まったく最近の林君はすごいの一言である。
青年部副部長の彼は次期部長ではあるが、すでに県青連会長、全国連会長とのコンタクトをとり、濃密な関係を築いている。
これはかなわないの一言だ。
部長経験しかない私よりは、県青連会長の経験を持つ最上先生のほうが語るに値するのだが。
佐渡の青年部長は10人、ここから佐渡の会長と副会長が県の担当となる。ここで県の会長と初めて顔を合わす。
まず、私のように末端の部長であれば。新潟県の会長に会うのもミーハー化する。
最初に会うのは県の青年部長の総会で、壇上にあがった会長を初めて見ることになる。
堂々とした挨拶ぶりにまずはどぎもを抜く。ここで単会の部長ならこれで終ってしまう。余程の功績でもない限りは関東ブロックや全国連の会長など広報誌で思い浮かべるのが関の山だ。
おそらく、私などとは生活のレベルも、考え方も違うのだろうと思い込んでしまう。
事実そうだろう。多くは市議や代議士を狙うものもいるのだから。
林君は次期の佐渡の会長に内定している。つまりは新潟県の会長を選出する4名の中に入っているわけだ。
ここで林君が決まれば彼が100数名の県の部長の頂点にたち、広い新潟の視野で青年部を見つめることになるわけだ。
そればかりは、関東ブロックの役員、また全国48?都道府県の委員にもなる。
全国連の会長など、どんな方なのか?どんな考えを持っているのか?どんな声なのか?さえ、その立場になったものでしか知りえない。
すでに県の会長や全国連の会長とも面識がある林君に私は驚きよりも、彼がこれから何を企画したいのかそれに興味がつきる。
仕事を置き去りにする彼ではない。むしろ経営革新にまで手をつける彼に、私は1万総特攻の鏡から、新潟数10万の青年部のさいきがけになる予感さえするのだ。
林理論はその方程式は不明だけれど、何か大きな、新しい視点で考えてることは明白だ。
今年は林君に密着したいと思った。
彼から出るオーラを私は最初にいただきたいからだ。
青年部副部長の彼は次期部長ではあるが、すでに県青連会長、全国連会長とのコンタクトをとり、濃密な関係を築いている。
これはかなわないの一言だ。
部長経験しかない私よりは、県青連会長の経験を持つ最上先生のほうが語るに値するのだが。
佐渡の青年部長は10人、ここから佐渡の会長と副会長が県の担当となる。ここで県の会長と初めて顔を合わす。
まず、私のように末端の部長であれば。新潟県の会長に会うのもミーハー化する。
最初に会うのは県の青年部長の総会で、壇上にあがった会長を初めて見ることになる。
堂々とした挨拶ぶりにまずはどぎもを抜く。ここで単会の部長ならこれで終ってしまう。余程の功績でもない限りは関東ブロックや全国連の会長など広報誌で思い浮かべるのが関の山だ。
おそらく、私などとは生活のレベルも、考え方も違うのだろうと思い込んでしまう。
事実そうだろう。多くは市議や代議士を狙うものもいるのだから。
林君は次期の佐渡の会長に内定している。つまりは新潟県の会長を選出する4名の中に入っているわけだ。
ここで林君が決まれば彼が100数名の県の部長の頂点にたち、広い新潟の視野で青年部を見つめることになるわけだ。
そればかりは、関東ブロックの役員、また全国48?都道府県の委員にもなる。
全国連の会長など、どんな方なのか?どんな考えを持っているのか?どんな声なのか?さえ、その立場になったものでしか知りえない。
すでに県の会長や全国連の会長とも面識がある林君に私は驚きよりも、彼がこれから何を企画したいのかそれに興味がつきる。
仕事を置き去りにする彼ではない。むしろ経営革新にまで手をつける彼に、私は1万総特攻の鏡から、新潟数10万の青年部のさいきがけになる予感さえするのだ。
林理論はその方程式は不明だけれど、何か大きな、新しい視点で考えてることは明白だ。
今年は林君に密着したいと思った。
彼から出るオーラを私は最初にいただきたいからだ。