土曜日が好き

悪性リンパ腫(ホジキン病)の治療の日々とその後

ご報告が大変遅くなりました

2007-12-29 04:58:57 | 日記
もう2007年もあと少しですね・・
みなさんお元気ですか?
私はやっと年賀状書きがひと段落して、ほっとしてマス
はがきの印刷をお願いしたところの手違いがあったりして
結局こんな時期までバタバタしてしまった・・
1日に届かなかったらゴメンナサイ

前回のブログで、結婚式にいってきまーす!
と行ったきり、帰ってこなくてスミマセン
ゲストのみなさん、スタッフのみなさん、その他大勢の方々に
支えられて無事、挙式・披露宴・二次会と行うことができました
本当にありがとうございました
この場を借りて御礼申し上げます

11月23日はとてもよいお天気で
ちょっと寒かったけど(イヤ・・ちょっとどころじゃなかったカモ)
挙式はパティオ(ホテルの14階の中庭)で行うことができました
当日は首都高が渋滞していて、予定の入り時間に間に合わず
かなりハラハラしたけど、ウエディングドレスを着て、髪をまとめてもらって、
ベールをつけて、ブーケを持って、挙式会場に入ったときは、
とーーっても感動でした

集まってくれたゲストの方々の温かさを感じました

披露宴もお開きまで、ゲスト、スタッフの方々の温かさに包まれて
本当に幸せでした

二次会には、遠方から来てくれた友人も多く
本当に感謝の気持ちでいっぱいです
二次会に集まってくれた方々、本当にありがとうございました

三次会では、胴上げありがとう

それから最後に、受付やスピーチやウェルカムベアの制作や
プロフィール&エンドロールDVDの制作やたくさん写真を撮ってくれたり
結婚式後に素敵なアルバムを作ってくれたり・・
いろいろ支えてくれた友人と(主人の)弟君、本当にありがとう

私たちも一生懸命準備してきたつもりだったけど
至らないところも多かったと思います

そんな2人ですが、微力ながら力を合わせて前向きに歩んでいこうと思いますので、
これからもどうぞよろしくお願いいたします

年末年始は、主人の家族と31日から2泊3日で松島へ旅行にいってきます
楽しみですーー


みなさん、よいお年を・・



プロフィール

2007-12-29 04:05:56 | プロフィール
〇名前 orakuji(♀)
〇誕生日 1979年12月3日
〇血液型 A型
〇お仕事 IT関連の会社でWeb制作→事務→不動産会社でパート→専業主婦‥

〇病気 悪性リンパ腫の中でもホジキンリンパ腫混合細胞型ステージⅢA
〇治療法 ABVD療法6クール(治療開始時は8クールの予定だったが、主治医が変わったこと等により、結局6クールとなった)

これまでの経過はこんな感じ↓です。

2003年12月~2004年7月 ダイエットしてないのに体重がぐんぐん減る。体質変わったのかなぁと嬉しく思う。彼氏もできたばっかりだったし。

2004年夏 首のしこり(右側・鎖骨上・1つ)に気付く。かぜをひいて病院へ行ったときにちょっと相談してみるが、流された感じだったので、あまり気にしないことにしていた。

2004年秋 体重がだいたい定まってきた。身長148センチ、体重40キロ。

2005年3月 胃(あたり)が痛くて、微熱が下がらず、会社を1週間休む。風邪もひきやすいし、なんかおかしい。

2005年4月 体がかゆい!!とにかくかゆい!!でも、皮膚にボツボツがあるわけではない。皮膚科に行くと、アレルギー体質のじんましんと言われる。
確かに私は花粉症だし、そのせいなのかなぁとなんとなく納得するも、かゆみはとまらない。温泉に行っても、レスタミンを塗っても、体の中からわきあがってくるようなかゆみに襲われることがしばしばあった。辛い!!かゆくて、鳥肌も立った。でも、たまによくなる。

2005年5月末 お酒を飲んだ次の日、首のしこりが急に大きくなって痛み出したので、近くの内科へ行くと、すぐに詳しい検査をしたほうがよいと言って、大学病院の血液内科へ紹介状を書いてくれた。
このとき、首のしこりは見た目に4センチくらいあった。

