今季最強寒波の影響で、四国九州を含め広い範囲で大雪に見舞われています。
SNSで繋がっている仲間達の投稿からは、まるで秋田の景色なのかと思わせるような大変な状況です。
一方で我が地元は、確かに強風ではありますが、たいした積雪ではありません。昨年に引き続き、雪の少ない冬となっておりますが、なぜか市の除雪費は青天井?のようです。
(このことについては改めて…)
さて、早いもので2月。こうして、今年もあっという間に終わってしまうのでしょうか。
能登半島地震から1年と1ヶ月。そして今年は、阪神淡路大震災から30年という節目の年でもあります。
当時14歳。高速道路の橋脚がポッキリと折れ、横倒しになったTVの映像が衝撃的で、今も脳裏に焼き付いています。
改めて鎮魂の祈りを捧げながら、被災された方々の日常が一日も早く取り戻せますように…
昨年の正月、いただいた年賀状を整理していた夕方。緊急地震速報が鳴り響き、ここ秋田でも大きな揺れを感じました。まさに、災害には盆も正月もない、おそらく帰省中であったり観光客の方々も被災されたことでしょう。
各地で常態化する大雨や、今回の降らないはずの地域での大雪を含めて、災害というものはいつ何時私達の身に降り掛かってくるのか分からないという「教訓」を改めて突きつけられているように感じています。
能登については9月の豪雨とダブル災害に見舞われました。そして、「半島」という特徴的な地形で発生した災害であることからも、復旧に大幅な時間を要しているようですね。
そもそも、時限立法である「半島振興法」において、アクセスが弱いことや孤立するリスクがることは想定されていたはずで、観光振興だけが目的だったわけではないはずですが…
復興どころか、いまだ断水箇所が見られるなど復旧は始まったばかり。生業を失い、災害をきっかけに故郷を離れる方もいるなど共通の課題でもある人口減少が前倒しで加速しています。
現場に足を運んだわけではないので偉そうな事は言えないのですが、今回の災害で「教訓が活かされていない」のではないかという指摘が繰り返されていることに大きな違和感を持っています。
「3日でおにぎり1個」?なぜ、食料が行き渡らないのか。何日も農業用ビニールハウスの中に方を寄せ合っている被災者の姿、避難所でのトイレ問題…
当市においても、増田や大森など孤立することが想定される集落にはあらかじめ備蓄を手厚くしたり、衛星電話を配備するなどの対策を講じているのは、少なくともこれまでの教訓からに他なりません。
行政による初動が遅かったのではないかという批判は、必ずしも正確ではないはずです。
「関係者以外は能登に近づかないでくれ」というアナウンスは、半島特有の地形から渋滞・混乱が生じるからでした。
阪神大震災以降、住宅耐震化の重要性が謳われるようになり、「災害ボランティア」という言葉が定着しその重要性が広く認識されるようになりましたし、東日本大震災からは、自治体間連携により被災地への支援や復興に取り組むことが一般的になったと言われています。
この度も、いざという時頼りになる自衛隊の活躍。能登半島には、続々と多くの自治体から医療チームだけでなく給水車やトイレトレーラーなどが駆けつける一方で、遠く離れた私達国民にできることと言えば、(実際に足を運ぶことを遠慮する場合)募金をすることが一般的です。
それでも最近は、寄付をすることでそのメーカが作っている様々な製品を被災地に届ける仕組みもあるようで、具体的な支援の形として3.11の教訓が活かされていると言えるでしょう。
(気持ちはわかりますが、親から子への仕送りのようなごちゃ混ぜの段ボールや、賞味期限切れのゴミが送りつけられたケースがありましたね。それと千羽鶴…)
自治体間同士で、いわゆる友好都市という枠組みを超えて災害連携協定を結ぶケースも増えています。日常の交流がいざという時に助けになる、とても大切なことだと思います。
共に被災したのでは助け合うことはできませんから、できるだけ離れた自治体同士で組むことが重要です。
水道などインフラの耐震化。
老朽インフラの長寿命化は、全ての自治体に共通する待ったなしの課題であるということは、この度の埼玉県八潮市での道路陥没事故が物語っています。
各地で慌てて点検作業を始めていますが、昨日、お隣由利本荘市では橋のボルトが車に落下して穴が空いたというニュースがありました。自転車に乗った通学中の子どもの頭に落ちたらと思うとゾッとします。
「国土強靭化」という言葉が注目され出してから、一体何年経過したというのでしょうか?
