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おきると荘の書斎

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考える過ぎると分からなくなる、ということ

2014-11-17 23:51:00 | ノンジャンル
基本的に、始めるまでが一番時間がかかって、始めてしまえば何でも楽しくなってくるよね。何でも。

とりあえず、今日も今日とて複数回更新。

と、言いつつ。別に何を書こうと決めていたわけではないんですがね。

割とよくあると思うんですよ。案ずるより何とやら的な瞬間。
人と話をしてる時でも、喋ることを頭の中で考えてる時より、実際に言葉にしながら考えていく、っていうパターンが多いように感じます。

これって、言いたいことが言えないんじゃないかって気もするんですが、案外理にかなっているんじゃないか、と俺は思ってます。

例えば、特に行先を決めずに一人で出発して、歩いてる間に「あそこに行こう」みたいなのが決まっていったり。

こういう類のことがどう理にかなっているかというと、0から1を生み出すより、状況と照らし合わせて調節しながら0をゆっくり1に変えていく方が、決定しやすいということだと思います。

そのうち記事にすると思いますが、箱庭療法や描画法なんていう心理療法も、状況との相互関係で物を作っていく側面がありますね。


自分で何を言うか完全に決めてから話すってのは、頭の中で言葉を完全に確定して喋るわけなので、相当難しいことだと思います。感じたことのない方は優秀な方だと思うんですけどもね。
言葉って、かなり考えを意識的にひとつの形に押し込めたものだと思うんですよね。

言葉のニュアンスなんていうものも、考え出すととても難しいと思うんですが、ニュアンスの違う言葉をいくら選定しても、表し切れない部分もあるでしょう。そういった言葉の取捨選択であったり、選定であったりといった作業を全部頭の中で完了させるのって、無理なんじゃないかと俺は思ってますね。

かと言ってあまりにも考えずに発言を投げてしまうと、失言になったりするわけなんですが。失言はある意味本心だったりすることもありますしね。


あ、そうそう。言葉で説明できる部分の限界性、という観点から見ると、俺はエビデンスってものがあまり好きではないんですよね。
こんなこと言うと学問界にいる方々からは怒られそうですが、エビデンスそのものというよりも、エビデンス信者があまり好きでない、ということになるでしょうか。

数値で示せました。こういった実験群と統制群の差異が見られました。つまり、これが答えです。とても大事な考え方だと思います。客観性、理論性といった側面から見れば、その検証が信頼するに足るものであるかを検証する上で、数値やロジックに基づいたエビデンスを呈示することは大変に重要だと思います。

しかしね。それはあくまでもやっぱり、物事を分割していく方面に関する証拠でしかない、ということを理解しておくことって、結構大事なんじゃないか、と。


かく言う俺は、主観性大好き人間です。客観性が大事じゃないとは勿論思いませんし、合理的な価値判断には不可欠だと思いますが、主観性を蔑ろにし過ぎるのは、あまりいただけないと思ってます。

よく引き合いに出される話ですが、親友が病気で死んだとする。
「なんで死んじまったんだ!」と言ったあなたは、「いや、病気だよ」という答えを望んでいるでしょうか。結局、答えは自分自身からしか生まれてこないんですよね。

客観的合理的に物事を運んでいくのは、上手くいっているうちはとても様々な進展をもたらしてくれる。だけど、主観を見失い過ぎると、気付けば報酬にしか価値を見出せない、もっと下手をすれば、報酬にさえ価値を見出せないような、つまらない人生になり兼ねないんじゃないだろうか。
そういうことを、偉そうに主張していきたいよね。

政府が文系学問を潰そうとしている風潮が、お兄さんはとても悲しいぞ!

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