平成25年10月17日午前11時23分に息子の訃報を知らされた。
今、当時を思い出しても何が何だか訳解らない
そんな心境、とにもかくにも息子の住む千葉まで新幹線を乗り継ぎ
午後7時近くに辿り着いた、すでに冷たくなって何も返事してくれなかった。
見ず知らず土地で息子を送る準備、関係機関への手続きと目まぐるしく
泣いている暇などなかった。
二回目の膝の手術を28日に控えていた家内も、
息子を亡くした悲しみを耐えて
気丈に頑張ってくれた。
18日に葬儀場に安置
19日午前10時に火葬、午後3時06分大宮から新幹線で一関まで
遺骨を抱え新幹線に乗っているのも
自分ながら何か夢のようテレビや映画のような感じでした。
20日は震災後、自立再建した自宅仏間に変わり果てた遺骨を
親族が迎えた。
21日 大船渡の花祭苑で葬儀多くの参列者に見送られて
親より早く天国へ行ってしまった。
お店は24日までお休みをし
25日今日から営業、
正常心で正常心でと思いながらも
弔問客からのお悔やみの言葉、励ましの言葉に声を詰らせる。
時間が解決してくれるだろうと自分を慰めるしかない。
明日に向かって生きる事が・・・・・・・・。
この度の息子の葬儀に際し多くの皆様からのお励ましに感謝でした
合掌