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世界の中心でおさかな生活

「おさかな」です。
アホなことばかり書いてますが、一部の変わり者にはそこそこ面白い読み物にしていこうと思います。

ときどき心がウガーってなる

2015-09-08 00:43:50 | 日記


ときどき心がウガーってなるときがあります。




やり場のない怒りや、悲しみ、そういう類のものが原因かもしれません。




そういう時は音楽聞いたり軽い運動したりコーヒー飲んだりして適当に過ごしたらいいんです。




にしても、世の中のストレスの総量は一定で、結局誰が抱えてるかの違いでしかないのかと思う時がある。
自分が我慢していないときは誰かが我慢していて、逆もまた然りだと思うので。


押し付けるか押し付けられるかで考えるのは嫌なので、いいストレス解消法を確立したいもんですね。




日本仕事百貨

2015-09-07 21:03:33 | 日記
日本仕事百貨というサイトがお気に入りで、よく読んでいます。



別に転職を考えているわけではないが、色んな仕事のことを知るのは良いことだ。



あと、色んな世界があるのを知れば、生きていくのが楽になると思うんですね。
良い意味で、「別にここが全てじゃない」という実感を持つことになるので。

何のために頑張るのか…

2015-09-07 01:35:41 | 日記
何のために頑張るのかが小さい頃からよくわからなかった。




例えば学校の勉強…
「頑張って勉強しなさい。そうすればいい点が取れるから!」
なんてよく言われた。



頑張って勉強すればいい点が取れるのはわかるけど、どうしていい点をとる必要があるのかさっぱりわからない。
どうして通信簿でより良い評価を目指さないといけないのかわからない。
そら評価が悪いよりは良い方がいいだろうけど、そうはいっても良い評価得るのに必要な努力に見合う価値はないように思えた。
わけがわかならない。だるい。


だた、私は分野によっては好きな勉強もあったので、そういうものに関しては自然と努力できて結果として高い評価を得たこともありました。

だけど、いい点を目指すための、成績表で優をとるとか、そういう「良い評価」を目指すための努力って自分には出来なかった…

もちろん、そういう努力をして良い結果を残すことはそれはそれで尊いことだと思う。
念のために言っておくと、私が言いたいのはそれが良いとか悪いとかの話ではなく、自分にはそういうことができないということです。


自分の性格にもうちょっと協調性があれば違ったのかもしれない。
あるいは幼少時にそういうことを重要なこととして教育されていれば、評価を大事にしたのかもしれない。








そうはいっても実際に私はこういう評価に無頓着な人間で、そのせいで長いこと「どうして頑張るのか」に対する答えが見つけられずにいた。


しかし、私はもう20代も半ばも超え、自分のこれまでの経験を通じてその問いに対する答えははっきりと出た気がする。












やっぱり、単純に「生きていくため」だと思う。







特別なことがなかったとしても、普通に生きているだけでそこそこに大変なことはあるし、苦しいこともある。
それはテストで100点取る人でも30点の人でも同じことだ。


私もかつて、ぎりぎりの生活というものを経験したことがある。
本当に毎日必死だったし、しんどかった。
いつもいつも余裕がなくて、いっぱいいっぱいの日々だった。

後から振り返ったときに、その時自分は特に意識しなくても頑張れていると気付いた。
頑張る理由もそういうことだとわかった。






つまり、こういうことです。
基本的に世の中は弱肉強食、だから食われないようにむしろ相手を食ってかかれるように頑張る。










視点を変えてみる。
そもそも人間の生活は、山で栗を拾ったり鹿を捕まえたり海で魚を釣ったりすることが全てだった。
そういう、「食事にありつく過程」が複雑になった結果、学校で勉強したり会社で働いたりしているに過ぎない。
昔の生活ならば、頑張る理由は生きていくためなんて当たり前過ぎて考えもしなかったに違いない。



食事にありつく過程が複雑になった弊害として、あるいは世の中が豊かになったせいでそこのところが霞がかったんだろうな。


なぜなら、そういう社会は頑張ること(良い評価を出すこと)と生きていくことの関連が見えにくいから。
あるいはそこまで頑張らなくても餓死せず生きていけるから。



でも、本質は単純に生きていくために頑張るんであって、生き甲斐とか夢とかプライドとかそういうもののために頑張るわけじゃない。
生き甲斐や夢やプライドで頑張る理由を説明しようとするから、私のような頑張る理由にしっくりこない人間がでるわけで。そういうことを大事に思えない人間はあらゆることがアホ臭く思えてしまうところがあるよね。
正直、「会社での評価35歳までに決まるからね、頑張れよ」なんて言われても全くもってモチベーションには結びつかない。だから私は、「何かあった時に自分にそれを乗り切る力をつけるために頑張る」あるいは「やりたいと思ったことを実現するために頑張る」と普段から考えるようにしています。





