦 の
妊娠 から 出産 までを
詳細 (しょうさい) に 追 (お) った
ドキュメンタリー 番組 を、
北里 (きたさと) 大学 薬学部 の
学生 に 見せた 時 のことです。
〈 中 略 〉
【 現実 とは 何か 】
もう 少し「 わかる 」と いうこと
について 考えを 進めていくと、
「そもそも現実とは何か」
という 問題に つきあたります。
「 わかっている 」べき 対象 が
どういうものなのか、
ということです。ところが、
誰 (だれ) ひとり として 現実の
詳細 (しょうさい) について
なんか わかっていない。
たとえ 何か の 場 に
居合 (いあ) わせた としても
わかっていないし、記憶 (きおく)
というものも 極 (きわ) めて
あやふやだというのは、
私じゃ なくても
思い あたる ところ でしょう。
世界 というのは そんなものだ、
つかみどころのないものだ、
ということを、昔の人は
誰でも知っていたのではないか。
その 曖昧 (あいまい) さ、
あやふやさ が、芥川 龍之介
(あくたがわ りゅうのすけ)
の『 藪 (やぶ) の 中 』や
黒澤 明 (くろさわ あきら) 監督
の『 羅生門 (らしょうもん) 』
の テーマ だった。
同じ 事件 を 見た 3人 が
3人 とも 別 (べつ) の 見方
(みかた) をしてしまっている、
というのが 物語 の 1つ
の 主題 ( = テーマ ) です。
まさに現実は「 藪 の 中 」です。
ところが、現代 に おいては、
そこまで 自分 たちが
物 を 知らない、ということを
疑 (うたが) う 人 が どん どん
いなく なって しまった。
みんな が 漫然 (まんぜん) と
「自分たち は 現実 世界 について
大概 (たいがい) のことを
知っている 」または
「 知ろうと 思えば 知ること
が できるのだ 」と
思って しまって います。
だから、テレビを見たという
だけで、2001 年 9 月 11 日 に
ニューヨーク で 何 が 起 (お)
こったか、「 知っている 」
「 わかっている 」
と 思ってしまう。
〈 中 略 〉
現実 の ディテール ( = 詳細 や 細部 )
を「 わかる 」と いうのは、
そんなに 簡単な 話 でしょうか。
実際には、そうではありません。
だから こそ 人間は、何が
確かなものが 欲しくなる。
そこで 宗教 を 作り 出して
きた わけです。
キリスト 教 、ユダヤ 教 、
イスラム 教 と いった
一神教 (いっしんきょう) は、
現実 といものは 極 (きわ) めて
あやふやである、という 前提
(ぜんてい) の 下に 成立
したものだ と 私 は 思っています。
つまり、本来、人間 には
わからない 現実 の
ディテール を 完全 に 把握
(はあく) している 存在
(そんざい) が、世界中 で
ひとり だけ いる。
それ が「 神 」である。
この 前提 が ある から こそ、
正しい 答えも 存在している
という 前提 ができる。
それゆえに、彼ら は
科学 にしても、ほかの
何 (なん) の 分野 に しても、
正しい 答え というものを
徹底的 に 追求 できるのです。
唯一 (ゆいいつ) 絶対的 な
存在 が あって こそ、
「 正解 」は 存在 する、
という こと なのです。
ところが、私たち 日本人の
住むのは、本来、八百万
(やおよろず) の 神 の 世界です。
ここには、本質的 に 真実 は
何 (なに) か、事実 は 何か、と
追求 する 癖 (くせ) が 無 (な) い。
それは 当然 の こと で、
「 絶対的 真実 」が存在
しないのですから。
これは、一神教 (いっしんきょう)
の 世界 と自然 宗教 の 世界、
すなわち 世界 の 大多数 である
欧米 や イスラム 社会 と
日本 との、
大きな 違い です。
〈 中 略 〉
安易に「 わかる 」、
「 話せば わかる 」、
「 絶対 の 真実 が ある 」
などと 思ってしまう 姿勢、
そこから 一元論 (いちげんろん)
に 落ちていくのは、すぐ です。
一元論 に はまれば、強固
(きょうこ) な 壁 (かべ) の
中 に 住むことになります。
それは 一見 (いっけん)、
楽なことです。
しかし、向こう側のこと、
自分と違う立場のことは
見えなくなる。
当然、話は通じなく
なるのです。
〈 以上 で 本書 は 終わり 〉
▷ 一元論 とは、
1.ある 1つの 原理 で、
あらゆるものを 説明
しようとする 考え方。
2.哲学で、世界 を 1つ の
根本的 な 原理 によって
説明しようとする 立場。
パルメニデスの「 有 」、
スピノザの「 実体 」など。
( ほか には、二元論 、
多元論 なども ある)
出典 は goo 辞書
□ 参考 文献
「 バカ の 壁 」
養老 孟司 著
2003 年 4 月 10日
新潮社 発行
□ NHKアーカイブス
養老 孟司 ( ようろう たけし )
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009071295_00000
第1章「バカ の 壁 」とは 何か 。
【「 話せば わかる 」は
大嘘 (おおうそ) 】
「 話しても わからない 」
ということ を 大学 で
痛感 した 例 が あります。
