
昭和32年に鷲の湯時間湯へ通っていた方(時間湯保存会会員)と娘さんです。
平成22年夏、草津温泉時間湯保存会中澤会長を訪ねて記念撮影。(桐島屋旅館前)
鷲の湯の最後の時期のお客様で、70歳を越してきました。
写真のお客様からコメントを頂きましたので紹介します。(草津温泉時間湯保存会会長中澤芳章)
・昭和31年に桐島屋旅館さんに泊まり、鷲の湯を紹介されまして、翌昭和32年(当時21歳)から「三月三年百十日」(90日余間の湯治を3年間する、と言う意味)の時間湯を体験しました。
とても懐かしい場所です。
この数年後、浴客達が保存会(当時は桐島屋旅館先代が会長)を結成し、鷲の湯の存続を当局へ訴えました。
その保存の願いもむなしく、当時の施政者達により壊されてしまいました。
とても残念に思いました。
個人的な寂しさも当然ありますが、草津温泉の歴史的な意味でも大変な蛮行だと思います。
保存会会長には年に数回しかお会いできませんが行政と逆な保存運動を長年続けている桐島屋旅館館主中澤会長にはますます頑張ってほしいとおもいます。 合掌
平成22年夏、草津温泉時間湯保存会中澤会長を訪ねて記念撮影。(桐島屋旅館前)
鷲の湯の最後の時期のお客様で、70歳を越してきました。
写真のお客様からコメントを頂きましたので紹介します。(草津温泉時間湯保存会会長中澤芳章)
・昭和31年に桐島屋旅館さんに泊まり、鷲の湯を紹介されまして、翌昭和32年(当時21歳)から「三月三年百十日」(90日余間の湯治を3年間する、と言う意味)の時間湯を体験しました。
とても懐かしい場所です。
この数年後、浴客達が保存会(当時は桐島屋旅館先代が会長)を結成し、鷲の湯の存続を当局へ訴えました。
その保存の願いもむなしく、当時の施政者達により壊されてしまいました。
とても残念に思いました。
個人的な寂しさも当然ありますが、草津温泉の歴史的な意味でも大変な蛮行だと思います。
保存会会長には年に数回しかお会いできませんが行政と逆な保存運動を長年続けている桐島屋旅館館主中澤会長にはますます頑張ってほしいとおもいます。 合掌