(この「老いるインフラ」問題についても改めて…)
国の動きとしては、昨年6月、地方自治法改正により、大規模災害などの非常時に国から地方自治体に対する「指示権の拡大」がなされることになりました。
災害のみならずコロナ禍において混乱があったことも法改正の後押しになったようですが、私自身少しひっかかるところがありまして…
それは、「地方分権」の流れに逆行するのではないかということです。
国会では1993年に地方分権の推進を決議し、国と地方の関係を「対等・協力」と定めているということを、私達は正しく理解する必要があります。
では、この度の「国の指示権拡大」がどのようなケースにおいて当てはまるのでしょうか?具体的に明示はされていないようです。
私が若手議員の会の研修で全国各地の事例を学んできた経験から言えることは、「指示待ち」では住民の命を守れないということです。
「事件は現場で起きている!」というやつです。
特に昨今、大雨大雪が局地化激甚化している中にあって、市町村合併により面積が拡大している自治体は特に、情報収集の遅れ、一瞬の判断の遅れが尊い命を奪うことになりかねません。
だからこそ、【自助→共助→公助】が重要だと言っているのではありませんか?
地方分権に逆行してまでこのような動きをするのであれば、事前にどんな場合に国が指示をするのかを明らかにしておく必要があります。
いわゆる行政用語の「連携」とは、責任の所在を曖昧にする危険性をはらんでいますし、繰り返しますが、一瞬の判断の遅れが命を奪うということを肝に命じなければなりません。
これだけの「教訓」が積み上げられている中で、いい加減「想定外でした」と逃げるのは許されることではありません。
多くの災害により失われた命、残された遺族の悲しみを自分ごととして捉えた時、「教訓」は活かしていかなければならないのです。
現政権が「防災庁」設置を掲げているのはこれまでにない具体的な動きではありますが、整理すべき課題が多いとの指摘がありますし、そもそも特に市町村において余分な人員などありません。
あくまでも主役・主体は住民。その上で市町村にできないことを県が、さらにそれを補完するのが国という構図をはっきりさせた上で進めていかなければならないと私は思っています。
もっと言えば、首都直下や南海トラフのリスクが確実に迫っている中で、リスク分散に資する首都機能移転や道州制の議論は止まったままです。
ちょうど1年前、全国若手議員の会東北ブロック研修で福島県相馬市に伺いました。
14年前の東日本大震災の被害が甚大だった地域の一つ、10mを超える大津波襲来を触れ回った多くの消防団員が命を落としています…
相馬市では、3.11当時防災倉庫はなく、全国から届く支援物資の受け入れが分散してしまい被災者に配るのに大変な苦労があったという教訓から、「相馬兵糧蔵」と名付けられた新しい防災備蓄倉庫を整備。期限の切れる食品は学校での避難訓練に活用するなど、適切に在庫管理がなされていました。
また、当時支援を受けた全国の自治体や企業の名前が掲示されており後世に引き継がれていましたし、全国各地の自治体と災害連携協定を結んでいて、能登半島にどこよりも早く水道車を派遣したニュースは記憶に新しいところです。
防災担当職員の方が繰り返し強調されていたのが【日頃の備え】。
市内にくまなく設置されている「地区防災拠点」では、通常は地域のコミュニティの場所として機能していますし、かの有名な「相馬野馬追い」に連携する自治体を招待し日頃から交流を深めておくことも、いざという時の備えとなります。
町内会行政区単位に自主防災組織が設置運営されていて、年1回の訓練が徹底されています。
情報伝達手段としての防災行政無線は、たとえ大雨で聞こえづらく室内に届かないとしても、カンカン叩いて火災を知らせる「警鐘」の役割を果たし、同じ内容を電話やメールで確認できるという徹底ぶり。
まさに、「伝える」ということを最大限重要視した対応。情報発信には明確なルールが必要ですし、地域密着かつきめ細やかくあるべきだと感じた次第です。
今回、能登の震災で【教訓が活かされていない】という指摘が多く聞かれたのはなぜでしょうか?
被災地の復興は、肩書のある立派な方々だけではなく、名もなき市民一人ひとりが明日を信じ、歯を食いしばって積み重ねてきた日々の頑張りの先にあるのだということを、私達は決して忘れてはなりません。
いざという時に国が自治体に指示を出すことも必要な場合もあるかもしれませんが、私達市民一人ひとりが、日々備えておくこと。人口減少の進む地方において、日々助け合う仕組みづくりをしておくこと、その事の重要性を改めて感じています。
「防災拠点としてハコモノを整備する」というその説明に、果たして裏付けはあるのでしょうか?魂は入っているのでしょうか?
今、必要な量の水を備蓄している人、モバイルバッテリーを持ち歩いている人、(高くて大変ですが)車のガソリンを満タンにしておくことを徹底している人がどれだけいるのでしょうか?
【震災を風化させない】とは言いますが、失われた尊い命、筆舌に尽くしがたい被災者のご苦労を想う時、私達は改めて、【日々の備え】を徹底しておかなければならないのです。
あと1ヶ月で、今年も3.11を迎えます…