イギリス の BBC 放送 が
制作した、ある 夫婦 の
妊娠 から 出産 までを
詳細 (しょうさい) に 追 (お) った
ドキュメンタリー 番組 を、
北里 (きたさと) 大学 薬学部 の
学生 に 見せた 時 のことです。
〈 中 略 〉
【 現実 とは 何か 】
もう 少し「 わかる 」と いうこと
について 考えを 進めていくと、
「そもそも現実とは何か」
という 問題に つきあたります。
「 わかっている 」べき 対象 が
どういうものなのか、
ということです。ところが、
誰 (だれ) ひとり として 現実の
詳細 (しょうさい) について
なんか わかっていない。
たとえ 何か の 場 に
居合 (いあ) わせた としても
わかっていないし、記憶 (きおく)
というものも 極 (きわ) めて
あやふやだというのは、
私じゃ なくても
思い あたる ところ でしょう。
世界 というのは そんなものだ、
つかみどころのないものだ、
ということを、昔の人は
誰でも知っていたのではないか。
その 曖昧 (あいまい) さ、
あやふやさ が、芥川 龍之介
(あくたがわ りゅうのすけ)
の『 藪 (やぶ) の 中 』や
黒澤 明 (くろさわ あきら) 監督
の『 羅生門 (らしょうもん) 』
の テーマ だった。
同じ 事件 を 見た 3人 が
3人 とも 別 (べつ) の 見方
(みかた) をしてしまっている、
というのが 物語 の 1つ
の 主題 ( = テーマ ) です。
まさに現実は「 藪 の 中 」です。
ところが、現代 に おいては、
そこまで 自分 たちが
物 を 知らない、ということを
疑 (うたが) う 人 が どん どん
いなく なって しまった。
みんな が 漫然 (まんぜん) と
「自分たち は 現実 世界 について
大概 (たいがい) のことを
知っている 」または
「 知ろうと 思えば 知ること
が できるのだ 」と
思って しまって います。
だから、テレビを見たという
だけで、2001 年 9 月 11 日 に
ニューヨーク で 何 が 起 (お)
こったか、「 知っている 」
「 わかっている 」
と 思ってしまう。
〈 中 略 〉
現実 の ディテール ( = 詳細 や 細部 )
を「 わかる 」と いうのは、
そんなに 簡単な 話 でしょうか。
実際には、そうではありません。
だから こそ 人間は、何が
確かなものが 欲しくなる。
そこで 宗教 を 作り 出して
きた わけです。
キリスト 教 、ユダヤ 教 、
イスラム 教 と いった
一神教 (いっしんきょう) は、
現実 といものは 極 (きわ) めて
あやふやである、という 前提
(ぜんてい) の 下に 成立
したものだ と 私 は 思っています。
つまり、本来、人間 には
わからない 現実 の
ディテール を 完全 に 把握
(はあく) している 存在
(そんざい) が、世界中 で
ひとり だけ いる。
それ が「 神 」である。
この 前提 が ある から こそ、
正しい 答えも 存在している
という 前提 ができる。
それゆえに、彼ら は
科学 にしても、ほかの
何 (なん) の 分野 に しても、
正しい 答え というものを
徹底的 に 追求 できるのです。
唯一 (ゆいいつ) 絶対的 な
存在 が あって こそ、
「 正解 」は 存在 する、
という こと なのです。
ところが、私たち 日本人の
住むのは、本来、八百万
(やおよろず) の 神 の 世界です。
ここには、本質的 に 真実 は
何 (なに) か、事実 は 何か、と
追求 する 癖 (くせ) が 無 (な) い。
それは 当然 の こと で、
「 絶対的 真実 」が存在
しないのですから。
これは、一神教 (いっしんきょう)
の 世界 と自然 宗教 の 世界、
すなわち 世界 の 大多数 である
欧米 や イスラム 社会 と
日本 との、
大きな 違い です。
〈 中 略 〉
安易に「 わかる 」、
「 話せば わかる 」、
「 絶対 の 真実 が ある 」
などと 思ってしまう 姿勢、
そこから 一元論 (いちげんろん)
に 落ちていくのは、すぐ です。
一元論 に はまれば、強固
(きょうこ) な 壁 (かべ) の
中 に 住むことになります。
それは 一見 (いっけん)、
楽なことです。
しかし、向こう側のこと、
自分と違う立場のことは
見えなくなる。
当然、話は通じなく
なるのです。
〈 以上 で 本書 は 終わり 〉
▷ 一元論 とは、
1.ある 1つの 原理 で、
あらゆるものを 説明
しようとする 考え方。
2.哲学で、世界 を 1つ の
根本的 な 原理 によって
説明しようとする 立場。
パルメニデスの「 有 」、
スピノザの「 実体 」など。
( ほか には、二元論 、
多元論 なども ある)
出典 は goo 辞書
□ 参考 文献
「 バカ の 壁 」
養老 孟司 著
2003 年 4 月 10日
新潮社 発行
□ NHKアーカイブス
養老 孟司 ( ようろう たけし )
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009071295_00000
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