もちろん心の余裕や遊びの大切さは理解しているけども、
上で書いた答えに辿り着いた今では、もう「なんで頑張るのか」でうだうだ悩むことはないかな。



良い評価を得るためにという答えで頑張れる人はいいだろうけど、
私のようなタイプはこんな説明を自分でしないと頑張れないのが面倒くさいね。













いい加減で雑な自分を克服する方法

2015-08-23 20:45:39 | 日記



私はいつもいい加減で雑で、そのことでたくさん損をしてきました。






わかってはいても細かい作業が苦手で、何かしていてもすぐに集中力が切れるし、
そのことで多くのミスを重ねてきました。






ずっとそんな自分が嫌で、一時はADHDではないかと悩んだりもしました。










結局のところ習慣と自信の問題と気づいてからは、
「あなたはすごいきっちりしている」ですとか、
「すごくしっかりしている」と言われるようになりましたが…












私のたどり着いた対処法は、「普段から全てきちんとする・一瞬の曇りも許さない」戦法。








しっかりすべき場面でのみ、しっかりしようと心掛けても無理だとやっと分かったんです。
だから普段から一ミリのミスも許さない。







戸をいい加減にバーンと閉める人は、書類もいい加減にバーンと作ってしまうんですね。










文章を書くときは、必ずダブルチェックを欠かさない。
戸を閉めるときは、必ず最後まで手を添えて閉める。
家を出るときは、必ず全ての電源と戸締りと天気予報を自分でチェックする。たとえ同居人がいても。
人の話を聞くときは、必ずその話を心の中で復唱する。聞くときは同時に他のことを考えない。
何かをする際は、必ず頭の中でシミュレーションをして、下準備を完璧にする。








最初はなかり疲れますが、習慣化してしまえば平気です。
むしろ、それをしないと気持ち悪くなる。
逆にいい加減に慣れるとそれが癖になるんですね。







思えば、私の親は典型的な「我が子の教育を通じて自己実現をはかるタイプ」の親でした。
小さい頃からそんな自己都合で口うるさい親に嫌気が差していて、
そのことで人の話を受け流したり、真面目に物事に取り組まないような子になっていたんですね。
















ま、なんでもいいけど。

















あと私の場合、睡眠不足がかなり色々なことに影響するとわかっているので、
どれだけ忙しくても睡眠時間だけは死守すると決めています。
また、肌が弱いのも理由の一つですが、気分の高揚を招きやすい砂糖や炭水化物の摂取を控えるようにしました。これで衝動的になるのをかなり防げます。
どうしても感情的になりそうなときは、息を大きく吐く。これも有効です。




































自分に必要なことは、自分で身に付ける。

細かい作業が得意になり、しっかりするのもその一つです。

書類提出の前に、一つ一つチェック!





日記も投稿の前に、必ずチェック!









どうして働くのか

2015-08-02 23:52:03 | 日記


どうして働くのか…を考えてみた。



















答えは、それが面白いから。
私にとって仕事とは遊びの延長であり趣味みたなもんです。








こういうと、真剣じゃないとか…仕事は他者に貢献するためのものだとか…自分本位だとか…
そういうことを言われそうだけど、それはそれで全然構わないと思う。








自分本位な気持ちが全くない人なんていないと思うし、
そのことで人に迷惑をかけているわけじゃないし、
逆に自分本位な気持ちがあることを否定してしまうことの方が不自然だと思うね。









建前での働く理由って
例えば金融業の人なら、地域経済に貢献するとか
警察の人なら、治安を守りたいとか…
医者なら、人の健康に貢献したいとか…
まあ色々であると思います。








これを、
「合コンでモテるから警察に入った」とか
「儲かるから医者になった」って言ってしまうと、
「あいつはけしからん奴だ…!」なんて言われてしまう。







確かに私も、大っぴらにそういうことを言わないのには賛成です。




総理大臣や県知事が
「国民(県民)なんてどうでもいい。楽して有名になれてお金もらえるからこの仕事をしている」
なんて言い出したら、さすがに私でも「この人大丈夫かよ…」って思ってしまいますから。笑







だけど、みんな人間です。
高尚な理由だけで生きてるわけじゃない。
高尚な理由も働く動機としてはあるんだけど、低俗な理由も立派な動機ですから。







なんかカッコいい…
モテたい…
お金が沢山もらえそう…



そういう気持ちってれっきとしてあるのに、それを否定するなんて健全じゃない。
本当に純粋に社会貢献したいだけなら、職に就く必要すらなくて、ボランティアでやればいいんですから。
むしろそういう気持ちに正直になって、自分のやる気に積極的に繋げていくことが大事だと思う。






結局、働くのに高尚な理由なんて要らんのです。





私は仕事を通じて、新しい発見をすることや人との繋がりができるのが面白い、
自分の仕事によって喜んでくれる人が嬉しいから働いています。


これは一生懸命ゲームに取り組むときや、面白い本を読んでいるときの気持ちと大差ないです。
仕事でイライラすることもあるけど、それはゲームの攻略に手こずってイライラしてるみたいなもんです。





自分がやってて楽しいと思えるものが、社会的に喜ばれるもので本当に良かったです。
例えば極端な話、殺人や強盗に喜びを覚える性格の人だって世の中にはいるわけで…


そのへんはまあ、ラッキーだったね。






元々人間の働きなんていうのは、山で栗を拾うとか、鹿を捕まえるとか、
そんなレベルの話で、その「食べ物にありつく過程」が若干複雑になったに過ぎないんですから。
労働なんていうのは、そもそもが100%自分のためです!




それでいいし、それが全てだと思う。