草津温泉「温泉観光士」協会 ブログ

草津温泉「温泉観光士」協会からの活動報告や、温泉レポートです。

浴医局初代主任、石田謙吉先生。

2018-08-23 08:55:49 | 歴史

古い資料を探していましたら、石田医院の写真が出てきました。破れてしまった左下部が見つかるかも、です。石田先生は明治44年に土肥先生に推挙されて草津に来て浴医局主任になりました。この浴医局の創設によって草津温泉としての医学的入浴法が具体化しました。(布施正美先生)。  大正4年に草津療養院長となり、其の後石田療養院を開設。 石田医院は滝下にありました。写真は先生と石田医院スタッフとの記念写真でしょう。(昭和8年10月までは読めます。)  私の母親が師範学校卒業後に石田医院のお手伝いを頼まれましたので親しくお付き合いをしてきました。桐島屋旅館弓道場は石田さんが所有していた水源地敷地を譲渡してもらったものです。

大正9年に布施広雄先生が布施医院を開業。浴衣局主任も兼務。(布施正美先生)。  布施広雄先生のご長男と私の父が大親友で、こちらでも草津温泉研究繋がりです。


1983年11月、白根山噴火後の様子。

2018-08-01 17:05:33 | 歴史


ベルギーの地震学者の方が三宅島噴火の調査に来日しておりまして、その後に草津白根山の噴火があり、白根さん噴火調査の為に桐島屋旅館に宿泊し、私の案内で登頂。
当時、有料道路で閉鎖中でしたが通行許可がでて、私と博士と二人だけで噴火口まで行きました。
湯釜の湖面はこの時は黒くなっていました。
奥の縦に赤っぽいところが水蒸気爆発の位置で、その噴火口へ湯釜の水が入り水位は下がるようです。
何度か繰り返すうちに隣の空釜のように空の噴火口跡となるようです。

この当時の話を聞きたいと商工会の会員が言ってきましたので、コピーをして当時の話をしました。
あたまの回転の良い気が付く人が数人でも居たので、安心しました。
目先の事しか見えない人が多いので、せめて指導する立場の人たちはいろいろと修行をしてもらいたいものです。

注:35年前の昔の写真をデジカメで今日写しましたので、表面の日付は当時のものではありません。