2005年6月初 東京の大学病院の血液内科を受診。血液内科からの紹介で耳鼻科も受診。血液検査、ツベルクリン反応、CT、超音波、レントゲンをする。
首のしこりが、3センチくらいに小さくなっていた。

2005年6月中 さらに首のしこりは小さくなり見た目には、よく分からないくらいになっていた。さわった感じでは、2センチくらいのしこり。
血液内科の先生からは、結核性リンパ節炎(ツ反が陽性だった)、悪性リンパ腫(先生の経験からして、さわった感じが怪しい)、亜急性壊死性リンパ節炎(若い女性に多い)の可能性があると言われる。縦隔の腫れ、脾臓が大きいことが気になるとも言われるが、その後、専門の先生に画像をみてもらったところ、両方とも問題ないということになったらしい。

2005年6月末 耳鼻科で生検する予定だったが、当日になって、しこりが1センチくらいに小さくなっていたので、生検はせずに、経過観察することに。
ただ、このころ首の左側の鎖骨の奥の方にも触った感じ3センチくらいのしこりが2つくらいあることに気付く。

2005年7月 どの病気だったとしても、安静にしていたほうがいいのではないかと、会社から休職をすすめてくれ、病名が分かるまでとにかく休職することに。微熱も続いていたし、体もだるかったのでとても助かった。でもとてもヒマ。
左側のしこりは、相変わらず。

2005年8月中 彼氏と渋温泉に1泊旅行。夜店と露天風呂貸切(ひとりぼっちで入った)は最高だった。
温泉から帰ってきて、採血に行く。このころ、首の右側にまたしこりができる。以前とは違う場所で、縦に3つ並んでできた。それぞれ大きさは1センチくらい。

2005年9月初 友達と箱根の温泉に一泊旅行。女2人でのんびり旅行。またしたいね!
温泉から帰ってきて、血液内科を受診。血液検査の結果が7月よりよくないと言われ、その日も採血して帰る。よくないというのは、腫瘍マーカーの可溶性IL2レセプターの値が基準値を超えてきたということらしい。

2005年9月中 さらに腫瘍マーカーが上がってることと、最初に大学病院を受診してから3ヶ月経ったということで(亜急性壊死性リンパ節炎は通常3ヶ月以内で治るらしい)、生検することになる。

2005年9月末 耳鼻科にて生検。印をつけてから終わるまで、だいだい40分くらいだったかな。女の子だから傷が残らないようにと一生懸命やってくれた。
傷跡はほとんど残っておらず、耳鼻科の先生には本当に感謝している。

そして、9月29日にもっと詳しく調べてみないとわからないけど、悪性リンパ腫が疑わしいと血液内科の先生から聞く。

2005年10月初 ホジキンリンパ腫だったと聞く。
はじめは治療も東京の大学病院でそのまましようと思っていたけど、両親の心配もあって、実家に近い栃木の大学病院で治療をすることに。

2005年11月初 栃木の大学病院に入院して、ABVD療法1クール1回目を行う。
入院した日に、本田美奈子.さんが亡くなったニュースを病棟のみんなで見ていた。
なんだか不思議な気分。
副作用があまり強くないほうだったらしく5日で退院。
それから、婦人科にて、ABVD療法から卵巣機能を守るためにリュープリンの注射をはじめる。
(私の通っている病院で行われている「血液疾患に対する化学療法中の卵巣機能保護を目的とするリュープロレイン投与の検討」という臨床研究に協力したため)

2006年5月初 リュープリンの注射は6ヶ月までしか保険が効かないため、7ヶ月目にあたるこの月は全額自己負担で行った。

2006年5月中 外来で6クール2回目のABVD療法を受けに行ったら、先生に今日で化学療法は終わりにするがよいか聞かれ、快諾。ABVD療法が終了となった。
ABVD療法の終了に伴い、リュープリンの注射も終了。

2006年6月初 PET-CTで、治療効果を検査。

2006年6月中 PET-CTの結果、異常な集積なし!血液検査も異常なし!
経過観察となる。
 
2006年7月末 会社に復帰。まずは週2回からのスタート。

2006年11月22日 結婚。

2006年12月末 会社を退職。

詳しいこと&その後は、このブログで。