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おきると荘の書斎

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生と死と

2014-12-24 03:52:00 | 小説
クリスマスイブですね。


サイコドラマ⑪

 波は、減衰しながら広がっていく。

 村谷さんと衝動的にキスをしてから、1か月が経った。学校も本格的な受験体制に入り、生徒は志望校によってある程度区別され、そのグループで授業を受けていた。僕は相変わらずどこに行きたい、という思いのないままだったけれど、一応それなりに出来るグループに入っていた。いうなれば、朝や放課後の少々の時間を勉強に当てたところで、大して意味がないということを証明したわけだ。少なくとも、僕は内心でそう思っていた。もちろん、表に出したりはしなかったが。



 キスをした後、僕は村谷さんと駅に向かった。どちらも無言だった。そして、どちらからともなく別れの挨拶をして、電車に乗った。家に帰るまで、その時の記憶はほとんど消えてしまったように感じられた。しかし、家に帰って勉強机に向かった途端、キスの記憶が生々しく頭に浮かんできた。村谷さんは、突然の僕の行動に呆気にとられたような目をしていたけれど、しばらくすると目を閉じ、僕を受け入れてくれたようだった。僕は勉強机に向かい、参考書を引っ張り出してきた。しかし、どんなに真剣に目を通そうと思っても、触れた唇の柔らかい感覚や、つかんだ腕のほっそりとした感じ、そして、彼女の腕にできた一筋の亀裂の、美しい痛々しさが勝手に頭を駆け巡って、本の内容は一向に頭に入ってこなかった。
 僕は仕方なく自分の部屋を出て、階段を降りた。そして、コップに水を注ぎ、一気に飲んだ。母親は忙しそうに夕食の支度をしていた。じゃがいもがお湯の中を転がっているようなにおいがする。
 「今日のご飯は何?」と、僕は特に興味もないことを尋ねた。
 「作りながら考える」と、母親は忙しそうに答えた。
多分、何を作るかはもう考えてあるのだろう、と思った。ただ、色々と文句を言われても面唐セから、出来てから有無を言わさずに出すつもりなのだろう。僕はそんなことを思った。そして、村谷さんとの出来事は、どう転んでも母親にできるものではないなと思った。
 再び階段を上がり、自分の部屋に入った。椅子に座って参考書を再び開いてみると、今度はさっきよりも、内容が頭に入ってきた。30分ほどして、玄関のドアが開く音がした。父親が仕事から帰ってきたのだと思い、もう少しで夕食だろうか、などと考えた。そして、父親にこの日あったことを話せるだろうか、と考え、すぐに無理だという結論に辿り着いた。父親どころか、友人にも言えるようなことではない。そう思った。そして、少し罪悪感を覚えた。今までに、これほど人に言えないような体験をしたことがあっただろうか。僕は思いを巡らせた。そして、桜の木の模様が唇に見えた日のことを思い出した。そして、加藤先生の家での一件を思い出した。秘密にしなければならないようなものではない。しかし、僕はこれらの体験も、人に言うことのできないものだと感じた。それは、言う程のことでもない、というのとはまた違う、何故か秘密めいた体験だった。



 あの日以来、僕は村谷さんと顔を合わせていなかった。どちらも、学校には毎日行っている。しかし、キスしたことをどう話していいのか分からず、なんとなく会いに行けなかった。学校では周りに人がいる、というのも、会いに行けないひとつの原因だったかもしれない。
 授業が終わって、僕はひとりで駅前のマックに行った。元々あまり都会ではないおかげで、夕方でもあまり混雑していなかったので、僕は時々気分転換のために、マックで勉強していた。勉強といっても、ろくに集中できない所だというのは分かっていたから、暗記ものではなく、数学や化学の問題を解くようにした。暗記は全力で集中できる時にやらねば、自分でも気付かない記憶の穴ができてしまう。そして、自分が気付いていない穴は、落とし穴だ。これが僕の持論だった。
 「小池君」何問か解いたところで、声をかけられた。
村谷さんだった。村谷さんはいつも、僕の名前を呼び、遠慮がちに話しかけてきた。
 「今勉強中だよね」
 「いや、気分転換だし、全然平気だよ」
 「本当に? ここ、座ってもいい?」
 「うん、どうぞ」
村谷さんは、4人鰍ッのテーブルの、僕の正面にある椅子に座った。そして、しばらくの間、僕が解いていた数学の問題を見て、色々と労いの言葉をかけてくれた。
 「腕の傷はどう?」と、僕はむず痒い気持ちを誤魔化すために聞いた。
 「もう大分良くなったよ」村谷さんはそう言いながら、白いブラウスの腕を捲った。
確かに、新しい皮膚が、ほとんどリストカットの傷を覆っていた。それ以来、傷が増えている様子もなかった。
 「私、やっぱりこの方法は向いてなかったみたい」村谷さんは、少し残念そうな表情をしているように見えた。
 「どういうこと?」
 「こうやってリスカしてみたら、好史の気持ちが少しは分かるかと思ったんだけど」
 「分からなかったんだね」
 「うん。ただ痛いだけだった。変な声が出たよ」と言いながら、村谷さんは寂しそうに笑った。
 「人によるのかもね」何と言っていいのか分からなかったので、僕は要領を得ない返事をした。
 「うん」村谷さんは肯いて、少し下を向き、何かを考えているようだった。
 「やっぱり、ただ切っても痛いだけなんだな、って思った」
 「というと?」
 「うん。さっきも言ったように、私は、好史の気持ちを知ろうとして、リスカしてみようと思ったのね。確かに痛いだけだった。でも、もし好史が死んで物凄く悲しかった時に、同じように考えてリスカしてたら、きっと気持ち良かったんじゃないかと思うんだよね。なんて言うんだろう……気持ちに対する答えが出る、じゃないけど。問答無用で痛みがやってきて、その瞬間だけぱっと気持ちが昂るような感じになって。それで、血が流れて、少しずつ落ち着いていく。思いっきり泣いた後みたいな」
 「オナニーした後みたいな?」僕は無意識に聞いていた。
村谷さんは、はっと目を丸くして僕を見た。
 「あっ、ごめん」僕は、村谷さんから目を逸らした。
 「……うん、そんな感じ、かな」と、村谷さんは歯切れ悪く言った。
完全に失敗したと思い、居た堪れない気持ちになっていた僕は、驚いて村谷さんを見た。村谷さんは、まだ少し視線を落としたままだったけれど、顔は赤くなっていた。
 「そっか――」僕は努めて冷静に返した。
そして、トレイの上に紙ナプキンを敷き詰め、その上にャeトを広げて、村谷さんにも勧めた。ャeトの味がとてもはっきりと感じられた。
 「村谷さんは、強いんだね」僕は言った。
 「全然強くないよ」と、村谷さんは言った。
確信に満ちたような言い方だった。
 「村谷さん、この前はごめん」僕は、不意にキスのことを思いだして、謝った。
 「平気」と、村谷さんは言った。
 「私、自分がリスカしてみたってことを、あの時小池君に伝えたいと思った。お母さんやお父さんに言えるはずもないし、友達にだって、絶対言えないんだけど」
 「いや、なんて言うか、あいつにも申し訳ないとか、思わないでもないし」
 「それは、私には何の権限も無いけど」村谷さんは、ばつが悪そうに俯いた。
 「でも、あの時、凄く自然な感じがした。無理矢理された、みたいな嫌さは全然無かったし」
 「俺も、気付いたらあんなことしちゃってたんだよな……村谷さんの傷を見て、話を聞いてたら、なんか凄く悲しい気持ちになって。その後も、なんとなく気恥ずかしくて、謝りにも行けなくて。ほんとごめん」
 「謝ることないよ。平気だったんだから。それに――」そこまで言って、村谷さんは言葉を切った。
 「それに?」僕は、何の気なしに聞いた。
 「――ううん、何でもない」と村谷さんは言った。
きっとこれ以上追及しても答えてくれそうにないな、と僕は思った。
 家に帰ると、両親は買い物にでも行ったのか、家はがらんとした雰囲気に満たされていた。僕は、自分の部屋に入り、部屋のドアを閉めた。そして、ワイシャツの腕を捲り、カッターナイフの刃先を手首に当ててみた。刃先に押された肌は、頭を乗せた枕みたいに、少し沈んだ。僕の手首は思ったより柔らかく、もう少し力を入れたら、間違って切れてしまいそうだった。ミニトマトを噛んだ時みたいに、ぷつんと通ってしまうんだろうか。僕は、そんなことを思った。カッターを離し、刃先をしまうと、先程の村谷さんが思い出された。強い切なさが、僕の胸に迫ってきた。僕は、そのままオナニーをした。村谷さんの表情、好史の傷、村谷さんの傷、唇の感触。あらゆるものが、僕の中で渦巻いていた。そして、射精に至った瞬間、その感情の全てが、そのままの形で覆われていくのを感じた。まるで、舞台に垂れ幕が下りてくるように。

第十一の場面は、ここで幕を下ろす。